谷村が仕事へ行ってから
一時間程経った頃





コンコンコンッ


チャイムに気づいていないのか
それともわざとなのか…
ドアをノックする音が聞こえる

起き上がるのが精一杯で
玄関まで向かう気力はなかった

一体誰だろう…
そう思ったとき





「なまえ、居んのか?」



私を呼んだ声は、冴島さんだった



「なんや、居らへんのか?」

「い、居てますよ〜…
って、聞こえてないか…」



弱々しく出てきた声に
自分で驚くほど声が小さくて

でも、そんな小さな声も
聞き逃してはいなかったようで




「やっぱり居るな
勝手に入るで」





ガチャ、と玄関が開く音がする



「なんや、ほんまに開いとんのか
無用心にも程があるんちゃうか…?」



谷村は開ける技術はあっても
帰りに閉める時のことまでは
考えていないようだった

それよりも、冴島さんが
わざわざ私の家まで
着てくれたことに驚く


寝室までたどり着いた
冴島さんを見上げては
ゆっくり体を起こそうとする



「冴島さん、すみません…
いま私、風邪気味で…」

「知っとる、此処に来るまでに
谷村に会うたからな」

「せっかく来てくれたのに
なにもできなくてすみません
あ、…お茶でもいります?」

「アカン、立たんでええ
いまはそのまま横になっとけ」

「は、はい」




冴島さんのあの迫力のある
低音の声は、少し抑えられていて
今日はいつもより深く、優しげな声だった




あまり二人きりに
なったことがなかったから?
それとも、風邪だから?

うまく目線が合わせられず
冴島さんがこっちを
見ていることが分かると
熱が上がったように感じた





「なまえ」

「は、はいいっ」

「しんどないんか?
俺にできること、なんかあるか?」

「さ、冴島さんまで…ほんと
気を遣わせてしまってごめんなさい」

「そんなん、気にしてへんわ」




頭がぼーっとする中、
ベッド横へと座り込んだ
冴島さんを、ちらっと見た


冴島さんと目が合うと
「ん?」と低い声で問いかけ
軽く首を傾げる姿を見て

私はなにを思ったのか
こう呟いた





「…冴島さんの手」

「ワシの手がどうかしたんか?」

「…欲しいです」

「え?」

「えっ?」

「お前、なに言うて…」

「い、いやっ…その…っ
いまのは忘れてくださいっ!!」



私は冴島さんに出会った時から
冴島さんの手は大きくて
分厚くて、ごつごつした
男らしい手だな、と思っていた

そして一度は触ってみたい
とも思っていた


なぜいまこのタイミングで
言ったのか自分でも謎だった




「き、きっと風邪のせいですよっ…!
あは、あははは…」



無理に誤魔化そうとすると
尚更自分が怪しくて泣きそうになる

さすがの冴島さんもドン引きのようだった





「うっ、なんで今言ったの自分…」

「………」

「さ、冴島…さん…?」

「…こんな手でええんなら
…お前にやるわ」

「……えっ?」




冴島さんは私の肩横に
その手を添えてくれる

私は冴島さんの顔と手と
交互に見つめた


「ほ、ほんとにいいんですか?」

「お前の好きなようにしたらええ」

「…〜っ!!」



あまりの嬉しさに
風邪とは思えない程
声にならない声があがる

冴島さんはやれやれ、と
言わんばかりの顔をしていた




「お前、ほんまに変わった奴やな…」

「さ、触ってもいいですか」

「お、おう」

「おぉ〜…大きい」




そこだけ聞くと変態に思われそうだが

でもそんなことを気にする
こともなく私は冴島さんの
腕を軽く引っ張り寄せると
勢いよくぎゅっと抱き締めた



「っ、お……おい…なまえ」

「冴島さんの手、落ち着きます」

「…そ、それは、良かったな…」

「…??どうかしました?」

「……っ、…」



冴島さんの様子がおかしい
急に目線を合わせてくれなくなる
私、なにか失礼なことでも
言ったんだろうか…

そんなことを思っていると
冴島さんの顔が徐々に赤くなっていた




「冴島さん…?」

「……なまえ、む…」

「む…?」

「む、胸が…当たっとる…」

「………あっ」




がっつり抱き締めていたからか
冴島さんの手は、私の片方の胸を
覆うように添えさせていた

その手は、がっちり固まっている




「い、一旦離してくれ……」



焦る冴島さんなんて珍しく
私はそんな姿を見て
少し意地悪なことを考えてしまう



「…いやです」

「っ…?!」

「もう私のですもん」



ぎゅっ


手はもっと私の体に沈む


「っ……なまえ」

「そうですよね…?」



ぎゅうっ

さらに、手は沈む



そんな状況に冴島さんは
諦めたのかぐっと堪え
目を瞑り顔を逸らす

そんな姿をみて私は
少し優越感に浸れた気がした





満足した私はゆっくり
冴島さんの手を離す


「…冴島さん、すみません
少しやりすぎました…
大丈夫ですか…?」

「っ…別に平気や…」


冴島さんの顔は赤く
また強ばっていて
離された手をベッドから降ろすと
ぼそっと、なにか呟く



「…お前が病気で良かったわ」

「??どうしてですか…?」

「……危うく襲……
いや、なんでもない…
俺もまだまだっちゅうことやな…」


冴島さんはなにか言いかけたが
ぶんぶん、と首を振り
自分で自分を説得させるように
顔を軽く何回か叩いて立ち上がった




「今日はもう帰るわ…」

「もう帰っちゃうんですか…
私、こう見えて熱あるのに…」

「…どっからどう見ても
健康体そのものやけどな」



冴島さんはそう言いながら
玄関へと向かっていく


でも確かに冴島さんが来てから
体が少しマシになっていた

冴島さんから元気を
横取りしてしまった
ような気もしないが…




「あ、あのっ…冴島さん!
また手、貸してくださいね」

「…手は貸さへんけど
手助けの手なら貸したる」

「…上手いことかわされた…」

「……ほんじゃあ、またな」


赤く染まった顔を振り向かせては
いつもの表情をこちらに見せ

私がそれに応えるように
にこっと微笑むと、冴島さんは
そのまま部屋を出ていった




それが午後になった
ばかりの時の、出来事。








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