利央は、名前さんのことが好きだ。

 きらきらした大きな瞳とか、マスカラなんてなくても長い睫毛とか、さらさらした良い匂いの髪の毛とか、「利央」って呼ぶ声とか、くしゃくしゃって頭を撫でてくれる小さな手とか、いつも絶え間なく動き回っている華奢な体とか、この間自転車でコケて青あざのできたでもすらっとした細い足とか、言い始めたらキリがないくらい名前さんはステキなとこを持ってる。

 名前さんがいるから、辛い練習も頑張れる。負けた試合の後も、頑張ろうと思えた。

 名前さんのいない部活は、月のない夜空とか、曇った夏の日とか、タコの入ってないタコ焼きとか、柿の種のない柿ピーみたいなもんで、そんな日は練習なんてサボッて帰りたくなった。練習のない休日が嫌になるくらい、名前さんに会えない一日は、寂しくて悲しくて苦しくて死ぬかと思った。でも、恋心は利央を殺してはくれない。






 名前さんは、和さんが好きだ。


 和さんを見る時だけ、和さんと話す時だけ、名前さんはオンナノコになる。準サンとふざけあってる時とも、慎吾サンを怒ってる時とも違う、オンナノコの名前さん。

 雑用してる時、名前さんは前髪を噴水みたいに結んでる。準サンは「潮吹いてるクジラ」みたいだと言い、利央は「パイナップル」みたいだと言うと、「お前等もこーしてやるー!」と飾りのついたゴムを持って追いかけられた。準サンは利央を生贄として捧げたので、利央はツインテールの刑に処されてしまった。利央がみんなのケータイのカメラを向けられながら半泣きになっていると、「嫌な時ははっきり言っていいんだぞ、利央」と和さんがゴムを解いてくれた。「苗字」と和さんが名前さんのほうを見た時には、真っ赤になった名前さんはもうパイナップル頭をやめてハネた髪の毛を必死で抑えていた。「あんまり利央を苛めるなよ」「イジめてなんかないですよーだって利央がっ」「一緒になってどうするんだ、先輩だろ?」不機嫌そうにしていたけど、和さんにぽんぽんと頭に手を置かれると、既に赤かった名前さんの顔は突っついたら破裂するんじゃないかってほど真っ赤になった。



 「和さん」って呼ぶ時の名前さんの声はとてもキレーだってこと。和さんを見る時の名前さんの目は少しうっとしててお姫様みたいだってこと。利央は名前のことばかり見ていたから知っていた。









 でも、和さんにはカノジョがいる。

 時々差し入れに来てくれるし、試合も見に来てるから部員はみんな知ってる。うちの三年生、クラスは違うらしい。
 「りお」「りおー」と呼ぶ人が多いのに、この人だけは「利央君」ととても綺麗に発音した。それが嫌味に聞こえない。そう言うと「放送部だからね」とその人ははにかんだ。どおりでどこかで聞いたことある声だと思った。普通にしてるとキレーな感じなのに、笑うとすごく可愛かった(名前さんほどじゃない、けど)。美女と野獣みたいになるのかなと思ったら、和さんと二人で並んだら、本当に、お似合いだった。

「こんな素敵な彼女、泣かしちゃダメですよ」と名前さんは笑ったけど、利央には泣いてるようにしか見えなかった。



















「いちねーん! 足上がってないよー!」

 自転車で伴走している名前さんが、メガホンを使って叫ぶ。利央達は「はいっ」と短く返事をして、「とーせー!」と再び掛け声を駆けながら冷たい風の中を走る。
 すれ違ったおじさんが体をぶるりと震わせてコートの襟を立てるのを見て、利央は肌寒さを思い出した。

 もう11月。あと少ししたら、3年が引退して半年が経つ。みんなのいない部活に慣れ始めていることがいいことなのか悪いことなのか、利央にはよくわからなかった。ううん。すぐに自分の中でその言葉を打ち消す。

(うそだ)

 3年が引退してから―和さんが部活に顔を出さなくなってから―3回、利央は名前さんに告白をした。和さんがいなくなった頃を見計らったみたいで嫌だったけど、でもそれは全くの嘘というワケでもないし、今しか時間がなかった。


 1回目は、二人で遊びに行った時に「オレ達、恋人に見えませんかねェ?」と言った。
 2回目は、「利央はわんこみたいだね」と言われたので「オレ、名前さんになら飼われてもいいです」と言った。
 3回目は、「名前さんはオレにとって大事なヒトです、名前さんにとってオレってなんですかァ?」と聞いた。

 それは告白と呼べるほどはっきりしたものじゃなかったけど、気持ちは伝わると思った。



 それなのに名前さんはいつも笑って誤魔化した。

『恋人っていうか姉弟だよ、ん? もしかして逆とか?』
『えー利央買ったらご飯代大変そうだなー』
『あっ、そういえばさー』

 そうやって優しく笑いながら、名前さんは三度の勇気を踏みにじった。






 悲しかった。
 悔しかった。
 なにより、虚しかった。









「りーーーーおーーーーーー」

 ポスッとメガホンが脳天に命中した。ずいぶん後ろにいたはずの名前さんが、利央の隣を走っていた。見ると、利央だけが一年の集団から外れて最終尾になっていた。

「ぼーっとしない! 車轢かれるよ」
「はーい」
「ヤル気のない返事ー」

 「気合入れろ気合」と名前さんは今度はメガホンで利央の尻を叩いた。予想外に痛い。

 前の集団の様子を見に行くのだろう、名前さんは「もうちょっとだから頑張って」とペダルを踏み込んだ。すっと鼻筋の通った、名前さんの横顔。前ほど輝いているように見えないのは、和さんがいないから、なんだろう。和さんがいなくなったから、もしかしたら名前さんは部活をやめるかもしれないと思ったけど(だって名前さんはあんまり野球に詳しくない)、まだここにいてくれてる。

 どうして人間はだんだん欲張りになっていくのかな。
 前は名前さんがいるだけで、名前さんに会えるだけで幸せだったのに。



「名前さん」

 スピードを落として、名前さんが振り返る。
















「すきです」















 名前さんの目が一瞬、大きくなった。薄く開く唇。



 やっと届いた、そう思ったのに。








 名前さんは再び前を向いたペダルを漕いだ。信号が赤なのに飛び出したもんだから、トラックに思いきりクラクションを鳴らされた。「ごめんなさいごめんなさい」と何度も頭を下げながら、名前さんはどんどん遠ざかっていく。遠ざかっていく遠ざかっていく遠ざかっていく……。










 










 


信号無視
  (おねがいとまっておれのはなしをきいて)







 スタート地点にも立てない、恋心。

















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