机を挟んで目の前にいる黒髪の男は静かに微笑んで、此方の話に相槌を打っている。
何処か自分に似ているような、けれどもやはり何かが違う、不思議な雰囲気を纏うその黒いスーツに黒髪の男はキング、と名乗った。
彼はあの赤毛の青年、ラコステ=ビアスの所属する組織のボスという。
色々な手違いと偶然が重なったとはいえ、部下を拘束し拷問までした人間と喋っているとは思えない穏やかさだった。
というより、此方の謝罪を受け入れて許したというより、まず部下を拷問されたことなどどうでもいいというような、そんな雰囲気だった。
事実、彼はそのことに対しては「間違いは誰にでもあるからねえ」の一言で済ませてしまい、そのあとは世間話にと話題を変えてしまったのだ。
どうにも調子が狂ってしまう。
檸檬を浮かべた紅茶と共に(黒髪の男が飲んでいるのは本人の希望で緑茶だったが)想像もしていなかった程に他愛もない話をしながら、ふと、違和感を感じた。
酷く心がざわつきだして、落ち着かない。しっかりと身に纏い、ネクタイまで締めているヴェラドニア軍指定の青い軍服を崩されているような。
見えない無数の小さな手に身体のあちこちを探られて、臓器まで触られているような。
そんな感覚が、気付けば続いている。落ち着かない。落ち着かないが、それを表に出しはしない。相手を不安にさせるのも忍びないと、変わらない様子を演じた。
そしてそんな異様な感覚の他に、落ち着かない原因はもう一つ、ある。それは黒の男の様子だった。
にこにこと微笑んでいるのは最初からだが先程から、丁度違和感を感じた辺りと重なるのだろうか、その笑みの質が変化しているような気がするのだ。
それは、そう、何かが楽しくて楽しくてしょうがないと言わんばかりの、そんな無邪気な子供のような笑み。
交わした話を思い出してみてもそれは別段面白い話題ではなかったし、何か笑えるような冗談を混じえた覚えもない。
一体彼は何が可笑しいのだろうかと思いながらもそれも表に出さないことにする。考えを押し込んで装うのは得意だ。
失礼、と言って立ち上がる。話をするうちに、簡素な白いカップに注がれた紅茶が二人の胃袋に殆ど収まって、そのどちらも底の白が覗くほどになっていたからだ。
自分が口を付けたカップの取っ手に右の指を掛け、そして男のカップの取っ手へ同じように逆の指を掛けようとしたとき、不意に男が名前を呼んだ。


クリス君。


その静かな声に、はい?と男の声に机へ下げていた視線を上げる。当たり前のように視線の先には微笑みがあった。どうしましたか、と尋ねたときに無意識に首を傾げてしま

って、右肩で束ねた自身の青灰の髪が視界の端で揺れた。彼の唇がまた同じ動きをする。くりすくん。

「不思議に思わせてごめんね。隠さずに言ってくれて構わないよ。だって僕には演技も、それに嘘もね、意味がないんだ」

氷で作られた短剣を、真っ直ぐに心臓に突き立てられたようだった。
彼の前で振舞った行動はごく自然なもので、眉の動き一つにすら彼を不審がる様子など見せた覚えはない。
どうして、と一気に跳ね上がる心拍数と無意識に強張ってしまう表情筋を宥めて、右手のカップを一度机に机に置く。
そのまま、一体どういう意味ですか、と男に尋ねた。
彼はくすくすと、それはそれは楽しそうに笑った。
無邪気な子供のような笑み。新しい玩具を親から贈られた子供のような笑み。

「やっぱり君は面白いね。だから失礼ながらつい笑ってしまったんだけど。君は本当に嘘と演技ばかりなんだね、内側を見るのがすごく楽しいよ」

どくん。と。再び心臓が肉の内側で大きく跳ね上がる。
彼の言葉の通りだった。嘘も演技も、自分を構成するもの。呼吸をするごとく行うもの。
だからこそ得意だ。演技をするのも嘘をつくのも。
どうして、目の前の知り合って間もないこの男が、それをあっさり見破ってしまうのか。
もう、強張った表情を上手く宥めることも出来ずに。
ただただ、愉快そうな男の笑みを見つめた。
男は言う。楽しそうに、楽しそうに笑いながら。

「驚かせたね。でも、僕に嘘や演技が通じないのは本当だから」

何故か教えてあげようか。
そう言って彼は黒い袖から覗く白い手をこちらに伸ばしてきた。
ふわりとそれが身体に触れてくる、恐らく食物を溶解する液を溜め込んだ臓器が存在する辺りに。
それは確かに固い軍服の上を軽く無でただけなのに、素肌に直接彼の手が触れた気がして思わずびくりと身体を引いてしまった。
それに驚いた様子も見せず、男は変わらぬ笑みを浮かべてまた同じように触れてくる。間違いなくそれは青い布地の上にあった。

「僕の目にはね、全部、全部、見えるんだよ」

君のお腹の中も、と彼の唇が紡いだとき、腹部に触れていたその手が引かれたとき、すうと、ずっと笑みの形で閉じられていた彼の目蓋が開かれた。
彼の瞳の黒を、深淵の黒を、ここで初めて覗いた。いや、覗き込まれたというべきか。輝きのない黒曜石の視線に絡め取られる。
捕らえられたと気付いたとき、恐らく本能と呼ばれる心の奥底の自分が切羽詰った声で叫ぶのが聞こえた。


め を み る な 。


しかしその忠告は遅かった。目を逸らそうとしたその瞬間には先程と同じ無数の見えない手が身体をまさぐり、皮膚を突き破って腹に詰まった臓器を掻き回してきた。
さっきまでは軽く触れてくるだけに留まっていたその手は、今は無遠慮に這い回って全てを探ってくる。
嘔吐感にも似た込み上げる不快感に身体を思わずくの字に曲げて堪える。喉から悲鳴とも喘ぎとも取れる声が漏れるのは唇を噛んで抑えようとしたが、無駄だった。
倒れ込みそうになる身体を右手で椅子の背を強く掴むことで支える。あまりにも力を込めすぎて血が通わないために手は白くなっていた。
これは錯覚だ。
何故ならば腹を見ても手が腹の中を掻き回している様子はないし、血すら一滴も滴り落ちていないのだから。男は只、此方を見ているだけなのだから。
例え彼が本当に全てを見通しているとしても、これは錯覚に違いないのだ。
それなのに、身体はまるでそれを現実だというように受けて、酷い不快感を作り出してくる。
意味など成していないただの音が引き攣れる舌から落ちて、空気を震わせては消えていく。
時間を停止させた後に必ず聴力を失う耳を煩わしく思ったことはあるが、聴力の正常な耳が嫌になったのは初めてだ。
臓器をぐちゃぐちゃと触られるたびに、その奥に隠したものが、普段嘘と演技で隠しているものが、引き摺り出されているように思えた。
嘔吐感に殆ど回らない頭で考える。この蠢く手が自分の作り出した幻だとしても、彼はやはり引き摺りだそうとしているのではないだろうか。
今まで嘘や演技で覆い隠していたものを、と、考えた時、不意に探っていた手が大人しく引いていった。ずるりと腹からそれが抜ける感覚に一瞬背中が粟立って、そのまま椅子を掴んでいた右手が滑らかな木の上を滑り落ちていった。
疲労感や嘔吐感やその他を組み合わせたような酷い気分に、ずるずると床に崩れ落ちて体を抱いた。はあはあ、と浅く短く繰り返す吐息は自分のもの。
今まできっと自分は全ての服を剥がれていたのだ。軍服の釦一つ外れていないが、それでも自分は丸裸だったのだ。
幻に嬲られていたのは数分だろうか、もしかして数十秒や其処らだろうか。胸の銀時計を取り出して時間を確認する力すらない。
頭の中は羞恥や恐怖や嘔吐感のどろどろとした感情が渦巻いて、論理的に物事を組み立てようとしたところですぐに霧散する。
汗までかいていて、額や首筋に張り付く髪が酷く気持ち悪かった。

「ごめんね、そんなに嫌だったかい?」

静かな声に緩慢に其方を見上げた。黒の男が微笑んで此方を見下ろしていた。目蓋は再び笑みの向こうに閉じられて、深淵の黒は見えない。
「そんなに嫌がると思わなかったよ。僕の力だけじゃそんなに酷いことにはならないんだけど、君の身体が拒絶しすぎたみたいだね」
腰を下ろして、床に崩れている此方に目線を合わせてくる。白い指が汗で張り付いた前髪をかきあげてきた。
ふふ、と笑い声。微笑みが、楽しかったよ、と、言った。


20120606 ハローワルイコ




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