町外れの酒場に、トラファルガー・ローが来ている。


すれ違う者達がしていた会話を耳が自然と拾い、キッドは足早にその酒場に向かった。






共にバーソロミュー・くまと闘ってからというもの、キッドとローは顔を合わせてはケンカをし、飲みに行くようになった。
そしてそれを数回重ねるうちに、キッドは腐れ縁や同じ超新星という他に、もっと特別な感情をローに抱くようになっている自分に気付く。
元来自分の気持ちに正直なキッドは素直にそれをローに伝えたが、ローは少しびっくりしたあとやわらかに笑ってそのまま曖昧に流した。それからもキッドは幾度も飲みに誘いまた誘われ、その度にアピールをしていたがローはいつもへらりと笑うだけだった。



話に聞いた酒場に入るとなるほどローが薄暗い店内のカウンターに腰かけている。
数人、周りに白目をむいた賞金稼ぎらしき者たちが倒れていた。どうやら身の程知らずがローに挑んだようだ。そのせいか客はちらほらとしかいない。

(名も知られてないような賞金稼ぎにやられるような奴じゃねぇよ)

少なからず優越感を感じながらキッドは彼等を嘲笑う。彼等にとってローは到底敵わない相手だが、自分はローと対等だ。同じ目線で世界を見ている。
そして。
ちらり、蒼い視線が送られる。
その先にある深海のような瞳と見つめ合い笑みを浮かべるという一連の行為が、まるで秘密の共有の様でキッドの気持ちを高揚させた。
一歩、お互い視線を外さないままキッドが近寄ろうとしたそのとき。

「キーッド!」

語尾にハートをつけた、媚びた声が二人の間に入る。声の主をギロリと睨み付け、一言。

「…どけ」

行く手を阻まれ機嫌が急下降したキッドは温度のない声で告げるが、空気を読めないのか女はものともせずにキッドの腕に絡み付く。

「ヤダァ覚えてないのー?あなたがこの島に来た日にアソんだじゃない」

静かに怒りを募らせていく様子のキッドを、ローはカウンターから眺めていた。
上目遣いで見つめるそれは娼婦のものだ。確かに美しい女だった。飴色の髪と同じ色をした瞳。柔らかそうな体は白くて甘い香りを纏っている。
ローはゆっくりと視線を手元のグラスに移した。

そうだ、これがあるべき姿なのだ。



「ったく鬱陶しい奴だぜ」

結局キッドは先ほどの女にもう一度、今度はより低い声で「どけ」と言っただけで、女は顔をひきつらせ慌てて逃げていったのだった。
当たり前の様にローの隣に座ったキッドは、それをまた当たり前の様に受け入れてくれるローに喜びを感じていた。たったこれだけのことで、とは思いつつ、キッドは初めて感じる思いにふっと笑った。

「なにニヤけてんだよユースタス屋、気持ち悪ぃな」

「……」

この憎たらしい口さえなきゃかわいいのにな、そう思いながらも一方ではこの憎まれ口を叩くのがこのトラファルガー・ローという男らしさなのだと思っている自分がいた。

「うるせえ。てめぇこそ珍しいじゃねぇか、ひとりで飲んでるなんてよ。あのいつものうるせぇ奴らはどうした。」

「ひとりじゃねぇさ、シャチがいる。いまヤボ用で出てるけどな。」

ちらりと下に転がっている連中にローは目線をやった。大方、あのキャスケット帽は残りの雑魚共の始末に行ったのだろう。どちらにしろ、ローがいまひとりという状況に変わりはない。
あの仔犬のようなやかましい奴が来る前に。

「トラファル「ユースタス屋、」」

キッドが言葉を紡ごうとしたところにかぶせるように、ローが言葉を発した。
しかしローはその先を続けようとはせず、手元のグラスを見つめている。
半分ほど残っているそれは氷を浮かべ、時折カランと音を立てながら照明の光を集めて琥珀色に輝いていた。

「なんだよ」

しびれを切らしたキッドが声をかける。

「明日…花街に行ってみねえか、何番グローブか忘れたが割りといい女が揃ってるらしい」

「…あ?」

「こんな街外れでばっか飲んでるから悪ぃんだよ、中心部に行けばいい女はたくさんいるだろ」

「なに言ってんだてめぇ、いきなり、」

「お前どんなのが好きなんだ?さっきの女も実は割りと好みだったんだろ?前遊んだって、」

「オイいい加減にしろ!!」

バンッ!とカウンターを叩くとローはビクリとして一瞬黙った後、

「…おれは男だ」

そう呟く。


「よく言うじゃねぇか、危機的状況を共にした相手と恋に陥りやすいって。お前はあれみたいなもんなんだよきっと。たまたま、一緒にいた相手がおれだっただけなんだ。女といれば、お前は間違えずにちゃんと女を選んでたさ。だから…」

笑顔を張り付けながら抑揚なく言葉を発していたローは、キッドの顔に目線をやって初めて静止した。
盛大に眉間に皺を寄せたキッドが、真っ直ぐにローを見つめている。その目は激しく怒り、そしてほんの少し、確かに傷付いていた。

「だから?」

「え、」

「だから、おれには女の方がいいって?」

ひとつずつ、確認するようにキッドは吐き出して行く。
ローは、わざと目をそらしてそれに答える。

きっと、その方がいい。


「…そうだ。」





「…付き合ってらんねぇ、帰る。」

不機嫌な顔をそのままにキッドはコートを翻して出口へ向かう。

「オイ、ユースタ」

「うるせぇ!!」

怒声と共に飛ばされた覇気に、わずかにいた客達までも泡をふいて倒れて行く。
キッドは少しだけ振り向き、射抜くような視線で捕えて続けた。

「おれのことはおれが決める、てめぇがどう思おうが知るかよ」

ドガァン!とドアを蹴破り、キッドが店を出て行った後には、ローと、キッドがまだ口をつけていないグラスだけがカウンターに残っていた。

氷が溶けて中身の薄くなったグラスに口をつけたまま、何とも言えない表情をしているローの脳は先程のキッドの目だけを鮮明に映し出していた。
怒るだろうとは思っていた。殴られてもしょうがないとさえ思った。
でも、あんな目をされるとは――

「あれはないっすよ、船長。」

ふと気付くと、小五月蝿い賞金稼ぎ共を始末に行っていたはずのクルーがふらりと隣に来ていた。

「…趣味悪ぃぞ、気配消しやがって」

「だって、あいつおれらのことお邪魔虫だと思ってるし」

やさしさでしょ、とシャチは口をとがらせて言う。
確かにな、と思いながらまたローの頭はキッドに埋め尽くされて行く。
子供のようにグラスの縁をかじるローに、シャチは小さくため息をこぼした。

「船長」

「…あ?」

「おれはあいつが嫌いです」

「…知ってるよ、よぉく」

くすりと笑う仕草が、なぜかあの赤い男との絆を感じさせた。


「でも、本気なのはわかります」

「…」

「おれがわかるんだ、船長もわかるでしょ?」

「シャチ、」

「男だってことなんて、あいつの方が何倍も承知で、」



それでもあなたを選んだんだ。



その言葉は、閉ざし始めていたローの心に浸透していった。

「…お前ユースタス屋のこと嫌いなんじゃねえの」

ローの問いかけにシャチはまた口を尖らせ言う。

「だから、嫌いですってば。」

でも、とさらに不貞腐れるように続けた。


「あなたが自分の思う通りにやらないのはもっと嫌なんです。あなたは、自由なひとでしょう?」


だから早く行って下さい、とシャチはローの背中をグッと押した。
その、背中越しに伝わる手のあたたかさが、じわりとまたローに浸透していった。
先程破壊されてしまった入口のドアから押し出されたローが一歩、踏み出そうとしたとき、

「言っときますけど、おれはあいつとの仲なんて認めてないですからね!」

そう背中に投げられた言葉にローは「どっちだよ…」と苦笑する。
だが、背中に残るあたたかさの礼に、ローは右手を挙げて夜の島へ歩いて行った。

ローの後ろ姿を見送ったシャチが店に戻ると、ローが座っていた席にペンギンが座っていた。ペンギンはにやりと笑みを浮かべ、シャチに声をかける。

「お前も成長したな」

「だってしょうがないじゃん、あいつと会ってからの船長楽しそうだし」

「ほんと、船長も素直じゃねえからなー…」

「まったくだよ」

そう会話を続けているハートの海賊団2名は、文句を言いながらもとても穏やかな表情をしていた。








陽も落ちかけ夜の様相を見せ始めた島の中心を通り抜け、ローはキッドの船へ来ていた。看板に乗り上げ船長室に向かうが、クルーたちはひとりも出てこない。理由は、明確だった。
船につく数十m前から気付いてはいたが。
チリチリと鳴りながら引き攣る、本来なら磁石には反応しないはずの耳のピアスと、中から聞こえる破壊音。困ったなぁと苦笑しながらローは船長室に入った。

「トラファルガー、いま、ちょっと、」

「悪いなキラー屋、邪魔する」

室内には部屋の主であるキッドと、そしてキラーだけがいた。おそらく他のクルーは、キッチンや武器庫からものが飛んで行ったりひき寄せられたりするのを必死で食い止めているのだろう。その努力の甲斐があるのだろう、大きな物音は他からはしない。しかし代わりにキッドの部屋は大惨事となっていた。
キッドは止まったまま、こちらを見ようとしない。

「ユースタス屋、悪かった」

キッドの後ろすがたに声をかけるが返事はない。

(やっぱりお前が原因か…)

と、キラーはと秘かにため息を吐いた。



「なぁ、」

「…いい、もう知らねえ」

「拗ねんなよ、ユースタス屋」

「拗ねてなんかねぇよ!」

ガシャーン!
また一つ、キッドの銃が飛んでいき窓ガラスが割れる。

「…キッド」

怒りを込めたキラーの声に、キッドはちくしょう、と小さくつぶやいた。

ローは改めて彼の想いを感じた。あの、泣く子も黙るような顔した男が。でかい図体に見事に隆起した筋肉を備えた凶悪な男が。3億1500万の、ユースタス・キッドが。自分のせいでこんなにも拗ねている。傷つけた後ろめたさはもちろんあるが、それよりも愛しさが募る。


「キラー屋、大丈夫だから、二人にしてくれるか」

眉尻を下げたローに見つめられ断れるわけもなく、キラーは部屋を出て行った。



二人になった空間で、もう一度、ローが声を発する。

「悪かったよ、ユースタス屋」

お前の気持ち知っていながらあんなこと言って。


そういうとキッドは不貞腐れたように、

「…てめぇにとってはどうだっていいことだったんだろ」

と返す。カツカツと、ローのヒールの音が近づいてきてもキッドは振り返らなかった。

「だから拗ねんなって」

「だから拗ねて…ッ」

ちゅっ
悔し紛れに振り返って怒鳴ろうとしたキッドの口に、ローは触れるだけのキスをした。
初めての、キスだった。
思わずぽかんとするキッドに、ふっとローは笑う。

「いつも嬉しかったんだ、ほんとに。でも素直に受け止めるにはあまりにも現実離れし過ぎてた。」

「…なんでだよ」

「逆の立場に立ってみろ、普通叶うとは思わねぇだろ…男相手に愛だの恋だの。」

「…つまりてめぇはハナからおれのこと好きだったってことだな?」

がしりとローの肩をつかみ、キッドが真面目な顔で聞いてくる。


――そうだよ。言うつもり、なかったのに――


「そんな極悪面してこんなに真っ直ぐなんて、どんだけギャップ萌え狙ってんだよ」

見事にやられたぜ。
そう言いながらローはキッドの首に手をまわした。それに応えるように、キッドはローを抱き寄せる。


ずっと、ずっと欲しかったぬくもりと体温が、いまやっと手に入った。















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