マスターは吸血鬼【前】(現パロ:吸血鬼夏×社会人)

 今日は待ちに待った花金。同僚と飲みに行く?買い物でもする?家に帰ってのんびりする?否、私の選択はこのカフェバーに行く、その一択だ。
 会社から出て少し歩いたところ。大通りから裏路地へと足を一歩踏み出せば、煌々と光る看板たちからおさらばして、趣のある外観が目に入る。
 今日はいつもより早い時間に退勤することができたので、カフェバーに居られる時間が長い。それはカフェバーのマスターと長くお話できるということ。
 そう思うと足取りも軽くなるというものだ。私はちょっぴりスキップしそうな勢いで木造のドアを開けた。

「こんばんは〜」
「ああ君か、いらっしゃい。今日はなんだか機嫌が良さそうだね。何か良いことがあったのかい?」

 カランコロン、と軽快にベルが鳴る。お店に入った私を出迎えてくれたのはこのカフェバーのマスターである夏油さん。黒髪をハーフアップにしていて、切長の目が涼しげでかっこいい。日中はエプロン姿だけど、バーの時間帯はギャルソンの格好をしている。
 顔が良いし、体格もいいから何を着ても似合うのだ。ちなみに私はギャルソン推しだ。どうでも良いと思うけど。

「今日は早めに退勤できたんです!その分長い時間いられると思ったら嬉しくなっちゃって」
「ふふ、そう思ってもらえるなら嬉しいな。で、今日はどうしようか」
「んー今日は海鮮の気分かな」
「じゃあ……海鮮パエリアに白ワインでどう?」
「じゃあそれで!」

 このカフェバーに通ってもう一年ちょっと。いつの間にか常連となった私にマスターである夏油さんは私のリクエストに合わせて料理を作ってくれるようになった。
 通っているうちに好みも把握されたらしく、夏油さんが作る料理はいつも私の舌にドンピシャだ。今日もワクワクしながらキッチンに立つ夏油さんを見つめながら話を始める。

「今日は白髪のお兄さんも金髪のお兄さんもいないんですか?」
「そうみたいだね。悟は彼女が出来たみたいだし、七海も七海で忙しいやつだから。今日は貸切かもしれないよ」
「夏油さんのお料理もお酒も美味しいのに、私一人なんてもったいないです」
「まあ、その分ゆっくり話せると思えば、ね。今日はなんでも聞いてあげるよ」

 お米を炒めながら夏油さんが笑う。夏油さんはいい具合に話を聞いてくれるし、話題も振ってくれる。顔も料理も良くて会話も上手いとかハイスペックすぎるでしょ。
 ここが花金に満員にならないのが本当に不思議でならなかった。

 会社のことや最近のドラマの話に花を咲かせていると、私のグラスも進み、最後のカクテルへと突入した。
 そろそろ閉店の時刻だ。明日は休みとはいえ、結構飲んでしまったから帰ったらすぐ休む準備だなあと頭の中で考える。
 そんな心配もそこそこにグラスを拭いている夏油さんをちらりと見れば、先程より心なしかお疲れのように見えた。

「そういえば夏油さん、ちょっと元気なくないですか?」
「そう?いつも通りだと思うけど」
「週5くらいで来てる客を舐めたらいけませんよ。笑顔がなんだか疲れてます」
「君には敵わないな……少し体調が思わしくなくてね。店を閉めるくらいではないから大丈夫なんだけど」

 そう言ってへにゃりと笑う夏油さんはなんだか弱々しく見えた。いつも飄々としている夏油さんのこんな姿は見たことが無かったから、本当に大丈夫だろうかと心配になる。

「ほんとに大丈夫ですか?なんか閉店作業とか手伝ったりとか……」
「いや、心配には及ばないよ。気遣ってくれてありがと……うッ……!」

 パリンッとグラスが割れた音がして、ぐらりと夏油さんの身体が傾く。ワンテンポ遅れて大きな体躯がカウンターから見えなくなった。
 幸いなことに大きな音は聞こえて来なかったから、たぶん意識は失っていないだろう。そう思いつつ慌ててカウンター側に回ると、そこには布巾を手に蹲る夏油さんがいた。

「大丈夫ですか?!」
「あ、ああ。すまないね……ちょっとした立ちくらみだよ」
「でも、大丈夫じゃないってことですよね?何か手伝えることはありますか?」
「……すまないが、やっぱり閉店作業を頼めるかな?内鍵を回して電気を消してもらえるだけで良いから……」

 頭を押さえる夏油さんは本当に体調が良くないらしい。今まで閉店作業なんか手伝わせてもらえなかったけど、今回はさせてもらえる。そのことが夏油さんの不調を表しているようだった。
 先に2階の居住スペースへ戻るという夏油さんを見送って、お店の閉店準備を始める。
 内鍵を閉めて席の椅子を整え、次に自分が飲んでいたカクテルの残りを飲み干してグラスを丁寧に洗う。壊してはいけないからそーっと慎重に。そして割れたグラスを片付けて電気を消したら終了だ。
 割れたグラスのかけらを一つ一つ集める。掃除機がどこにあるかは分からないから、とりあえず掃除用具入れから拝借したちりとりに収めていった。
 最後の一欠片を手に取った時、ぷつりと指先から赤が滲む。どうやら最後の最後で指を切ってしまったらしい。
 慌てて水で洗い流すと、電気を消し、自分の荷物を持った。そのままにしてはいけないだろうと、ちりとりにまとめたガラスを持って2階の居住スペースへとお邪魔させてもらうことにして、階段を上がる。

「お邪魔しまーす……」

 そろりと開けたドアノブには鍵が掛かっておらず、私の躊躇いがちな入室宣言に返ってくる声はない。寝ているのだろうか。
 ちゃんと確認して2階まで付き添えば良かった。もしかしたら死んでいるかも、なんて不穏な考えが頭を過る。
 そんな考えに焦りながら、靴を脱いでリビングルームらしき場所へと歩みを進めれば、ソファに身体を預けている夏油さんがいた。端で腕を組みながら目を閉じているその表情は、寝顔だとしても少し辛そうだった。
 息をしてるか確認しようと、ダイニングテーブルにちりとりと鞄を置かせてもらって、ソファへと向かう。近づいてみればちゃんと胸は上下しているし、寝息も聞こえた。夏油さんは生きている。そのことを実感して安堵した。
 起こすのは忍びないけれど、このままソファで寝かせておくのも風邪をひいてしまうかもしれない。迷った末に自分のジャケットを羽織らせることを思いつく。がっしりとした夏油さんの身体を覆うには小さいが、無いよりはマシだろう。
 ジャケットを脱ぎ夏油さんに掛ける。しかしその直後、ゆっくりとその瞼が開いた。

「すみません、起こしちゃいましたか?」
「いや、だい、じょうぶ、だよ。少し……寝ぼけてるけど」
「それだけなら良かったです」
「きみ……怪我でも、してる、のか……?」

 寝起き早々怪我したことがバレるなんて。この人の観察眼はどうなっているのだろう。諦めて怪我した人差し指を見せると、夏油さんは何の躊躇いもなく……傷口を舐めた。

「ん……はぁ……」
「ちょ、夏油さんッ?!」

 急に舐められた指に驚いて思考が停止する。指先から受け取る生温かくて柔らかい感触。舐められて。吸われて。非日常的な感覚に何だか変な気分になってしまう。
 私が涙目になっていると、夏油さんは私の指から唇を離してくれた。これで終わるのかと思ったその瞬間。ぐい、と腕を引かれて、私の身体がすっぽりと夏油さんの膝の上に乗り上げる形になった。

「ごめんね」
「え……?いっ……!!」

 突然の謝罪と密着具合に戸惑っていると、首筋に鋭い痛みが走る。
 今度は涙目なんかじゃ無くて、本当に涙がぽろぽろ流れ落ちる。
――痛いいたいいたい、あつい。
 もう頭がついていかない。だけど、痛みの中に熱さを感じ始めていることに怖くなり、本能的に後ずさる。
 それを察したのか、夏油さんは私を強く抱き込んでまた囁く。

「はぁ……動かないで、もっと頂戴?」
「んぁッ……!」

 掠れた声が酷く辛そうで、逃げようとする身体が一瞬止まる。その隙に身体から何かを吸われ、また身体が熱くなる。
 彼の白くて糊のきいたシャツは、私がぎゅうぎゅうと握っているからしわくちゃになってしまっている。
 ――ああもう意識を保っていられない。
 ぼやける視界の中、夏油さんの瞳が金色に光った気がした。





 柔らかな日差しで目が覚める。ふかふかのベッドに知らない天井。
 ――私は昨日、どこで寝た?
 とりあえず仕事帰りのシャツとパンツスーツを着ていることに安堵して身体を起こす。周りを見渡せば、アンティーク調の家具に白い壁。
 ホテルではなく、誰かの部屋だということは分かるけれど、誰のかまではさっぱり分からない。ベッドから立ち上がろうとすると、ふらりと身体がよろめく。
 あ、倒れる――他人事のようにそう思った時、私を受け止めてくれたのは部屋のドアから入って来たらしい夏油さんだった。

「……大丈夫?な訳ないか……すまないね」
「いえ……私、昨日は何か……あ」
「思い出させてしまったかな。詳しいことは朝食を食べながら話そうか」

 夏油さんが至近距離に来たことで、思い出せなかった昨日のことがフラッシュバックしてしまった。とても衝撃的な昨夜のそれは、思い出せば鮮明に記憶に残っている。
 それに気づいたらしい夏油さんは、眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。きっと彼も昨日の記憶があるのだろう。気まずすぎる。
 そんな素振りに気付かないふりをしながら夏油さんに続いて私も寝室を出た。

 夏油さんによる豪華な朝食を食べながら聞いたところによれば、夏油さんは吸血鬼なんだとか。
 ウン百年くらい生きていて、最近は血を吸っていなかったから体調が悪かったらしい。そこに来た指を切って血の匂いを纏った私。飛んで火に入る夏の虫ですね。そりゃ噛まれるよなぁと思った。でもよくよく聞いてみると、それだけではなかったようで。

「君は私の『運命の人』みたいだ。君の血は他とは段違いに甘くて、何百年も吸血鬼として生きてきた私の理性さえも溶かしてしまうんだよ」
「ひょわ……」

 意図したのかそうでないのか、とろけるような声音でそう言われて変な声が出てしまった。吸血鬼だけでもファンタジーなのに、『運命』とまできたか……まるでおとぎ話みたいだ。夏油さんは王子様ではなく吸血鬼なんだけども。
 自分ではわからないけれど夏油さんが言うならきっとそうなのだろう。なおさら悪いことをしてしまった気がする。

「あの、なんか我慢してらっしゃるところにすみませんでした」
「君は驚かないの?私が吸血鬼だと知って……怖くはないのかい?」
「そりゃあ驚きましたし、昨日は痛かったし、ちょっぴり怖いですけど、夏油は夏油さんじゃないですか」
「それは、そうかもしれないけど……」
「だってこれまで夏油さんには良くしてもらいましたし!これまでの夏油さんに嘘偽りはないと思ってるので!」
「君は……ありがとう」

 私がそう言い切ると、それまで重苦しい雰囲気をまとっていた夏油さんがその難しい顔をやめ、ふわりと笑った。ああ、これで良いのだと、彼の表情から自分の言葉選びが間違っていないことを知る。夏油さんが笑ってくれたことに安堵しつつ、それからの話を進めた。


「それでは、今日はお暇させていただきますね」
「ああ、送って行けなくてすまない」
「いいえ、昨日の今日なのでちゃんと休んでください」
「それはそうなんだけど……あの件、本当にいいのかい?」
「いいんですよ!私が決めたことですから」

 あの件、というのはあの後私が提案した「定期的に夏油さんに私の血を提供する」という約束のことだ。
 夏油さんにとって人間の食事は嗜好品程度の扱いで、栄養分はそこまでとれないらしい。
 それによくよく聞いてみれば、普段はあまり血を飲まないで過ごしており、飲むにしても吸血鬼とかそこらへんの種族?の界隈で取引されている輸血パックの血を飲んでいるということだった。
 ちなみに輸血パックの血の味は夏油さん曰く「一回冷凍して回答した野菜みたいな感じ」らしい。あんまり美味しくないじゃないか。そこで提案したのが金曜の夜に私が血を提供するということ。

 当然夏油さんは断ろうと言葉を重ねてきたが、最終的に「じゃあ交換条件として夏油さんのお料理食べさせてください!」なんて言って彼を丸め込んだ。我ながらいい仕事したと思ってる。正直血を吸われる感覚はあまりよろしくない感じだけど、夏油さんの健康のためならいいかと思えた。

「……ならいいんだけど。じゃあ気をつけてね」
「はい!お邪魔しました!」

 少し心配そうに見送る夏油さんの視線を背にお店の階段を降りた。



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