マスターは吸血鬼【後】(現パロ:吸血鬼夏×社会人)

 あれから時は経ち、もう一年が過ぎた。今も私は夏油さんのために自分の血を差し出している。

「ん……今日もありがとう。そのまま楽にしてて」
「は、い……」

 夏油さんの家のソファに横になり、瞳が黄金に光る夏油さんを見上げる。血を吸われた後はいつもこうだ。一時的に身体に力が入らなくなってしまう。
 夏油さんは私の頭をひと撫ですると、キッチンに行って飲み物を取って来た。定期的に血を提供するようになってから夏油さん家の冷蔵庫の一角を占めるもの。それはプルーンの入ったヨーグルト飲料だった。
 さすがに私もこういうのは作れないから、なんて言って私に手渡してくれるそれは、鉄分補給のためらしい。今日も身体を起こしてそれを受け取り、飲み始めた。

「今日も泊まっていくかい?」
「夏油さんが良ければそれでお願いしたいです」
「じゃあ準備が出来たら呼びにくるね」
「はい」

 なんと私、血を提供する日は夏油さんのおうちに泊まらせていただいている。私の体調を慮ってのことだそうで、さっきの飲み物といいお泊まりといい、夏油さんの気遣いに心が温かくなる。
 この半年で急に距離が縮まっている私たちの関係はまだ『協力関係』という形だ。仲のいいお客さん以上恋人未満、みたいな。「まだ」というのは私がこの期間で夏油さんを好きになってしまったからである。
 夏油さんの態度や対応から悪いようには思われていないと感じてはいるが、お泊まりもしておきながらなんの進展もないというのが悲しいところである。
 何度かいい雰囲気になったことはあるのだが、それも全て空振りに終わっている。まあ私も気持ちを伝えられずにいるので何とも言えないのだが。
 しかし今日は違う。ちゃんと心の準備をしてきたのだ。それに後で話したいことがあると前もって言ってある。今こそ!勇気を振り絞る時!そう思ってソファに座り直して、夏油さんのお帰りを待った。
 しばらくしてお布団の用意が終わったと夏油さんが戻ってきた。うるさい鼓動に抗って心の中で気持ちを落ち着かせると、夏油さんが私の元へたどり着いたタイミングで口を開いた。

「あの、夏油さん……今日、話したいことがあるって言ったと思うんですけど……聞いてもらってもいいですか?」
「うん、いいよ。どうしたのかな?」

 私が座るところに少し間を空けて夏油さんがソファに腰を下ろす。背の高い夏油さんは私に合わせて少し背を丸めると、話を聞く体制を取ってくれた。

「あの、まずはいつも色々ありがとうございます。お料理も、その、アフターケアも……」
「それは私の都合に付き合ってもらってるんだから当然だよ。感謝されるようなことじゃない」
「それでも、私は嬉しいんです。夏油さんの気遣いが」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」

 目を細めてくれる夏油さんはやっぱりかっこいい……じゃなかった、話が脱線した気がする。ここからだと多少脈略のない展開になってしまうような気がしたけど、今しかないと自分を叱咤して、言葉を紡いだ。

「あ、えと、これが言いたかったんじゃなくて、いやこれも言いたかったんですけど……」
「ん、他に言いたいことがあるのかい?」
「私、夏油さんのこと……すき、です……」

 結局夏油さんの顔は見られず、気持ちだけ伝えてしまった。沈黙が怖くて顔を上げることができない。
 それが1分だったのか、5分だったのかはわからないが、沈黙に耐えかねて顔を上げると眉を下げていかにも「困りました」という表情をした彼が目に入る。

「……気持ちは嬉しいが、それは所詮一時の感情だ。草臥れた私に向けていいものじゃない」
「私はもう大人です。そんな生半可な気持ちで告白したりなんかしません。それに夏油さんも私が『運命』だって言ってくれたじゃないですか……!」
「私から見れば君はまだまだ子どもだ。『運命』だということは否定しない。けれど、それが続いていくかはまた別の話だよ。私は人を好きになる度に追いかけて、追い越して、そして傷ついてきたんだ。人に裏切られるのはもう……懲り懲りなんだよ」
「夏油さんは私が裏切ると、そう思っているんですか……?」

 本当に嫌なら、「ごめんね」と、そう一言だけを言ってくれればいいのに。夏油さんは断りの文句じゃなくて、その先を話しているというのは解っているのだろうか。
 私より長いこと生きてきたはずなのに、いや、そうだからこそかもしれないが、人に対して疑心暗鬼になっているということが言葉から伝わってくる。
 でも、それでも。夏油さんに私の気持ちを否定された私の頭の中は悲しみと怒りでぐちゃぐちゃだ。これだけ一緒にいて、距離も縮まっていたと思っていたのに。私のことは信用してくれていなかったのか、なんて。一年分の私を否定された気がして、心の中の糸が今にも切れそうに悲鳴を上げている。
 なんとかその糸が切れないように自分を押しとどめ、最悪の事態にならないようにしようとしたその時、夏油さんが追い討ちをかけた。

「君はまだ若い。私でなくても他にいい人はたくさんいるだろう?すまないが他を当たってくれ」

――ああ、私ってそんなものだったのか。

 彼の言葉に、ぎりぎりのところで繋がっていた糸が音を立ててちぎれた。
 
「……そうですか、わかりました。しばらくこちらには来れないかと思いますがお元気で」

 自分の荷物を乱暴に手に取り、少しふらつく身体を叱咤して立ち上がる。そして夏油さんの引き止める声にも止まらないまま、急ぎ足で彼の家を後にした。
 夏油さんが走って追いかけて来てくれるかもなんて少し期待したけれど、そんなドラマのようなことは起きるはずもなく。ちょっとでも期待した私が馬鹿みたいだ。
 飲食店街のネオンが私を照らす。陰る私の心とは対照的な光を見ているのが辛くて、彼からの言葉を受け止めきれなくて。今の私に目から溢れるものを止める術はなかった。


 金曜の昼休み。いつも通り同僚と社食でランチを囲んでいると、不意に同僚が私に声をかけた。

「アンタ最近疲れてない?」
「そんなことないよ?」
「ほんと?顔色良くないし、集中力足りてなくない?さっきもミスしてたし」
「まーちょっと寝不足かな」

 そんな風に誤魔化すと同僚が「だから言ったじゃん!」とゆっくり休むように進めてくる。
 ほんとうはわかっているのだ。体調がすこぶる悪いことも、よく眠れていないことも、その理由も。
 だってそれらは夏油さんと一方的に喧嘩して、夏油さんのお店に行かなくなってからのことだから。あの日言いすぎたことを後悔してるし、気不味いしで最近は落ち着かないのだ。
 それにいつもリラックスする手段といえば、曜日に構わず夏油さんのお店に行くことだった。それができないというのは、ストレスや疲れがたまる一方ということ。
 そう考えると、私は知らないうちにあのお店、夏油さんが大きな存在になっていたということが嫌でも突きつけられた。あんな言葉を言われたからには嫌いになるかと思っていたのだが、最近では「血を飲めなくて大丈夫かな」なんて心配も頭によぎってしまって、やっぱり嫌いになんてなれないのだと悲しく思う。
 いっそ忘れてしまえれば楽なのに、一度味わった幸せを、温もりを、私は未だに忘れることができずにいた。

 帰宅して部屋の明かりをつける。なんだか寂しい、そう思ってしまうのも、今日が金曜日だと思えば頷ける。いつも金曜日は二人で過ごしていたから。
 今日で一人で過ごす金曜は4回目。慣れなきゃいけないと思いつつ、部屋の空虚さに落ち着かなくなる。自分の部屋に招いていた訳でもないのに彼のことを思い出してはため息をつくばかりだ。
 思考回路がどんどんとマイナスイメージに偏っていくなか、何処からかコンコン、と何かを叩く音がした。隣の家のドアでも叩かれているのだろうかと思って放置しておいたら、またもやコンコン、という音が聞こえる。
 今度は結構近くから聞こえた気がする。もしかして鳥がガラスをつついているのかも。そう思ってカーテンを開ければ、そこには月光に照らされた白髪で背の高い男の人が立っていた。
 なんでうちのベランダにいるの?うちマンションの六階なんですけど。まって怖い。そう思ってカーテンを閉めようと男の人に近寄る形になった時、ちらりと見えた青の瞳に私は見覚えがあった。
 少なくとも危ない人ではないとわかった私は、カーテンではなく窓を開けた。

「夏油さんのお友達の悟さん……でしたか?いつも夏油さんのカフェバーにいらっしゃる……」
「そうそう!僕は五条悟!傑のおともだち!いやー変な訪問の仕方しちゃってごめんね?結構緊急事態だったからさぁ」
「そこはマンションの前で待つとかしていただけなかったんでしょうか……まあいいですけど。それで、緊急事態とは?」

 びっくりも何もどこぞのハ○ルさんの白髪版ですよね??ということをしていらっしゃるので驚かない方がおかしい。まあ夏油さんの正体を聞いてしまった今では、この人もたぶん吸血鬼なんだろうなと思って納得する私も大概だけれど。

「その、緊急事態ってどういうことですか」
「ねえ君、傑の運命の子でしょ?最近傑に血はあげてる?」
「一ヶ月くらいあげてない、です」
「だからかぁ……」

 額に手を当ててため息を吐く五条さん。『だから』とはどういうことだろうか。もしかして私が血をあげてないから何か不都合なことでも起きたのだろうか。でも私と会う前は普通に生きていたから血が足りないなんてことはないはず、だと思うけれど。

「どういうことですか?」
「君、傑にどれくらいの期間血をあげてたの?」
「一年と少しくらいですけど。これが何か関係あるんですか?」
「何って……傑から聞いてないの?『運命』が吸血鬼に一年間与え続けると半分『番』みたいになって、『運命』以外の血がまずく感じるようになるんだよ。傑はもう一ヶ月弱人の血を飲んでない」

 五条さんの口から放たれたのは衝撃的な一言。なんで言ってくれなかったの。そんなの聞いてない。頭を埋め尽くすのはそんなことばかりで、自分の無知に今さら後悔しても遅すぎる。
 さらに追い討ちと言わんばかりに伝えられたのは、夏油さんが血を飲んでいないという事実。吸血鬼がどれほど血を飲まずに生きていけるかなんて、それこそ聞いたことがない。五条さんが私の部屋にやって来るくらいだ。緊急事態とはこのことだろう。生死に関わるほど血を飲んでいないということだ。
 ここまで来て、私は彼のことを何も知らないのだと思い知らされた。吸血鬼だということは知っていても、その先は?どのように生まれて、どうしてこの地に店を持つようになったのか。吸血鬼として何が必要なのか。
 うわべだけを見て好きになったのは私の方なのだ、きっと。深い話をする勇気はなくて、それで好きです、なんてよく言えたものだ。そんなことでは私のことなんか信じられるはずがない。
 私たちは一年も近くにいたのに、お互いの深くて繊細な領域に踏み込もうとしなかった。それが最適解であるかのように互いの不可侵領域ぎりぎりのところで触れ合っていた。今回のことはそのツケが回ってきたのだろう。
 だから私は話を、夏油さんともう一度話をして、それぞれのことをもう一度知らなければいけないと思った。

「私、夏油さんのお店に行きます」
「君ならそう言ってくれると思った!じゃあ行こうか」

 帰って着替えてなかったのが幸いだった。すぐにでも家を出られる状態の私は鞄を持って五条さんに連れられるままベランダに。ん?ベランダに?

「え、なんでベランダから……」
「こうするからさ!」

 いきなり身体が宙に浮いたかと思えば、五条さんにお姫様抱っこされて夜の空を駆けていた。宮殿から魔法の絨毯で連れ出されたお姫様はこんな感じなのだろうかと、どこか俯瞰的に見てしまう自分がいる。
 夏油さんの緊急事態だと私の部屋に来たのは五条さんなのに、綺麗でしょ?なんて夜景を見ながら落ち着いた雰囲気を出しているのは何故だろう。
 夏油さんのことを信頼してるのか、あるいは……もう一つの可能性がちらと頭を過ったが、まずは夏油さんの元へと、不本意ながらも緊張感のないこの男に体を預けた。


 五条さんに連れられて降り立ったのは夏油さんの家――カフェの二階部分のベランダだ。不用意にも空いていた家へと繋がる窓を開けると、リビングのソファにぐったりと横になる夏油さんが目に入る。

「夏油さんっ……!」

 ここに連れて来てくれた五条さんなんかお構いなしに、鞄を放り投げて夏油さんの元へ駆け寄った。
 近づいても目を開けない彼に心臓が嫌な音を立てるのを感じながら、ソファの横に膝をついた。

「ん…………きみ、なん、で……」
「夏油さんが、緊急事態だって知って心配で……自分から嫌な態度取った癖にどの面下げてって感じなんですけど……まだ話したいことたくさんあるし、お互いに知らないこともいっぱいあると思うから……」
「君、は……」
「夏油さん、ずっと血を飲んでないって聞きました。そのせいで体調崩してるってことも。ちゃんとお話ししたいので、どうかいつもみたいに私から血を吸ってください……!」

 私が夏油さんを見下ろすといういつもと逆の配置に、私は本当に馬鹿なことをしたのだと思う。余裕の消えた夏油さんはこんなにも弱々しくなるものかと、この状況を作り出した自分に怒りが込み上げてくる。あそこでムキになっていなければ、こんなことにはならなかったのに。
 ぐるぐると自己嫌悪に陥る中、夏油さんは中々私の血を吸おうとはしない。何故か困った顔をするだけだ。
 待っているだけでは駄目なのだろうか。私が台所に刃物でも取りに立とうとすると、思いの外強い力で腕が掴まれた。

「君、何か勘違いをしてないかい……?」
「え……?」
「私は一ヶ月くらい血を飲まなくても死にはしないし、健康に支障はない。だからそんなに焦らなくても大丈夫なんだよ」
「え、でも私が最初に血をあげた時はすごく体調悪そうでしたよ……?」
「ああ、それは半年くらい飲んでなかったから……さすがに身体に来ちゃっただけだよ」

 どういうことだ?緊急事態なんて嘘だったの?
 そんな思いを込めてベランダにいるはずの五条さんを振り返れば、にやりとその口が弧を描く。

「さては悟、彼女に何か勘違いさせるようなことを言って連れてきたね?」
「え〜?僕はただ傑がピンチだよ〜って教えてあげただけだよ?来るって言ったのはその子だし」
「はあ……そんなことしなくても良かったのに」
「だって傑が元気ないのは本当だろ」
「まあ一応感謝はしてるから、早く出て行ってくれないか。彼女と二人きりで話したい」

 その夏油さんの言葉に五条さんは大きくため息をついた後、はいはいごゆっくり〜とかなんか言ってまたベランダから夜の闇に消えていった。
 残されたのは私と夏油さん。話したいことがあると言ったけれど、何から話したらいいのか分からずに黙り込んでしまい、嫌な沈黙が場を支配する。
 どう切り出そうか悩んでいるうちに、先に口を開いたのは夏油さんだった。

「この間はあんな言い方をしてごめん。自分可愛さに必要以上に君を傷つける言葉を使ってしまった。君がそんな子じゃないのは分かっていたはずなのに」
「謝らないでください。私、告白しておいて夏油さんのことよく知らないって気づいたんです。自分のこと話してない奴なんかに言われても嫌だったんじゃないかって……」
「そんなことある訳無いじゃないか……!」

 がしり、先ほどまでぐったりとしていた人とは思えない強さで夏油さんが私の肩を掴んだ。
 私がそれにびくりと身体を震わせると、ごめん、という言葉と共に手が離れていく。

「すまない。長い年月を生きる中で恋愛に臆病になっていたんだ。人の終わりを何度も経験して、やっと君に出会えて。でもそれが愛情から来るものじゃないと知るのが怖かったんだよ。情けないね」
「夏油さん……」
「だけど君は今日、悟の言葉があったにしろ君の意志でここまで来てくれた。だから、あの日を私からやり直させてくれないか」

 それまで頭を垂れていた夏油さんがゆったりと身体を起こして、正面から私を見る。

「君のことが好きだ。離れていたこの一ヶ月、身に染みて実感したよ。これからお互いのことをもっと知って、色々な話をしたい」

 私の瞳を真っ直ぐに見つめる夏油さん。その真剣な眼差しに、もう彼の中に迷いがないことが伝わってくる。
 私も自身の気持ちをちゃんと伝えなくてはいけない。そう思って言葉を選びつつ、想いを伝える。

「私も、やっぱり夏油さんのこと好きです。一ヶ月考えてもこの気持ちは変わりません。夏油さんのこと、もっと教えてください」
「やはり君の言葉は素直に嬉しいと受け取るべきだね。じゃあ、コーヒーを淹れるからここで待っていてくれる?今夜は語り明かそうじゃないか」

 少し照れ臭そうに席を立つ彼に私まで恥ずかしくなってしまって、顔に熱が集まるのを感じる。
 私たちはこれから、一足飛びに駆け上がってしまった階段を一緒に登り直していくのだろう。
 彼がキッチンに立つ姿に安心感を覚えて、私たちならきっと大丈夫だろう――そんな予感がした。



[目次へ]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -