4.【番外編】夏油教授と私のクリスマスイブ
今年も早いもので、もうクリスマスの季節がやって来た。世間の皆様はクリスマスに浮かれるころなのだろうが、私はといえばそんな場合では無かった。
「夏油先生、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。君もこんな日にありがとね」
「仕事ですから」
「ふふ、そうだね」
そう。クリスマスイブが平日だ。すなわち大学生の私にとって今日は講義がある日。そして悲しきかな、金曜5限に設定された夏油先生の「日本文化論入門」がある日だったので、前期に引き続きSAとして必然的に大学に来た私は先生の手伝いをしていたのである。
「そういえば先生はなんでこんな時間に講義を設定したんですか?」
「だってこの時限にすれば興味のある学生しか履修しないだろう?人数が絞られていいじゃないか」
「さすが夏油先生。性格悪いですね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
そう。週の最後の曜日、しかも最後の限というのは人気がないのが通例である。
よほど興味がある人か、その授業の単位がどうしても必要な人かくらいしか取らないような時間帯の授業だ。そうなると必然的に取る人は絞られるし、先生がみる学生の数も少なくなるから負担も少なくなるのだろう。
去年の講義の盛況具合をみれば頷ける気もした。先生も成績をつけるのは大変だと思う。
「それに次の授業を気にせず君と居られるからね」
「そういうことは言わなくていいのでは?」
「今日ぐらいいいじゃないか。せっかくのクリスマスイブに悪いとは思うけど、私は瀬奈と一緒にいられて嬉しいんだよ」
にこりと微笑む夏油先生は心底嬉しそうだ。そんなストレートに言われたらちょっと照れてしまうじゃないか。もう。少し恥ずかしくてそっぽを向いた。
「そうやって照れるところも可愛いね」
不意打ちで頬に触れる柔らかい感触に、顔に熱が集まるのがわかる。きっと睨めば、「そんなんじゃ怖くもないよ」なんて笑うから、もういいやと後ろを向いた。
そして私が目を離して少しした後。ばさばさばさ、と書類の落ちる音がした。
体の向きを戻して先生の方を見れば、右腕をおさえている先生が苦悶の表情でデスクの前に立っている。
「夏油先生?!大丈夫ですか?!」
「ああ、この時期になるとちょっとね。古傷みたいなものだよ」
「そうなんですか……痛くないですか?」
「今は大丈夫。たまに手に痺れが走ったりするけど、それもこの時期だけだから」
「先生が辛くないならいいんですけど……」
「はは、心配してくれるなんて嬉しいな」
そう言った先生の顔は無理やり笑顔を貼り付けたようで、見ていて少し胸が痛くなった。取り繕わなくてもいいのに。
取り落とした今日の資料や感想カードを拾いながら思案する。ほんとは辛いんじゃないだろうか。だっていつも鉄壁な夏油先生が笑顔を崩すなんて相当だもの。
この後のお誘いもどうしようか迷ってしまう。でもせっかくの計画だし、言わなきゃダメだよね。
「あの、こんな時になんですけど、今日ってもう帰りますか?」
「うん?もう仕事もないし帰るけど」
「……一緒に帰りますか?」
「……いいのかい?」
「先生がいいなら」
さっきの苦しそうな表情とは打って変わり、また微笑んだ夏油先生はピンクのオーラが出るんじゃないかってくらい幸せそうだ。
手早く荷物を纏めると、私たちは夜の帷の降りた構内を後にした。
私が一緒に帰るかなんて言ったのは、はじめてかもしれない。SAの業務が終わると先生は「一緒に帰ろうか」って言ってくれるけど、私はいつも断っていたから。
だって男の先生と学生の私が一緒に帰ってしまったら、よからぬ噂を立てられて、先生が困ってしまうかもしれないし。
でも今日は特別。「少しぐらいご褒美をあげてもいいでしょう」とは建人くんの言葉だ。
もう外も暗いし、今日は構内に残っている学生も少ないだろうから。ちょっとくらいいいかなっていう気持ちと、計画に必要だからって気持ちが半々くらい。
久々の先生との帰路は意外にも話題が途切れることなく、とても楽しかった。授業のこと以外でも先生は話題が豊富だし、私の話もちゃんと聞いてくれるから、私たちの住むマンションに着くのはすぐだった。
「今日は本当にありがとう。じゃあ私はここで」
「ちょっと先生に用事があるんで、私の部屋寄っていってもらっていいですか」
エレベーターで別れを告げようとする先生の腕を引っ張り、降りるように示す。驚きの表情を隠せない先生は、またいつもの笑顔が剥がれていて、してやったなと思う。
でも驚くのはこれから。私が鍵で自分の部屋のドアを開けると、出迎えたのは予想通りの暗い玄関では無かった。
「「メリークリスマス!!」」
「まだクリスマスイブですけどね」
パンッと弾ける音がして、私たちを出迎えたのはクラッカーを鳴らす五条先生、雄くんと呆れてはいるがちゃんと出迎えてくれた建人くんだ。
「瀬奈、これは?」
「イブだけどクリスマスパーティーです!夏油先生へのサプライズだったんですよ」
「……あはははは!君たちってほんとに……!」
先生は唐突に笑い出して、くしゃりと顔を歪ませると私に抱きついてきた。え、ちょ、まって。なんで私。
「せんせ、離してください。みんなの前だし苦しいです」
「ごめん、もうちょっとだけ」
「建人くん、雄くん、助けてー!」
「今日くらいは少しなら目を瞑ってあげますよ」
「クリスマスイブだしね!」
頼みの綱だった二人の助力は見込めない。私は仕方なく体の力を抜くと、ぎゅうと抱き締められる力に従い、されるがままになった。
それを五条先生がスマホで連写なんてするから、それに怒った夏油先生がドタバタと私の部屋に入っていく。
そんな二人の様子を雄くんは楽しそうに、建人くんはやれやれといった様子で見つめていた。
今年のクリスマスパーティーはいつもより賑やかで楽しいものとなるだろう。そんな予感を胸に、温もりの去った体を少し残念に思いながら部屋のドアを閉めた。
◇
「先生が辛くないならいいんですけど……」
「はは、心配してくれるなんて嬉しいな」
私の右腕を心配した彼女は、あの出来事を知らない。だって彼女は宣戦布告をするよりもだいぶ前に私が――したのだから。
だからこの腕の痛みがあの日から来るものだなんて、過去からの戒めなんだって、そんなことは知らなくていい。私の罪は私だけのものだから。
そんなことはまるで考えていませんよ、という風に少し無理にでも笑ってみせる。そうして落ちた書類を拾い集めた後、君の口からは意外な言葉が飛び出した。
「……一緒に帰りますか?」
「……いいのかい?」
「先生がいいなら」
ずっと私の誘いを断っていたというのに、今日はどういう風の吹き回しだろう。まあ、真っ直ぐなこの子には裏があるなんて無いだろう。悟の差金ということもそうないだろうし。そう思って素直に頷き、一緒に帰ることにした。
帰り道は色々な話をして、また彼女の笑顔を見ることができた。それだけでもう今年のクリスマスプレゼントをもらったような気がして嬉しくなる。
彼女のこの日限りの気まぐれだとしても、『こんな日』だったとしても、それは私を大いに満足させた。
さて、そんな楽しい時間もそろそろ終わりだ。いつもなら押していくような場面だが、今日は大人しく引き下がろうじゃないか。
「今日は本当にありがとう。じゃあ私はここで」
「ちょっと先生に用事があるんで、私の部屋寄っていってもらっていいですか」
強引に手を引かれれば、らしくもなく動揺して驚きに顔が崩れるのが自分でもわかった。こんな日だからなのか、君がすることだからなのかはわからないけれど。
平素は自分から君に触れるこの手がらしくもなく汗ばんで、胸が高鳴るのを感じる。
そして辿り着いた君の部屋のドアを開けると、待ち受けていたのは仲間たち、否、同僚と彼女の幼馴染たちで。
「イブだけどクリスマスパーティーです!夏油先生へのサプライズだったんですよ」
そう言う彼女はしてやったり、と今日一番のいい笑顔で笑っていた。灰原は知らないだろうけど、悟と七海は知っているだろうに。こんな日にサプライズのクリスマスパーティーなんて。そう思ったら、自然と口から笑い声が漏れていた。
「……あはははは!君たちってほんとに……!」
――最高だよ。
年甲斐もなくじわりと目頭が熱くなるのを感じて、照れ隠しで彼女を抱きしめる。今日はセコムの二人も許してくれるらしく彼女は私のされるがままだった。
まったく、今日は本当にもらってばかりの一日だ。
まだまだ終わらないこの一日に期待を寄せながら、私はいつもより長く此処にある彼女の感触を確かめた。
○クリスマスイブもお仕事な早川瀬奈
・毎年七海と灰原とクリパしてる
・今回は五条の提案で夏油にサプライズクリパ
・「一緒に帰りませんか?」は意外にも幼馴染組の提案
・夏油の表情が変わる様を見られて満足
・百鬼夜行のことは知らない
○平静を保てなかった夏油教授
・毎年この時期は右手に痛み、痺れが走る
・今年もぼっちクリスマス(五条に絡まれるのが常)だと思ってた
・瀬奈の行動にびっくりしていつもの仮面が剥がれた人
・この日くらい好きにしてほしい
・きっと来年からは楽しいイベントの季節になる
○ほんど出てきてない五条教授
・僕が計画立てました(ドヤ)
・毎年この日は傑に絡みに行ってたけど、今年は瀬奈たちがいるから巻き込んじゃえ!と思った
・撮った写真はiCl○ud保存なのですぐには消えないよ☆
○クリスマスだよ!みんな集まれ!灰原雄
・五条の楽しそうな計画に乗った人その一
・パーティーは大人数のが楽しいよね!
・百鬼夜行は知らない
○今日ぐらいは目を瞑りますな七海建人
・五条の計画に渋々乗った人(ほんとは灰原と瀬奈と3人が良かった)
・でもまあクリスマスイブくらいはいいかな、と少し寛容になっている
・パーティーの準備はしっかりした
・灰原と瀬奈が楽しそうならいいかと思っている
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