ぴちゃぴちゃ、と。湿った音がする、水の音がする。
ベッドの中で風邪の熱に浮かされているときの様なぼんやりとした意識、その濁りの中で、異能を使っていない正常なはずの聴覚が近いそれを曖昧に捉えている。ぴちゃぴちゃ、。
目は霞んで遠くはよく見えない。がりっ、ぶちり、。嗚呼、どうやら、視覚は上手く働いていないようだ。ぴちゃり、。
原因は恐らく触覚の大部分を占領する肌を滑る生温い液体のせい。がり、り、ぴちゃり、。
鉄の匂いが嗅覚を覆うそれがあまりにだらだらと流れ落ち続けているせいで、貧血を起こしているのだ。そのせいで、目が上手く物を見ようとしないのだろう。ぶち、ぶちり、ぐちゃ、。
けれども充分だ、目の前で蠢く音の正体を見るのには。充分だ。すう、と酸素を肺に引き込んだ。鉄が気管を満たして味覚まで侵す錯覚。

キオ君。

唇を動かす。喉から作る音を舌で繋ぎ合わせて、名前を呼んだ。音が戸惑い揺れて、ぴた、と止んだ。音は止んだ。ぴちゃという水音も、がりっという硬質を噛じる音も、ぶちりという引き千切る音も、ぐちゃという柔らかな何かに触れる音も。
全てが全て静かになって、其処には座り込む人影が在った。風が走る草原の緑を塗りつけたような長い髪、頭の天辺で跳ねた一本の髪束が存在を主張している。きょとんとしたような緑の目、此方を見て、微笑む。
口元には真っ赤な腕、血塗れであちこちの肉の抉れた腕。けれども彼の肩から生える二本の腕はその手を支えている。
この説明を聞いた人間は可笑しいと首を傾げるだろうか?何も可笑しいことはない、何故なら、自身の右肩には腕がないからだ。
支えるのに彼の腕が二本、此方の右腕が彼の口元に血に汚れて一本、ほら計算が合っただろう。
視線を微笑む彼から右下斜めへ、右肩へ。恐竜の血が入っているのだという、常人離れした怪力を持つ彼の手に腕を力任せに引き千切られた右肩。裂かれた軍服の青が纏わりつくその場所の、毛羽立った筋繊維、滅茶苦茶になった肉からはまだ紅い汁がぽたりぽたりと垂れ落ちている。
未だに流れの止まらない生温い血液が青の軍服にも床も染みをつけ、汚していくのに、右腕をもぎ取られたというのに、何故か痛みが無いのが不思議だった。
きっとさっきから思考を鈍らせているこの熱が原因に違いない、はて、薬物を使われたかそれとも何かの異能か。それとも自身の神経が異常に焼き切れて、もう何の痛みも感じない只の人形と成り果てたか。
笑った。笑って、彼に尋ねた。

美味しいかい。

彼は笑う。ぱっと、花が咲くように、無邪気に、可愛らしく。赤に汚れた顔の口角を上げて、唇は弧を描いて、上機嫌を表情に乗せて、笑う。

美味しいですっ。

恐竜の大きな尻尾がぱたぱたと動き回る。感情表現の豊かな器官だ。
そうかい、それなら良かった、と微笑むと、はいと元気よく答えて、また食らい付く。取れかけた人差し指がやっと手と形容させるその肉に、恐竜が食らい付く。

ぴちゃぴちゃ、がりっ、ぶちり、ぐちゃ。

茫と自分の肉が食われるその音を聞きながら、どうして彼の胃袋に右腕をやることになったのか思い返す。たしか、たしか、彼は腹が減ったと言った、何もないと答えた、そうして、そうして、。
思い出せない、と首を振る。これも熱のせいか、兎も角今は何時なんだろうか。何時もの懐中時計を胸から取り出そうと右手を動かそうとして、その右手が無いことを思い出す。

馬鹿だなあ、無いんだった。

鉄の匂いが充満する底、恐竜と二人の底で、笑う。



20120627 風邪引きと五感の互換性




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