4.嫌っているのに心配はしてくれるらしい

 今私は七海先輩に手を引かれながら、高専の廊下を歩いています。
なんでかって?それは数分前に遡る。


「伊地知くん、これお願いしてもいいかな」
「報告書ですね。ありがとうございます。あと、こちらが明日の任務の資料になります。目を通しておいてくださいね」

 今日の任務の報告書を提出し終わった時だった。明日も任務が入っているので早めに帰って明日の資料を読もうと思ったところ、伊地知くんに呼び止められる。

「最近任務を詰めすぎていませんか?かれこれ二ヶ月は働き詰めです」
「え、そうだっけ?」
「それくらい自分で把握していてくださいね。私が言うのもなんですが、少し休みを取った方が良いと思いますよ」
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとね」

 最近はちょーっと任務を多めに入れてもらってる自覚はある。でも約二ヶ月前に復帰した先輩に対抗しよう、それには実践あるのみ!という自分の中の目的があったりするのだ。
 我ながら思考がちょっと脳筋のそれだと思うけど気にしたら負けだと思う。目指せ七海先輩に認められる後輩!

「いや、大丈夫ではなさそうなので言っているのですが……あ、七海さんからも言ってあげてください」

 伊地知くんの言葉に振り返るとそこには七海先輩が!なぜ!最近会わないと思ってたけど、なんでこういう時に限って遭遇するのか。

 私がそう思っている内に、伊地知くんは最近の私の任務状況を洗いざらい話してしまった。ついでに体調悪そうとか言ってくれてしまったので、七海先輩の眉間の皺が深くなる。

「まったく……自己管理も出来ないとは、やはり呪術師を辞めた方がいいのでは?」
「辞めませんから」
「……伊地知くん、明日の彼女の予定はどうなっていますか」
「ええと……二級案件が一つ、一級案件が一つになります」

 ちょっ、伊地知くん?!簡単に教えないで?七海先輩も五条先輩みたいにさらっと人の任務聞き出さないでください!
 心の中で慌てていると、私の手の中から明日の資料がひょいと抜き取られた。七海先輩だ。

「それらはすべて私に回してください」
「よろしいのですか?」
「構いません」

 手間をかけます、とんでもありません、なんていう言葉が右から左へ抜けていく。
 待って、今何が起きた?私の任務がすべて七海先輩のものになった気がするんだが気のせいでしょうか。

「ということで、明日の貴方の予定はなくなりました。よく休むように」
「は、」
「行きますよ。家まで送ります。では伊地知くん、お疲れ様です」
「お二人とも、お疲れ様です」

 七海先輩は私の右腕を掴んだと思えばすたすたと事務室を出て廊下を進んだ。進んで行く先輩の歩幅は大きくて、私の方は小走りにならないと着いていけない。明日の任務の資料という人質、というかモノ質?を取られてしまったので着いていく他ない。

















 というわけで、私は七海先輩に連れられて今に至る。


「あの、七海先輩!」
「なんですか」
「明日の任務はちゃんと私がやるので資料を返してください。それに、自分で帰れるので手を離していただけますか」
「その酷い顔で、ですか?」

 そんなに酷い顔をしていたのだろうか。そうだとしたら七海先輩に見られてしまったのは、かなり恥ずかしい。それに酷い、なんて言われたら目線を合わせることができないじゃないか。先輩の顔を直視できずに俯くしかない。

 廊下で二人、立ち尽くしていると、後ろから間延びした声が聞こえた。

「お疲れ様サマンサ〜!あれ、二人ともどうしたの?」
「彼女を家まで送って差し上げようとしていたところです」
「あの、七海先輩が明日の任務を全部肩代わりしてくれてしまって……」
「あーオマエ任務詰めすぎてたもんね。しっかり休みなよ。不満なら僕からの上司命令も上乗せしてやるけど?」

 ぽんと、五条先輩の大きな手が私の頭にのる。あの無茶ぶり大魔王の先輩からも休めと言われてしまったということは、これはガチのやつだ。ちょっと反省が必要かもしれない。

「七海、今日は頼んだよ」
「……ええ。行きますよ」

 私は諦めてされるがまま、先輩の後を着いて行った。







 そのまま流れるようにドアを開けられ、先輩の車の助手席に到着した。手慣れてらっしゃる……さすが七海先輩。紳士だわ。
 座席の座り心地は言わずもがな。アイボリーの皮張りのシートは、少し緊張して火照った身体の熱を奪ってくれるようだった。

 七海先輩は運転席側に回ると、運転席に戻ってキーを入れ、車のエンジンをかける。

「そういえば貴方の家はどの辺りですか」
「あ、えっと……〇〇区なんですけど、ちょっと口では説明しにくくて」
「ではカーナビに住所を入れて検索をかけてください」
「あ、はい」

 私にナビをさせればいいのにと思いつつも、私の家をカーナビに目的地として設定する。
 目的地まで、三十分、です、というカーナビのガイダンスが始まると共に、先輩はゆっくりと車を発進させた。










 街の灯りが窓の外を流れていく。私はといえば、ちらりと先輩の運転する姿を盗み見ては窓の外を見るという繰り返しで、七海先輩も一言も発しない車内は気まずい沈黙のままだ。何か話しかけた方がいいだろうか。しかし、これといっていい話題が思いつかない。

 そうして逡巡している内に眠気が襲って来てしまった。あまり寝てないという訳では無いが、最近は眠りが浅いのか熟睡できてはいなかった。ここへ来てその弊害が現れてしまったようだ。
 心地よい揺れと快適なシートが私を眠りに誘う____おっと、いけないいけない。寝てしまうところだった。さすがに先輩の車で爆睡かますとか、シャレにならないから。
 閉じかけた瞼を頑張って開け、また車の外を見つめることに専念しようとする。

「寝ても構いませんよ」

 顔は前を向いたまま、七海先輩がタイミングよくそう言った。気付かれていたらしい。恥ずかしいパート2だ。でも送ってもらう上に寝てしまうとか申し訳なさすぎる。七海先輩の横顔に頑張って話しかけた。

「だ、大丈夫ですよ!眠くないので!」
「貴方、乗り物に乗ると眠くなる癖は治ったんですか」
「うっ、それは……」

 赤信号で車が停まる。その隙に七海先輩はこちらを振り向いた。

「そんな顔で言われても説得力がありません。いいから寝ておきなさい」

 くしゃり、頭を撫でられて、先輩の持っているあったかい体温がが私の眠気をさらに誘う。極め付けは先輩の表情だった。辞めろ辞めろなんて言ってくるくせに、心底 ?心配です?という顔をされては従うしか無いじゃないか。
 こういうところがずるいんですよ。七海先輩。

「お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」

 青信号になって、また車が走り出す。さっきの先輩の表情はもう見えなくなっていて、でもあの表情が頭から離れない。

 しかし人間、三大欲求の一つには勝てないようで、先輩のせいで上がった体温からか、日頃の疲れからか、私の意識は目を閉じてからすぐに落ちていった。







 お言葉に甘えて、そう言ってすぐに寝落ちた彼女の横顔をちらりと見る。すうすうと可愛らしい寝息を立てるこの後輩は、昔から疲れた後に乗り物に乗ると寝てしまう癖は治らないらしい。といっても今回は溜まった疲労のせいもあるのだろうが。
 高専時代は同じ任務に就くことが多かったためによく見ていた寝顔も、今となってはめったに見ることのできない彼女の一面となってしまった。それに一抹の寂しさを覚えつつ、路肩に車を寄せる。

 自分のシートベルトを取ってジャケットを脱ぎ、彼女へと掛けてやる。
 起きてしまうかとも思ったが、安らかな寝息が途切れることは無かった。この熟睡ぶりには呆れる他ない。一度寝てしまえばきちんと起こすまで起きないのも変わらないらしい。
 あの頃と変わらずに信用されているのは悪い気はしないが、男の車に乗っているのだから、もう少し警戒心を持った方がいいと思う。それが例え先輩の車であったとしても、些か無防備がすぎるのだ。

 少し癖のある彼女の髪を撫でる。今では気軽に出来なくなったそれ。先程は長らくしていなかったことを咄嗟にしてしまったから、彼女も驚いたことだろう。

「……ななみ、先輩」

 彼女の声に、どきりとした。もしや起こしてしまったのだろうかと思い、頭を撫でていた手を引いた。
 しかし確認してみても起きた様子はなく、寝言のようだった。

「辞めません……けど……」

 いつもの私とのやり取りを夢に見ているらしい。何回も繰り返しているやり取りだから印象深いのだろうか。

「嫌いに、ならないで……」
「……!」

 最後の一言に心臓が跳ねた。どんな罵倒が来るかと思っていたのに、こんなことを思っていたなんて聞いていない。いや、尋ねてもいないが。嫌われたくない、そう思われている存在であることに嬉しく思う反面、それが辛くもあった。

 彼女を拒絶したあの日、私は彼女に嫌われることを承知で呪術師を辞めるように言ったことは事実だが、それは表向きの事実であり、実際は彼女に死んでほしくないが為の自分のエゴによって為された行動だということが真実である。


 彼女が重症を負ったと聞いて、もう?失いたくない?と感じてしまったから。


 彼女の存在が自分の中でいつのまにか大きくなってしまっていたのだ。それこそ、今は亡きあの同期のように。彼女を失う未来なんて考えたくなくて、それならばこの世界から追い出してしまえばいいという考えの下、自身も傷つきながら吐いた嘘。これで彼女がクソみたいな世界から普通の世界へと戻ればいいと思っていたのだ。

 しかし、予想に反して彼女はこの世界に残り続けている。それならば呪術師を続ける彼女を見ないようにすれば良い、と今度は自分が呪術師を辞めたが、結局戻って来てしまった。


 戻って来たその日に会った彼女は、高専の頃とは比べ物にならないほど大人びていて。綺麗になりましたね、などという気の利いた言葉などが言える筈もなく、口から出たのはあの日から言い続けて来た言葉だった。

 五条さんに稽古をつけてもらっていたとしても、一級呪師であったとしても、呪術師にとって死が限りなく近くにあることは痛い程知っている。
 彼女のことを嫌いになるなんて有り得ない。けれど、心優しい貴方だからこそ、


「心配しすぎて、気が狂いそうですよ」


 座席から乗り出し彼女の額に口付けを落とす。名残惜しいが、そろそろ車を発進させなければなるまい。あまり遅くなっては彼女にも私にも良くないだろう。

 七海はシートベルトを締めると、少しだけ遅めの速度で目的地へと向かった。




「起きてください、着きましたよ」

 七海先輩の声で意識を浮上させる。ほんとに熟睡していたみたいで、寝る前より幾分か気分がすっきりとしていた。

「あ、すみません。起こしていただいて」
「貴方は起こすまで起きないでしょう」
「そりゃそうですけど……」

 いちいち反応していたら身が持たないので今回は反論しないことにした。送ってもらったし。

「今日は送っていただいてありがとうございました。それに、明日の任務まで代わっていただいて」
「構わないと言っているでしょう。もう遅いので早く帰って寝てください」
「……じゃあ、失礼します。おやすみなさい」
「ええ」

  先輩の車を出て、助手席の扉を閉めた。一礼してからマンションのエントランスまで行き、エレベーターに乗ると自分の階のボタンを押す。
 一人になって、ようやく落ち着いた。先輩の車に乗せてもらって、最初は緊張したけど爆睡をかますくらいには安心していたのだと思う。なんだかんだ言って後輩を心配してくれる先輩はやっぱり優しいのだ。任務も代わってもらってしまったから、今度お礼しなきゃ。
 何を渡そうかな、なんて考えているとエレベーターを降りる足取りも軽くなる。

 なんだか今日は良く眠れそうな気がした。




◇◇◇◇◇



「七海、お前あの子になんてこと言ってくれてんだ」

 寮の共用スペースで五条さんと話していた(絡まれていたとも言う)ところに乗り込んできたのは家入さんだった。

「硝子じゃん。そんなに怒ってどうしたのさ」
「こいつがあの子に『呪術師を辞めろ』って言ったらしいんだよ。あの子はそれで相当落ち込んでる」
「え、マジ?」
「本当です」

 そう答えれば、五条さんは驚いた顔で、家入さんは睨むように私の顔を見た。傍目にも彼女を可愛がっていたことはわかるくらい構っていた自覚はあるので、どういう心境の変化だ、と言いたいのだろう。
 家入さんは不服そうに尋ねた。

「どうしてそんなこと言ったんだ。お前らしくもない」
「親しい友人と袂を分かった貴方たちならお解りになるのでは?」
「七海、オマエ……」
「彼女が大切な人になってしまったんです。もう二度と、大切な人が失われることに耐えられそうにないんですよ、私は。……例え彼女に嫌われたとしても、彼女を失わないためならなんでもします」

 それが私の選択だと、言外にそう伝えれば、二人とも何も言わなかった。お互いに似たような経験があるだけに、思うところがあるのだろう。

「七海がしたいようにすればいいじゃん」
「ちょっと五条!」

 意外にも次の言葉を発したのは五条さんだった。ただの自分のエゴに言い返して来ないというのは彼らしくない、といえばらしくなかった。

「その代わり俺は協力もしないから。アイツ、そんなヤワなヤツじゃないと思うし」
「……まあ、七海がそこまで考えてたなら、私はもう何も言わない。けど、あの子を本当に悲しませる気なら容赦はしないからな」
「善処します」

______ピピピピ、ピピピピ

スマホのアラームが鳴る。なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。昨日彼女を送って行ったからかもしれない。
 彼女は良く眠れただろうか、そんなことを思いながら朝の支度を始めた。



















〇車内で爆睡かました夢主
・復帰してからブランクを感じさせない七海に追いつこうと任務を詰めすぎていた。
・ここ最近は伊地知も心配するほどのハードワーカー。
・七海に会いたくない時に会ってしまう子。
・高専からは近くもなく遠くもないマンションに住んでいる。
・ちなみに任務帰りなど疲れている時に乗り物に乗って爆睡するのは気を許した人がいる時だけ。

〇夢主を強制連行した七海建人
・普段通りの「辞めろ」発言をしているが、夢主が心配で任務を代わった。
・ちなみに明日はオフの予定だった。
・夢主自身に自宅への道をナビさせなかったのは、寝落ちすることを予想済みだったから。
・ジャケットは夢主を起こす前に自分で着直しておいた。
・夢主が大切すぎて拗らせてる。
・ただ単に「呪術師を辞めた方がいい」じゃなくて「私のために辞めてください」ならゴールイン待ったなしという大事なことに気付かない男。

〇通りすがりの五条悟
・前々から夢主のことを一応心配してた。
・だって大事な後輩だからね☆
・今日は七海と夢主のことを茶化さなかった、意外と空気の読めるGLG。

〇休暇を勧めた伊地知潔高
・自分も大概だけど、最近の夢主は働きすぎで心配だった。
・自分じゃ夢主を言いくるめられないと思ってたところに七海が来たので伊地知の心の中では救世主=七海の図式が成り立った。
・お前も休むんだよ!!!




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