3.それぞれの夜があるらしい



「七海〜!飲み行こーよ!」
「遠慮しておきます」

 呪術師として復帰してからというもの、度々飲みに誘う五条に七海はうんざりしていた。自分は飲めない癖にこうして誘ってくるものだから、飲み会の意味を考えてから言えというのが正直な感想だった。
 高専時代からすると大人になって落ち着いたと思った先輩は、しつこく絡んでくるのは変わらない。七海がこちらに戻って来てから修正した五条の評価を再度修正することとなったのは言うまでもなかった。

 もう誘いを断るのも両手で足りないくらいになってきた今日この頃。いつものようにそのまま帰ろうとした七海を引き留めたのは、いつもとは違う誘い文句だった。

「アイツのこと、ちょっと話したいんだけど。ついでに飲まない?」

 『アイツ』というのは十中八九、伊地知の同期の彼女のことだろう。七海が気になってしょうがない女性。彼女のことを話題に出されれば、渋々ながらも五条についていく他無かった。










 五条さんが終業間際の伊地知くんも連行し、三人での飲み会となった。五条さん行きつけの居酒屋で、隣同士に座った伊地知くんと私はビールを、私の向かいに座った五条さんはメロンソーダをジョッキで頼む。やはり五条さんはアルコールを飲まないようだった。それに加えておつまみもいくつか注文する。
 主に五条さんが昔話に花を咲かせていると、注文したものが揃い始めた。三人の手元にジョッキが揃い、乾杯をしたところで五条さんが口を開く。

「ねぇ、伊地知。最近頑張っちゃってるアイツのこと、どう思う?」
「その……私が言うのもなんですが、かれこれ2ヶ月は働きづめです。最近は体調も悪そうに見えるので、とても心配なところではありますね……」

 ここでも『アイツ』が誰かなんて確認することもなく会話が始まる。それくらい彼らにとって彼女が身近な存在であるという証拠だった。
 
「伊地知くんは休暇を取ってください。それにしても彼女はいつもそんなに任務を詰めているんですか」

 無意識に眉間に皺が寄る。彼女のことになると普段より感情が顔に出てしまう、というのはここ最近で改めて自覚したことだ。悪い癖だと思いながらも、高専の頃から変わらない癖は直す気にもなれなかった。
 休みを取らないということは、体調、引いては呪霊を祓う際のコンディションにも影響するということである。ただでさえ常に死がついてまわる職業。五条さんならまだしも、彼女がその状態にあることに不安を覚えた。

「ありがとうございます、七海さん。彼女も、普段はそこまで自分を追い詰めるようなことはしない人なんですが」
「そうなんですか?」
「お前が出て行ってからと、戻って来てからだけだよ。アイツがこんなに無理してるのは」

 五条さんの言葉に、傾けていたジョッキをテーブルに置いた。少し驚きつつ彼を見れば、いつもの軽薄な笑顔ではなく、真剣な表情が見て取れる。

「1回目は七海が呪術師を辞めた時。何をしていいか分かんないって感じで、がむしゃらに任務受けては怪我して帰って来てた。それを見兼ねて僕がアイツに稽古をつけ始めたんだよ。大事な後輩に、永遠にさよならするのはもうごめんだったからね。そして今回だ。判るだろ、七海」
「……私のせい、ということですか」

 彼女が自分のせいで無理をしたということに、心苦しいと思う反面、どこか嬉しいと感じてしまう自分もいた。彼女が自分のせいで揺らいでくれた、という事実に喜ぶ自分が酷く最低だという自覚はある。

「そうだよ。お前がアイツを認めてやんないからだよ。お前が拒絶したあの時から、アイツの刻は進んでいるようで、進んでないんだ」
「……それは」
「アイツももう一級になったし、そろそろ認めて欲しいんだよ。憧れの七海先輩にさ」
「そう、ですね。彼女は七海さんに認めてもらいたい一心で鍛錬や任務に励んでいた節がありますから……きっと七海さんに追いつきたいのだと思います」
「だから休みも取らずに任務をこなす、と」

 五条さんと伊地知くんの言葉に息が詰まった。彼女からの直接の言葉でないにしろ、この二人からの言葉は事実であるのと同義だ。彼女への未練が消せずにこの世界に戻って来たというのに、自分の存在が彼女を危うくしているなんてとんだ皮肉である。再会してすぐの組み手では彼女の成長を思い知ったのに、未だ認められないと思うのは、彼女を自分の庇護下に置いておきたいという思いが捨てきれないからだ。

 ただ単に自分のエゴを突き通したいだけ。どうしようもない性格である。
 考え込んでいると、五条さんが唐突に明るい声を出した。

「なーんて、今日は七海のことを責めに来た訳じゃないから!僕のナイスアイデアを聞いて欲しくて集まってもらったんだよ!」
「五条さんのナイスアイデアというのは嫌な予感しかしないのですが」
「まあまあ、とりあえず聞きなって。名付けて、『素敵な休日大作戦』!」

 ネーミングセンスはどうにかした方がいいと思いつつ、それから場の空気を変えるようにテンションを上げて話し始めた五条さんの話を聞くと、それは私たち三人で協力し、彼女を休ませようという計画らしい。
 伊地知くんが彼女の任務を調整し、私たちのどちらかが彼女の任務を肩代わりするという、至ってシンプルなもので、彼女に素敵な休日をプレゼントするのだそうだ。

 彼女もそこまですれば休まざるを得ないだろうと、得意げに言う五条さん。彼にしては突飛な案でないことに私も伊地知くんも驚いたが、素直に良い案でであると認めるのが少し癪なのは何故だろうか。

「ということで〜僕と七海で役割を決めたいと思いまーす!七海は任務を肩代わりして前日にアイツを家まで送って行くのと、休日に付き合ってあげるのはどっちがいい?特別に選ばせてあげるよ。まあ僕は優しいから?任務の方で__」
「私は前者の方でお願いします」
「えー?なんで七海が連れて行ってあげないのさ。アイツも七海と一緒の方が楽しいと思うよ?」
「彼女は……私がいるとリラックス出来ないと思うので。嫌われていると思っている相手と久々の休日を過ごしたいと思う人はいないでしょう。それに、彼女に与えられた任務を五条さんがやるというのは些か通らない話なのでは?」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」

 彼女が休みを取って、死ぬ確率が下がるならどうでもよかった。どんな役回りを請け負おうとも。過去に憎まれ役を買って出た時点で、彼女の私に対する好感度は底辺だろう。今さら彼女と仲良くできるとは思ってもいない。
 渋々といった形で了承した五条さんは、休日の計画について話し出す。

「彼女の休日、私は同行できませんが、このカフェに連れて行ってあげてくれませんか」
「あ、そこ最近話題のカフェですよね」
「ふーんそうなんだ」
「ここ、ミルクティーが評判なんです。雑誌で見ていましたし、彼女はミルクティーが好きですから、きっと喜ぶと思いますよ」

 先日、彼女が好きなものはあの頃から変わらないことを確認した。高専の事務室で雑誌を見ていたのも目撃したし、喜ぶのは間違いないと思いたい。
 高専時代は休日になるとよく彼女とカフェ巡りをしたものだ。ミルクティーの美味しいカフェを探すのだ、と連れまわされていたことは今でもよく覚えている。ただ、あの頃とは違い、彼女が美味しそうにミルクティーを飲む様子を見られないということは残念だが。

「一つ、お願いがあるのですが、いいですか」
「何?」
「……彼女の写真を撮って来てくださると嬉しいです」
「写真?なんで?別にいーけど」
「今の彼女が笑っている写真が欲しいんです。私の前ではもう見られない表情ですから」
「七海さん……」
「わかった。良いよ。それにしてもお前、そんな顔も出来るんだね」

 五条さんに指摘されて、先ほどとは打って変わって自分の顔が緩んでいるこに気がつく。もうしょうがないことだと、何も答えなかった。

「ま、プランはそのくらいにして、今日は飲もっか!伊地知は日程の調整、頼んだよ!」
「が、頑張ります……」

 時間が経ってぬるくなったビールを煽る。そうして彼女のための計画立案は終わりを告げたのだった。



◇◇◇◇◇



 同日、男性陣とは違う居酒屋。

 硝子先輩に連れられ、私は行きつけの居酒屋に飲みに来ていた。

「硝子先輩、聞いてくださいよぉ!」
「何を聞いてほしいんだ?」
「七海先輩のことですぅ!」
「あーはいはい、七海のことね」

 お酒もいい具合に進んでおり、ほどよく酔いが回っていた。明日も任務があるけど、それは午後からなのでもう少し飲んでも大丈夫だと思ってる。ここぞと言わんばかりに、硝子先輩に愚痴を聞いてもらおうと話し出した。

「事あるごとに『まだ辞めてないんですか』って言われるんですよ!どう思います??」
「あーそれは何というか、もはやお前たちの挨拶みたいなもんだろ」
「私、もう一級になったんですよ!?そんな弱くないです……特級にでもなれって言うんですかね」
「まあ、それは無理があるよね」

 七海先輩と同じ一級。認めてもらえると思っていた肩書きは、何の効果も発揮してくれなかった。先輩と同じ一級まで上り詰めたなら、何か変わると思っていたのに。
 認めてもらえないと分かった時、何を目指したらいいのか解らなくなった。その結果が今の状況である。

「わかってるんですけど……もう何したらいいのかわからなくって」
「でも、だからってこんなに任務を受け続けるのは違うんじゃない?毎回そこまで怪我して来ないのがせめてもの救いだけど。このまま行ったら、いつかヘマをしたっておかしくないと思うよ」
「それは……」

 わかってる。任務を詰めすぎている自覚はある。だけど、それ以外に何をしたらいいんだろう。何も言い返せることがなくて、ハイボールのグラスを煽った。
 それを見兼ねたのか、硝子先輩がスマホを片手に話を変える。

「あんたはさ、七海のことはどう思ってるの」
「七海先輩のこと、ですか」
「まだ好きなの、あいつのこと」
「……じゃなかったら、こんなになってないです」
「それもそうか」

 忘れられたらどんなに良かったか。幸か不幸か、七海先輩は今も昔も私の思考の一角を占めている。あの事件から関係が変わったとしても、尊敬もしてるし、好きだという気持ちも変わらなかった。

「しかも、めちゃくちゃ格好いい大人になって帰ってくるし、私の好みは覚えててくれるし、なんなんですか。そうです、まだ好きですよ。そんなことされたら諦められないじゃないですかぁ……」
「罪な男だな、あいつも」
「ほんとに、やんなっちゃいますよ」

 そう言ってスマホをしまった硝子先輩は気の毒そうに私を見た。どうせ叶うことのない想いだ。酒の席でくらい口に出しても構わないだろう。

「まあ今日は私の奢りにしてやるから、明日に響かない程度に遠慮なく飲みなよ」
「ほんとですか!ありがとうございます!」

 そう言われて上機嫌になった私は、空になったグラスを置いてメニューに目を走らせた。



◇◇◇◇◇



「あ、硝子からLINE来た」

 スマホの通知を知らせる音にディスプレイをつけた五条さんが呟く。ビデオも送られてきた、と言って私たちに見せようと身を乗り出してきた。
私も伊地知くんも差し出された画面を見る。
 止まったままのディスプレイを見ると、映っているのは先程まで話題に上っていた彼女だった。五条さんが嬉々として再生ボタンを押す。

『七海のあんたはさ、七海のことはどう思ってるの』
『七海先輩のこと、ですか』
『まだ好きなの、あいつのこと』
『……じゃなかったら、こんなになってないです』

 それは彼女の、私に対する想いを、硝子さんが聞いたビデオだった。
 
「五条さん!」
「いーから。見てなって」

 声を荒げた私とは対照的に楽しそうに笑った五条さんは、私の手の届かないところまでスマホを持っていくと、そのまま動画を流し続ける。

『ほんとに、やんなっちゃいますよ』

 彼女の苦笑いで終わったその動画は、短いものだったと思う。しかし、彼女の胸中を知るには十分だった。

「五条さん、これは」
「硝子に頼んで聞いてもらったんだよ。感謝しろよ?」

 曖昧だったあの頃の関係から、彼女の時は止まったままのようだった。こうして聴くとなお現実味を帯びたその言葉が私の心に突き刺さる。伊地知くんも知っていたのか、この動画を見ても困ったように笑うだけだった。

「七海もさ、辞めろって言うんじゃなくて、自分の好意を伝えようとは思わない訳?『好きです!自分のために呪術師辞めてください!』みたいな」
「たくさん話を聞かされた身としては、案外彼女だったらそれだけで落ちてくれそうだと思いますよ」
「そういうものですか」
「そうだよ。素直になって、認めて、そんでもって甘やかしてあげればイチコロだって!」
「……考えておきます」

 彼女に呪術師を辞めてもらう。あの日からの想いは変わらない。しかし、そんな変わらない決意に新たな選択肢が加わった、そんな夜だった。












○酔って愚痴った夢主
・どうして!!七海先輩は!認めてくれないの!!!
・日頃の不満が爆発した。
・家入に動画を撮られていたことは知らない。
・酔って帰っても明日にはケロッとしてるくらいにはお酒に強い。

○五条に連行された七海建人
・後輩のことって言われてついていくしかなかった。
・先日の自販機の件で後輩の好みが変わってないことを確認。
・後輩のことは気になっちゃうから、目に入るところにいるとつい見ちゃう。
だから後輩のことは割と知ってる。
・動画を見て、呪術師を辞めさせる方向をシフトチェンジする未来があるかもしれない。

○後輩二人を連行した五条悟
・後輩の彼女のことが心配だったし、後輩たちと話をしたかったから飲みに誘った。
・頑なに自分が鍛えた彼女を認めない七海には、一言言ってやりたかった。
・硝子とは結託してた模様。
・後輩たちが幸せになればいいな、と思ってる。

○ちょつと空気だった伊地知潔高
・五条に無理やり連れて来られた人。同僚からは笑顔で送り出された。
・この人も同期が心配だからとついて行くしかなかった。
・七海には同期の彼女を落として幸せになって欲しいと思っている。
・この後の任務の調整で胃が痛い。

○後輩を飲みに誘った家入硝子
・任務続きでヤバそうだったから後輩を飲みに誘った……というのは建前で、五条から後輩の七海に対する想いを聞き出してこいという任務をこなした人。
・五条とグルでした。
・自分も聞きたいと思っていたから、珍しく対価は要求しなかった。
・後輩の彼女が幸せになるならそれでいいと思っている。



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