婦女子としてはいかがなものかと思われる、大あくびをしながら、名前は校庭を散策していた。その歩みは、どこかの剣術師範のごとく「ゆらり」という効果音を付けたくなるような、覇気のないものだった。

(眠い…)

 こくりこくりと頭が上下するたびに、明け方まで叩き込んでいた一夜漬けの内容が飛んでいくような気がした。付け焼き刃といわれればそれまでだが、自己採点では、問題の小試験の赤点回避は硬い。そんな今、脳内の知識がどこへ飛ぼうとも名前の知ったことではなかった。
 彼女が欲しているのは、睡眠只一つである。
 今日のAランチも美味しかったし、外は良い天気だし、さあ寝るぞ! と勢い込んで校庭にやってきたものの、すぐに眠気が猛威を奮い始め、ゆっくりと寝場所を探す暇はなさそうだった。久しぶりの睡眠、せっかくだから日当たり・風向き良好な場所でしたかったのだが、仕方あるまい。

(ここでいいや)

 名前は校庭の隅に生えていた大木の根元に腰を下ろした。きゃいきゃいと騒ぐ低学年たちの喧噪が聞こえるが、眠れないほどではない。

(っていうか、今なら予算会議中でも寝れそ…)

 言の通り、名前はすぐにすうすうと寝息を立て始めた。








(なんだろう、嵐が近づいてくるみたいな音がする…)

 夢と現の間で、ドドドという轟音が聞こえた。気のせいでなければ、その音は名前に近づいてきている。更に気のせいでなければ、「名前ー!」と自分を呼ぶ声が混ざっている。

「名前ー! バレーボールをしよう!」
「…」
「名前ー! 名前ー!」
「…」
「なんだ、名前。眠っているのか。おーい、名前ー」
「…」
「バレーボールだぞ、バレーボール! 楽しいぞ!」
「…っ」
「名前ー! バレーボール! 名前ー!」
「うっさいぞ七松小平太!!」

 「バレーボールをしよう!」で声の主は特定できていたのだが、否、できたからこそ、名前は絶対に起きないと心に決めた。のだが、首がもげるのではないかというほど肩を揺さぶられ、耳元で名前を連呼され、我慢の限界は呆気なくやってきた。

「おー、起きたか、名前。おはよう」

 名前の目の前には、憎たらしいくらい爽やかな笑顔を浮かべ、バレーボールを抱えた小平太の姿があった。嵐が近づいてくる――その表現はあながち大げさではない。持ち前のクソ力と有り余る体力で、日々問題を起こす様は、彼の存在そのものが暴力といってもいいだろう。

「それが他人の安眠を妨害した人間の台詞ですか?!」
「こんな良い天気なのに、寝てるなんてもったいないぞ」
「良い天気だから寝たいの」

 「なんで私なのよ」と名前は口を尖らせる。

「他にもいっぱいいるでしょう、文次郎とか留三郎とか長次とか仙蔵とか伊作とか」

 五人が『いっぱい』なのか、疑問ではあるが、それは置いておくとして。

「文次郎は自主練、留三郎は壁の補修、長次は委員会、仙蔵は何かわからないけど忙しそうにしてた。伊作は見かけなかったから……どこかの塹壕にでも落ちているんじゃないか?」
(逃げたな仙蔵…!)

 名前は、明らかな確信犯を恨んだ。
 こほんとそれらしく咳払いをし、名前は真面目な口調で小平太に言う。

「あのね、小平太。私、昨日ほとんど寝てないから、今寝とかないと午後の授業やばいんだって」
「名前はいつも、昼休み後の授業は寝てるって聞いたけど」
「今日は特に眠いの!!」

 事実なので、反論できないのが悔しい。

「名前には、下級生チームの助っ人になってほしいんだ。私対下級生だと、あまりにも不利だと言われてな」
「そりゃ不利だろうけど…」
「名前、頼む! 今も下級生を待たせてるんだ、早くしないと昼休みが終わってしまう!」

 懇願する小平太に、拒否を決め込んでいた名前の心も揺らぐ。何より、名前の代わりに小平太の相手をする後輩たちのことを考えると、放っておく訳にもいかない。

「…はいはいはいはい。わかりました、やればいいんでしょ、やれば」
「本当か?! そう言ってくれると思った!」

 小平太が無邪気に喜ぶ様子に、少しだけ眠気が吹っ飛ぶような気がした。

(体を動かせば、目も覚めるかもしれないし)

 とりあえず前向きに考えることにして、名前は軽く準備運動を始めた。








 しかし、名前は午後の授業に参加することはなかった。










 場所は代わって、保健室。

「名前、大丈夫か?」
「…」
「ごめん、いつもの名前だったらアレぐらい、どうってことないと思ったんだ…」
「もういいって」

 しょぼくれる小平太を宥めようと口を開いたら、鼻に詰めていたちり紙がスポンと勢いよく抜けた。同時に、鼻の下につぅと生温かい液体が流れるのを感じる。

「ほら、まだ鼻血出てるんだから安静にして」

 伊作が慣れた手つきで血を拭い、新たなちり紙を名前の鼻に指す。「はーい」とくぐもった返事をしながら、名前はふぅと溜め息をついた。

「しかし、あんなに綺麗に顔面レシーブが決まるとはね。こういうのは、伊作の担当だと思ってたのに」
「ははは、嫌なこと言うなよ」

 と乾いた笑いを浮かべる伊作は、ついさっきまで脱走したジュンコに文字通り絡まれ、身動きが取れなかったという。どうにか逃げ出し保健室に帰還したところに、鼻血を出した名前を抱える小平太が飛び込んできたという訳だ。
 自分の顔から上がる白球、澄んだ青い空、そして吹き出す鼻血。
 その鮮やかなコントラストを、名前は一生忘れないだろう。

「安心しろ、名前。傷物にしてしまったからには、ちゃんと責任は取る!」
「傷物って大層な…。いいよ、おかげで目も覚めたし。さすがの私も、鼻に詰め物したままじゃ居眠りできそうにないから、授業もちゃんと受けられそうだしね」

 名前が自虐的に呟くと、小平太はブンブンと首を横に振った。
 そして、名前と真正面に向き直るなり、その手を掴んだ。

「嫁に来い、名前!」
「はぁ?!」

 名前と伊作の素っ頓狂な声が重なった。

「言ったろ、責任はちゃんと取るって。二人で幸せな家庭を作ろう!」
「え、えぇ?!」
「子どもは……十人だ! そうしたら、一家でバレーボール対決ができるぞ!」
「しなくていいよ!」
「ん? それはバレーボールのことか、結婚のことか?」

 小平太が至って真剣な面持ちで聞いてくるので、名前は「え、いや、それは」と返事に窮した。名前が口ごもっていると、更に質問が飛んできた。

「名前は、私が嫌いか?」

 何故、平然とそんなことが聞けるのだろうか。困惑する名前と対照的に、小平太は顔色一つ変えない。

「嫌いじゃ、ない、けど」

 なんとか答えを絞り出すと、「じゃあ、好きってことだ」と小平太は満面の笑みを浮かべた。
 嫌いじゃなかったら、好き。
 なんと単純明快な脳味噌なのだろう。

「あの、だから、そういうことじゃなくて」
「私も名前が好きだから、両思いだな! よし、今から子作りだ!」
「うん、そうだねって…えぇえぇっ?!」

 視界が真っ赤に染まると共に、辺りに鉄臭い匂いが広がった。
 薄れゆく意識の中で、嬉々として服を脱いでほぼ全裸になった小平太の姿と、「名前、鼻血!!」という叫ぶ伊作の姿を見たような気がする。
 あぁ、きっと悪い夢を見ているんだ。違う、これが現実だ。だったらあれだ、あれ。


 ――寝よう。




「名前っ! 名前ーーー!!」



 名前は深い深い眠りについた。








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -