今度の定期試験の世界史のヤマについて話していると、ごとんと電車が大きく揺れた。慣性の法則にも負けず踏ん張ってよろけるのを防ぐと、そのまま車体はぴたりと止まってしまった。首を伸ばして窓の外を見てみたけれど、駅まではもう少しある。すぐに『えーただいま危険信号を受信しましたので緊急停止をー』というアナウンスが響き渡った。
 
「最近多いな」
「ねー」

 言葉が途切れてしまったその一瞬の空白、名前は小さくため息をついた。あ、やばい。そう思った時には、準太が「お前さ」とさっきより真面目な顔をする。

「利央とまたなんかあっただろ?」

 名前は答える代わりに、夜と昼の間みたいにオレンジ色が滲んでいる空を見た。あと三十分もすれば、真っ暗な夜がやってきて、そしてまた布団から出るのが億劫な朝がやってくる。その当たり前みたいなサイクルがどうやったら止まってくれるのか、一瞬だけ真剣に考えてしまう自分は、やっぱり元気じゃないんだなーと思う。

 準太は「やっぱりな」と呆れたように呟いた。

「利央は無口だし、お前はやけにテンション高いし。わかりやすいんだよ」
「すいませんねー」
「どうせ俺に言うんだから、一人で悶々としてんなって」

 「どうせ」と言う言い方が気に食わなかったけど、そのとおりだったので反論はできなかった。

 言い訳をさせてもらえば、名前と利央の板ばさみになるから準太には極力相談したくないと思ってる。自分で一人で解決できる筈だ、そう信じて数日は誰にも言わないで一人で考え込む。でも悩んでいられることを隠し通せるほど名前は大人でもポーカーフェイスでもなくて、結局いつも準太に見抜かれてしまう。その手を撥ね退けられるほど、やっぱり名前は強くない。
 
 



 
 そんな名前を、利央は、好きだと言った。






「ひでっ」

 この間、ランニングの途中で利央に告白されたことを言うと、準太は思いきり顔をしかめた。おいおい桐青のエースがそんな顔しちゃあかんよ、ファンが泣くぞ。と思ったけど、それは自分のせいだったので心の中で準太親衛隊に謝っておく。

「逃げるとか何? 人権無視じゃん」
「人権無視って大袈裟な」
「大袈裟じゃねえよ」

 冗談っぽく言ったのに、準太は思いのほか真剣だった。

「今までは誤魔化せたかもしんないけど、今回はどう考えても『逃げ』だろ」

 「利央だってそう思ってんじゃないの?」と準太は名前を見る。

 準太はいつだって真面目で、真剣で、正しい。野球に対して、人に対して、物事に対して、いつも真摯で紳士だ。そういう準太が、親衛隊ができるほど(と言っても実際に存在してるんじゃなくて、グループできゃあきゃあ言ってる子達を勝手にそう呼んでるだけだけど)他人に好かれるのは理解できる。顔もカッコイイし。頭も悪くないし。

 ――どうして利央が好きなのは名前なんだろう。

「はっきり言えばいいだろ」
「……でも」
「それくらいで部活やめるような奴じゃないよ、利央は」
「……」

 マネージャーと顔を合わせづらい、そんな馬鹿げた理由で利央から野球を奪いたくない。そういう心配も、ある。でも一番じゃない。





 和さんがいない野球部なんて、本当のところ、名前にとって何の意味もない。
 名前をここに繋いでいるのは、ただの惰性だ。『何か』に背中を押されたら、すぐにでも手を離してしまうだろう。その『何か』を利央にしたくない。それは利央のためのはずなのに、それが利央を傷つけている。名前だって、わかっている。いつもの名前だったら、それを踏まえて、もっと賢いやり方を選ぶことができた、と思う。でも今はダメだ。もう遅い。



 だって和さんがいない。



 恋人がいるって知ってる。二人がすごく順調なことも知ってる。でも会えるだけで嬉しかった。「頑張ってるな」って言ってもらえるのが嬉しかった。「苗字ー」と呆れたようにフザけた名前を止めてくれるのが楽しかった。練習してるところを見てるのが好きだった。目がなくなったみたいに細くなる笑顔が愛しかった。







 会えるだけでよかったのに、それすらも、今はない。

 一生の別れってワケじゃない。勉強の合間を縫って、部活に様子を見に来てはくれる。でも毎日じゃない。ユニフォームは着れない。試合はできない。だから名前の好きだった和さんは、もういない。



 引退前に、告白、しようかとも思った。「あたし、実は和さんのことずっと好きでした。カノジョさんと幸せになってください」そんな風に感情を押し付けられて、あの優しい和さんが、何事もなかったように振舞えるワケがない。和さんに幸せでいてほしい、でもそれができるのは自分じゃない。わかってる。だから、せめて、その幸せを奪うような真似は死んでもしたくなかった。



 自分が一人が苦しんで、みんなが幸せだったら、それでいい。




「はっきり言うっていっても、理由がないじゃん。あたし恋人いるワケじゃないし。利央のこと嫌いじゃないし」

 利央はイイコだ。体ばっかりでかくて、素直で、いじられキャラで、犬みたいにいっつも後ろをくっついてきて、ちょっとバカで、可愛い可愛い後輩。

 ずっとこのままの関係でいられたらいいと、そう思っているのに。



 利央は、そうじゃない。



「恋人いたら諦めつくんだ?」

 準太は意地悪く、片頬だけを上げた。真面目にドSっていうパターンもあるのだと名前は準太に教えられた。真剣に他人のことをいじってくるから、ある意味タチが悪い。一緒になって誰かをいじっている時は楽しいけど、こうやってターゲットにされるとメンドクサイ。「うるさいなー」と子供みたいにしか言い返せずにいると、「ごめんごめん」と準太は笑いながら言われた。



「好きな人がいるってのは、立派な理由だろ。っていうかあいつも気づいてて、その上で言ってると思うけど」
「嘘ー。利央、そういうの鈍そうだよ」
「他の人のことならそうかもしんないけど、自分の好きな人が誰を好きなのか気づかないほどじゃないだろ」
「だからさーきみはなんでそういうシリアスっぽいことを日常会話の中でさらっと言うかなー」
「シリアスでもなんでもないって」
「だけどさー」
「お前、ホントこういうのニガテなのな」
「準太は平気な顔して逃げ道をぶっ潰すよね」
 

 
 誤魔化し、というのは準太には通用しない。



「…準太にはあんまり言いたくなかったんだけど」
「なんだよ?」
「好きになってもらったの、初めてなの」

 「片思いとか失恋ならしたことあるけど」と付け足してみたけど、気恥ずかしさはなくならなかった。

「だから、どうしていいかよくわかんない」
「わかんないって」
「わかんないんだって。あたし、自分の気持ちどうにかするので精一杯だもん。他人の気持ちまで考えてあげる余裕、ない」
「だからそう言えよ」
「それってすごい自分勝手じゃない?」
「告白聞かなかったフリして何事もなかったみたいにするのは、自分勝手じゃないのか?」
「……」
「好きとか嫌いとか、そんなの全部自分勝手だろ。もうみんな傷ついてんだ、今更イイ人ぶんなよ」


 
 利央のため。和さんのため。
 そう言いながら、全部、自分のためだ。

 でもそれは、名前だけじゃない。
 利央が名前を好きなのも、和さんがあの人を好きなのも、全部自分のためだ。好きになってくださいって言われて好きになるんじゃないんだから。

 映画も小説も漫画も音楽もみんなバカだ。
 恋愛なんて、そんな綺麗な感情じゃない。恋することは楽しいことじゃない。



 名前は盛大なため息をついた。

「好きになったり、なられたりって、悪いことじゃないよね?」
「なに、そっから?」

 準太がやっと笑ったので、名前も少し気分が軽くなった。誰かが追い詰めてくれないと決断できない自分は、やっぱりまだまだ子供だ。準太の存在はとても有難いけど、でもこんないいヤツ、いつまでも名前が相談相手として繋ぎとめておくにはもったいなさすぎる。



「準太は良い恋しなよ」

 おーなんかデキル女っぽいと自画自賛していると「毎日恋愛で死にそうな顔してる奴に言われたかねーよ」と即答された。



 電車はまだ、動かない。













一時停止
   (いまはまだまえにすすめそうなきがしない)
















 ずっとこのままじゃ、いられないんだ。










「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -