8.七海先輩に好かれているらしい

 
 あれから車を走らせること20分。七海先輩が連れてきてくれたのは和食のレストランだった。
 落ち着いた雰囲気の店内は話をするには最適だろう。幸運なことに空いていた個室に通してもらい、高専生の時以来の2人きりの食事が始まった。

 メニューとしては水炊きと雑炊。怪我をした私を気遣ってのことなのか、さっぱりとした、それでいて栄養価が高そうな料理がテーブルに並ぶ。
 こういうところはやっぱり七海先輩だなって思う。その気遣いが私に向けられていることになんだか嬉しくなった。

 食事の最中は大した会話もなくて、少しだけ気まずい。私はご飯の味はそこそこに「話」の内容が気になって仕方がなくてそわそわしてしまっているけど、当の七海先輩はそんなのどこ吹く風という感じで、食事を楽しんでいるようだった。食材を口に運ぶ度に細められる目元がそれを物語っている。
 表情の変化に乏しい先輩でも、わりとわかりやすいところがあるのだ。高専の頃から変わらない先輩の癖にあの頃の気持ちを思い出しそうになった。

 だけどそれはしてはならない。先輩には彼女さんがいるのだから、どうにか憧れくらいでとどめておかないと。この先辛くなるのは自分なのだから。

 そんなことを思っていると料理はついにデザートのあんみつまで進み、そこまで来てやっと先輩が口を開いた。

「それでは先ほどの件ですが」
「は、はい」
「率直に申し上げておくと、私は先輩として貴方へのあれそれに憤っていた訳ではありません」
「つまり私は自分で言うのもなんですが、先輩にとって大切な後輩ではない、と」
「そういうことです」

 ああ、なんだ。少し頑張りを認められたからって、ご飯に誘ってもらったからって、期待しちゃったじゃないか。あれだけ言ってくれたから、もう立派に一人前の呪術師だと、仲間だと、思ってもらえてると思ったのに。

 そう思ったらなんだか急に悲しくなってきて、目の前が水の膜が張ったみたいになってきた。
 いけない、そう思うのに、私の体はいうことを聞いてくれなくて、俯いた瞬間に木のテーブルを濡らしてしまう。ぽたり、ぽたりと私の意志に反して目元から雫は流れ落ちる。

 今日はダメダメだ。刺されるし、詰めが甘いと言われるし、何よりもせっかくの食事の雰囲気を台無しにしてしまった。
 こんな私の様子を見て呆れたのか、七海先輩も深いため息をついて、珍しく「クソ……」なんて言っている。もう思考がネガティブ路線にシフトを始めようとしたその時、目の前の気配が動いた。

「そんなに泣かないでください。貴方に泣かれたらどうしていいかわからなくなる」

 伸びてきたのは七海先輩の大きな手。骨ばったその手が私の顔を上に向かせると、悲しそうな表情の七海先輩と目が合った。どうして、そんな顔をするんですか。そんな顔をしたいのは私の方なのに。
 先輩のこんな表情は見たことがない。先輩にそんな顔をしてほしくはないけれど、それで止まるようなものではなくて、尚も涙が頬を伝っていく。そうすればするりと少し硬い指先が私の目元に溜まった涙を拭った。

「私は、貴方が傷つくところを、辛そうな顔を見たくない。だからどうか、泣き止んでくれませんか」
「だって、七海先輩、がわたしのこと、後輩とすら、思って、ない、って言うからっ」
「すみません、言葉が足りませんでした。あれは貴方を『ただの後輩』として見ていない、ということです」
「どういうこと、ですか」
「貴方が、好きなんです。高専の時からずっと。貴方には……あの頃みたいに笑っていてほしい」

 そんなまさか。あまりの驚きに涙が止まる。七海先輩が冗談を言うような人でないことは分かっているけれど、どうしてもすぐには信じられない内容だった。
 だってあんなに嫌われてたんだよ?いつも出会い頭に嫌味を言われるほどに。高専の頃はあの任務を境にほとんど話もしなくなった。だから、今になってこんな言葉をくれた先輩の意図が分からない。

「私の言葉を急に信じろ、という方が無理だと思います。過去の貴方への態度は本心からのものでなかったにしろ、貴方を傷つけていたことは事実ですので」
「本心でない……?」
「私は貴方が大怪我を負ったあの任務から、もう大切な人を失うのは嫌だと、耐えられないと、そう思いました。ですから貴方が呪術師を辞めてしまえば、もう貴方を失うことはないと思っていたんです。結果的に貴方は辞めずに、耐え切れなくなった私が辞めてしまう形となりましたが」
「それ、ほんと、ですか」
「本当です。あの時から既に貴方は私の大切な人だったんです。貴方を守れるなら嫌われてもいいと思うくらいには」

 今までのことが全部、本心じゃないなんて。それがもし本当なら先輩は、ずっとずっと、意に沿わない言葉を言い続けてきたわけで。そんなの、つらいのは先輩の方もじゃないか。

 あの頃の関係を壊してまで、先輩は守ってくれようとしたんだ。呪術師を辞めるのが私のため、というのは先輩の考えで私の意志とは違うけど、先輩の気持ちは少しわかる気がする。特にあの時期は色々重なった時だったから。それを思うと心がきゅっとなった。

 七海先輩の気持ちに触れ、心の天秤が傾きそうになった時、あんみつに乗ったさくらんぼが視界に入った。あの時、休日に先輩といた女の人が着ていたのと同じ赤。
 その色に私は先輩の本命にはなれないことを思い出す。彼女がいる先輩に私はふさわしくないし、表で言えないような関係にはなりたくない。

「で、でも先輩は彼女さんがいらっしゃるんでしょう……?」
「何の話ですか?私に彼女はいませんが」
「え、じゃあその、せ、セフレとかいうやつですか?」
「そのような関係にある女性はいません。貴方は私がそのような関係を持つ男だと、そう思っているんですか」
「そんな!滅相もない、です。ただ、私のお休みの日に大人っぽい女性と親しげに歩いているのを見かけたので……」

 そう言えば、七海先輩はまたもや深いため息をついた後、事の次第を話してくれた。
 あの日は任務であの女性は任務に協力してくれる呪術師の人だったらしい。なんでもラ……から始まるホテルでカップルが次々と襲われるという案件で、男女カップルでないと現れないタイプの呪霊だったために、2人でカップルを装っていたらしい。

 七海先輩に彼女さんがいなくてよかった。そう思ったけど、そうすれば私と先輩の間には何の障害もないわけで。

「私の身の潔白は分かっていただけたでしょうか」
「は、はい。勘違いしてすみませんでした」
「では改めて言わせてください。私は貴方のことが高専の頃からずっと好きで、大切な存在だと思っています。付き合っていただけませんか」

 決定的な言葉を言われてしまった。私を見つめる七海先輩の表情はいつになく真剣だ。でも、でも、何の心配もなくなったとしても、私の心はそう簡単にはいかなくて。まだ切り替えができずにいた。

「七海先輩のお気持ち、嬉しいです」
「では」
「その、嫌いとかでは全然ないんですけど、まだちょっとそういうことは考えられない、というか」
「そう……ですか。いや、当然ですね。嫌われていないと分かっただけでも良かったです」

 優しげな笑みをこぼす先輩に少し罪悪感を感じつつも、こんな気持ちでお付き合いを了承するのは違うと思ってしまったのだからしょうがない。そう理由をつけて明言を避ける私はずるい奴だろう。
 話したいことが終わったのか、七海先輩があんみつに手をつける。私もそれに倣い、ソフトクリームの溶けたあんみつを頬張った。








「怪我した日に食事に連れてく奴があるか!」

 あの日から数日、私は硝子先輩の元へと来ていた。あの日は帰ってから熱を出してしまって、硝子先輩のお世話になったのだ。

「お前もほいほい着いて行くなよ、七海もあれで男だからな」
「それは、その……十分理解してると言いますか……」
「ん?何かあったのか?」
「その、告白されまして……」
「それは良かったじゃないか。で、結婚式はいつなんだ?」
「はい?!」

 まだ返事すらしてないのに、結婚式とはこれいかに。私が返事を保留していることも含めたあの日の顛末を話せば、硝子先輩は笑いながら聞いてくれた。

「七海もとうとう白状したのか。横で聞いていたかったよ。いい酒のつまみになりそうだ」
「硝子先輩はその、七海先輩のお考えは知ってたんですか?」
「ああ、知ってたよ。あいつの想いもね。まあそういうことだから、早めに返事してやんな」
「そう、ですね」

 それから少し雑談をして硝子さんのいる医務室を後にした。硝子先輩はずっと知ってて何も言わなかったのだろう。彼女の目には私たちの両片思いはどう映っていたのだろうか。
 すれ違って、埋められないと思っていた溝が今、急激なスピードで埋められていこうとしている。その速度に私の気持ちはまだ追いついていなかった。




 少し気持ちを落ち着かせようと、自販機のあるスペースまで歩く。そこには体術の師でもある、呪術界最強の先輩がいた。

「五条先輩、お疲れ様です」
「お疲れサマーランチ!あれ、なんか暗い顔しちゃってどうしたの?今ならGLGの悟くんがお悩みもパパッと解決してあげちゃうから話してみない?」

 会って速攻悩んでるのがバレるとか。そんなに顔に出てないつもりだったけど、そうでもなかったのかもしれない。
 話してもいいだろうか、この先輩に。いつもいい加減な様子が頭に浮かぶ。しかし、ベンチから珍しくこちらを見上げる五条先輩には、普段のような揶揄う様子は見られない。私は相談に乗ってもらおうと、壁際のベンチでイチゴ牛乳を飲んでいる先輩の隣に腰を降ろした。

「で、何のことで悩んでるの?まあ、だいたい想像つくけど」
「七海先輩のことなんですけど……」
「あー七海ね。告白されたけど、どうしていいかわからない〜的な?」
「な、何故それを……」
「僕、最強だから。なんでも分かっちゃうんだよねぇ」

 五条先輩の洞察力が怖すぎる。というかもしかしたら先輩も昔から私たちのことを知ってたのかもしれない。荒れ寺でも何か話してたし。それだったら私の悩みなんてお見通しなのは頷ける。

「その通りです。私、七海先輩に告白されたんですけど、どうしていいか分からないんです」
「どうって、お互いに好きで両思いなら付き合っちゃえばいいじゃん」
「それはそうかもしれないんですけど……たしかに七海先輩のことは好きです。だけど、急に態度が変わったというか、七海先輩の想いを知ってしまったので……」
「混乱してるんだ?」

 こくりと頷けば、意外にも五条先輩は茶化すこともなかった。少しくらいは囃し立てられるかと思ったのに、今日は真面目な日らしい。明日槍でも降るんじゃないだろうか。こんなこと言ったら怒られそうだから言わないけど。

「だから、頭の中がごちゃごちゃしてて。硝子先輩にも早く返事してやれって言われたんですけど」
「まあ、七海は全然気にしてないようで結構気にしてるしね。あいつにしては珍しく任務の凡ミスとか報告書のミスも出てるみたいだし」
「それ大丈夫なんですか?!」
「それに関しては心配しなくて大丈夫だよ。七海にしては、っていう感じだから命に関わることじゃないし」

 私が曖昧な返事をしてしまったから七海先輩も色々思うところがあるのかもしれない。だけど、踏ん切りのつかない私は未だにどうしていいのか分からずにいる。
 これだけ聞いても尚、決定的な何かが足りないと思ってしまう私は欲張りなのだろうか。思考が上手くまとまらない。

「これを聞いてオマエはどう思った?」
「七海先輩が心配だな、と」
「その原因が自分にあるのはもう分かってるんだろ?」
「それは……」
「あ〜まどろっこしいな!」

 五条先輩はいきなり立ち上がると、イチゴ牛乳のパックをゴミ箱に投げ入れた。あ、ナイスシュート。なんて思っていると、いきなり目の前が暗くなる。

「じゃあこれはどうなんだよ」

 目隠しを取り、身体を屈めてこちらへと迫ってくる先輩。いつもは見ることの叶わない綺麗な青い瞳が至近距離で私を見つめている。気がつけば私の両サイドにはご丁寧に先輩の腕が置かれており、いわゆる壁ドンみたいな状況になっていた。

「どうって言われても」
「こういうことされても僕じゃドキドキしないだろ?嬉しいとか思わないだろ?」
「だって五条先輩ですし……」
「じゃあこれが七海だったらどうなんだよ」
「七海先輩、だったら……」

 想像しただけでもうダメだ。きっと恥ずかしくて目を開けていられないし、何も喋れなくなるだろう。だってずっと想いを寄せていたのに、こんなに近くにいたことなんてほとんどないのだから。
 考えていたのは数秒だが、それだけでも顔に熱が集まるのを感じる。そんな私を見た五条先輩は身体を起こして私を解放した後、なんだか少し悲しそうに笑った。

「そういうこと、なんじゃないの。オマエは昔から……七海じゃなきゃだめなんだよ。オマエがずっと越えたいと、追いつきたいと思ってたのは、稽古をつけてた僕じゃなくて七海だろ?」
「五条先輩、私……」
「七海に言わなきゃいけないこと、あるんじゃない?ちなみに七海は事務室だよ」
「ッ!すみません!失礼します!」

 すぐさまベンチを立って走り出す。途中で振り返って、「ありがとうございました!」と言った時の先輩はなんだかやっぱり元気がない気がしたけど、それより目の前のことに集中したくて、できうる限りの速度で事務室を目指した。

 わかったんだ。自分の気持ち。ずっとずっと胸にしまってあったから、上手く引き出しを開けられなかったけれど。七海先輩に嫌われたんじゃないかって思った時も、先輩が呪術界を去った時も。いつだって私が追いかけてたのは七海先輩だった。
 絶対負けないって、見返してやるんだって、私の原動力になった人。高専から今まで、私も七海先輩のことが好きで、大切だったみたい。七海先輩にも負けないくらい。

 そう思ったら後は簡単で、この想いを伝えなきゃって思った。高専の敷地内を走って、途中の廊下で今は学長になった夜蛾先生に「廊下は走るんじゃない」なんてお小言をもらっても、私は止まらなかった。




 息も絶え絶えになった頃、ようやく事務室のプレートが見えてくる。ガラガラッと勢いよく扉を開ければ、その音に驚いた七海先輩や伊地知くんを始めとする補助監督の皆さんが私の方を見ていた。

「はぁ、はぁ……七海、先輩、いらっしゃいますか」
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「あ、あの!先輩に伝えたいことがあって!お時間大丈夫ですか……?」
「ええ、構いません。伊地知くん、こちらはお任せしても?」
「は、はい!大丈夫です!」
「では行きましょうか」

 七海先輩は何かを察してくれたのか、私の腕を引いて足早に廊下を進む。汗ばむ手には気づかないフリをして七海先輩の後を追った。


 だいぶ歩くなと思いながらついて行くと、先輩が足を止めたのは高専の空き教室。ドアを開けて中に入れば机に七海&灰原の落書き。今は使われていない、先輩たちの学年が使っていた教室だった。

「それで、お話とは何でしょうか」

 それまで背中しか見えてなかった先輩がくるりとこちらを向く。冷たいように聞こえる言葉も、心なしか柔らかな視線のおかげで怖くない。私は1つ深呼吸をしてから話を始めた。

「まずは七海先輩、この前は曖昧な返事をしてしまって申し訳ありませんでした」
「あの日のことはさして気にしていませんよ」
「でも、最近先輩ミスが多いって聞きました。思い上がりかもしれないけど、私がちゃんと返事しなかったからじゃないかって」
「誰からそれを……そこまでではないので大丈夫ですよ」

 あまり知られたくない内容だったのか、一瞬険しい表情になった先輩が目線を逸らす。
 ここからが本番だ。ちゃんと私の思いを伝えよう。どんな反応を返されたとしても。

「私、あの日から今までどうしたらいいかわからなかったんです。先輩のこと、どう思ってるのかも正直手探りで、先輩の想いに応えられないような気がして、今日まで答えが出せずにいました」

 ひとつひとつ丁寧に。自分の気持ちを紡いでいく。拙い言葉でもどうか、伝わるようにと願いを込めて。

「でも今日、やっとわかったんです。七海先輩は高専の頃から、嫌われたと自覚してからも、呪術界を去ってしまってからもずっと、私の指針でした。先輩の存在があったからこそ、こんな場所でも頑張ってくることができたんです」

 目線を逸らしていた先輩がもう一度こちらを向いた。告げるなら今しかない。

「今も昔も、七海先輩が大切で、大好きです。そんな先輩の隣に立つ権利をくれませんか」

 言い切った。言っちゃった。私を見る七海先輩の瞳はサングラス越しでもわかるほど、大きく見開かれている。
 わずかな沈黙。しかし、この空白の時間が何よりもつらい。先輩は私の気持ちを聞いてどう思ったのだろう。今度は私が不安になって視線を彷徨わせる。

「……まるでプロポーズをされているように聞こえましたが、その自覚はおありですか」
「えっ?!そ、そんな大それたことを言ったつもりは……!」

 沈黙を破ったのは七海先輩。そんなつもりはなかったけど、思い返せば恥ずかしさが襲ってきて、先ほどの比じゃないほどの熱が顔に集まってくるのを感じる。
 普通に気持ちを伝えるはずが、勢い余ってプロポーズまがいの言葉を口走ってしまうなんて。あまりにもぶっ飛びすぎてやしないだろうか。

「でしょうね。貴方のことだ。そんな気はしていました。けれど、そう言っていただけてとても嬉しかったです」
「七海先輩……」

 ふわりと笑う七海先輩を見て、これだ、と思った。私が見ていたいもの。今はめっきり笑わなくなった先輩の笑顔。自分の気持ちがすとん、と腑に落ちる心地がする。
 先輩はサングラスを外すと距離を一歩詰めて来て、私の名前を読んだ。

「改めて、私と付き合っていただけますか?」
「私でよければ、よろしくお願いします」
「嬉しいです。ありがとうございます。……口付けても?」
「えっ、あ……」
「時間切れです」

 戸惑っているうちに先輩の顔が近付いて来て、ままよと目を閉じる。ぎゅっと固くなった私の顎が掬われると、軽く唇が触れて離れていった。

「貴方、顔が真っ赤ですよ」
「えっ嘘?!み、見ないでください!」
「ふふ、そんなところも可愛らしいですね。もっと見せてはくれないんですか?」
「な、七海先輩?!」

 か、可愛いとか言うのか……!恥ずかしいのは本当だけど、目を細めながら笑っている七海先輩の破壊力にもやられてるので放っておいてほしい。「どうしましたか?」なんて少し首を傾げるのもクリティカルヒットしてきて心臓に良くないのですが。

「あの、可愛いとかあんまり言わないでいただけると……慣れなくて恥ずかしいので……」
「ではこれから慣れてください」
「そ、そんな……!」
「私は存外可愛がりたい質なんですよ。今まで我慢していた分、目一杯愛させてください」

 先輩がこんなに甘々だなんて知らなかった。これ、普段からされてたらしんじゃうやつでは?私、生きていけるかな。

「控えめだと嬉しい、です」
「貴方の頼みですから善処したいところですが、こればかりは。これから覚悟してくださいね?」

 大人の色気たっぷりに笑う七海先輩に、私は今にも倒れてしまいそうだ。ずっと先輩のペースはのは尺だから、
「伊地知くんが待ってるからもう行きましょう!」なんて、照れ隠しで言ってみる。
 七海先輩は納得してないようだったけど、伊地知くんを待たせてるのは分かってるから、仕方なく教室を出てくれるようだった。

 入って来た時と同じように、七海先輩が先に教室を出て、私が扉を閉めた。先輩がこの場所から去った時、1人で出たであろう教室。それを今日は2人で出たのだ。
 先輩が何を思ってこの教室を選んだのかはわからないが、何か七海先輩の中で吹っ切れたのなら嬉しいと思う。扉を閉めて、少しだけあの明るい先輩へと想いを馳せた。

「ほら、行きますよ」
「はーい!」

 教室の前で立ち止まる私に、少し先を歩いていた先輩が声を掛ける。教室ではあんなに甘々だった癖に、外に出た途端にいつもの調子に戻っているようだった。
 小走りで追いつき、先輩と並んで歩き出す。隣を見ればやっと追いついたこの背中。これからは私が隣に立ちたいと、七海先輩を支えられる存在になりたいと、そう強く思いながら事務室への道を辿った。




fin.



*このシリーズに関しての追加情報はこちら↓
[七海先輩に嫌われているらしい」製本について]


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