7.嫌っているのに私のために怒ってくれるらしい

 痛みを感じて後ろを振り返ればそこには歪んだ笑みを貼り付けた男がいた。腹部を押さえて距離を取れば、ナイフが抜けた痛みで顔が引き攣る。その衝撃で呪霊を捕らえていた術が解けてしまった。

「何してくれてんの、よ!」
「あれ、まだ動けるんだ。あんまり刺さんなかった?」
「あなた、誰?」
「そっちこそ覚えてないんだ?残念だなぁ。君、あの時の弱々呪術師の子だよね。あの時は楽しませてもらったよ、『仔猫チャン』」

 その呼び名で呼ばれた時に走った悪寒は尋常なものでは無い。だってそれは、学生時代に、七海先輩がこの呪いの世界を離れた時に遭遇した、タチの悪い呪詛師が私を呼ぶ時に使った名前だったから。
 五条先輩が助けに来てくれなかったら今頃どうなっていたか解らない。

「あなた……いやアンタ、あの時の最低野郎ね。今日はあの日の借りを返させてもらうわよ」
「弱々な君に出来るのかなぁ?楽しみだね!」
「余裕ぶってるのも今のうちじゃない?」
「僕の術式は霧を出してその霧に隠れて行動できるものなんだ。それに、君に刺したナイフは使い捨てだけど3分間術式を封印するやつだよ。君はあと3分術式を使えない。頑張って俺の攻撃を避けないと死んじゃうかもね?」

 術式の開示……!それに呪具の効果も開示されたせいで両方ともの効果が高まるだろう。3分、いや5分は術式が使えないと見るべきか。私の得意分野である中・長距離戦には持ち込めないということだけど、生憎私はそれだけが手持ちのカードという訳じゃない。
 手に呪力を込めてみれば、指先で踊る力の奔流を感じた。幸い術式が使えないだけで呪力は使えるらしい。この時間を耐え切って、術式が復活したら相手を拘束しよう。その前に体術で倒してしまうのがベストだけど。

「そんなことさせる訳無いでしょう」
「あは、面白いね♪逃げてみなよ『仔猫チャン』」

 そう言うなり呪詛師は呪具を捨てて自身が生み出した霧に溶けた。全方位、どこから来るかわからない攻撃。
 右から、左から、背後から。致命傷を避けるのに必死で反撃をする暇が無い。私の身体には打撃による傷がどんどん増えていく。せめて視界に捉えられたらと思うが、それは相手の術式。これだけはどうしようもなく、解除や相殺する方法もなかった。

 このままではやられる一方だ。いつまで避け切れるかもわからない。呪具の効果が切れるまで立っていられる確率は五分五分といったところか。それなら、もういっそこの体術戦で、できれば一発で仕留めるくらいの勢いでいかないといけないだろう。そう考えていると、ふと頭に言葉が浮かんできた。

――オマエは術式と目に頼りすぎなの。もっと五感を使って敵の情報を拾うんだよ。

 体術を教えてもらい始めた頃に五条先輩にいわれた言葉。視覚がダメなら聴覚だ。私は目を閉じて気持ちを落ち着けつつ、周囲の音に耳を澄ませた。

――じゃり

 研ぎ澄まされた聴覚が7時の方向から玉砂利を踏みしめたであろう音を捉える。今しかない。
 私はその音がした方向に向かって素早く踏み込み、男がいるであろう場所へと呪力を込めた渾身の蹴りを叩き込んだ。

「ぐはッ……!」

 思った通り、私の一撃は男の腹にクリーンヒット。男の集中が途切れたのか辺りを覆っていた霧は晴れ、呪霊と戦っている七海先輩が視界に入る。

「七海先輩ッ!」
「わかっています……!」

 名前を叫んだだけで、先輩は私の意図を汲んでくれた。うめき声を上げながら地面に転がっている呪詛師の上に乗り上げ、絞め技をかけて落とす。しっかりと落ちたことを確認した後、いつの間にかネクタイを緩めていた七海先輩の鉈捌きを見つめた。

 呪霊も消耗しているようで、近接戦に持ち込んだ七海先輩から距離を取ることができていない。先輩の術式は近接特化。この霧が晴れて呪霊に接近出来るようになった以上、先輩の術式が活きてくるはずだ。両者譲らない戦いのように見えるが、七海先輩の方が明らかに押し始めている。今度はネクタイを手に巻き付けた先輩が、崩れかけの講堂の中に呪霊を吹っ飛ばした。

「瓦落瓦落ッ!」

 先輩が外から講堂の一点を突く。その瞬間、崩れかけだった講堂が木っ端微塵に崩れ去った。なんだこの威力は。車内で聞いていたけれど、まさかこんな破壊力のあるものだとは思っていなかった。先輩はこの短期間でどれだけ強くなったんだろう。その努力の成果に明らかな差を見せつけられた気がした。

 私がずっと先輩の動向を見つめていると、数秒そこにとどまって呪霊の消滅を確認したのか、七海先輩がこちらへと歩いて来る。

「そんなにこちらを見て何が楽しいんですか。呪詛師の状況は?」
「あ、えと、さっきの一撃で倒れたのでマウント取って絞めておいたんですけど……」
「詰めが甘い。その間に拘束でもなんでもしておいたらどうなんですか」
「すみません……」

 七海先輩はそう言うと自身のネクタイで簡易的に呪詛師の手を縛り上げた。ここまで来てまた叱られるとか、本当に七海先輩は手厳しい。呪詛師の捕縛任務なんて滅多に回って来ないから慣れていないのはしょうがないじゃないか、なんて言い訳を心の中でしてみても、これは実践。命のやり取りをする場で少しの油断が危険に繋がるのだ。七海先輩の言うことはもっともだった。

「貴方は一旦伊地知くんのところへ戻って呪力・術式封じの呪具を取って来てください。その間は私が監視しておきますので」
「わかりました。そちらもよろしくお願いします」

 先輩の言葉に私は行きよりもだいぶ空気の軽くなった石段を降りて行った。







 山を降り帳を出て、伊地知くんにこれまでの経緯を話す。まずは無事であったことを喜ばれ、次に無茶をしたことを叱られた。手当てもしてもらって、怪我もひとまず落ち着く。こういう時の伊地知くんは案外手厳しい。急いでいる状況だからあれだけど、いつもだったらお説教コースまっしぐらだ。今もあれこれと小言を言いながら対呪詛師用の封印呪具を車のトランクから出してくれている。

「ではこちらをお持ちになってください。七海さんが捕縛しているとはいえ、まだ術式を無効化した訳ではないのでお気をつけて」
「うん、わかった。ありがとう伊地知くん」

 そうして呪具を受け取り、山へ向かおうとしたその時だった。急に空気が揺れて、身に覚えのある呪力が背後に出現した。

「お疲れサマンサ〜!どう?任務捗ってる?」
「五条先輩!なんでここに……」
「何って、ちょーっとオマエらにはキツい任務かなって思ったから、わざわざ来てあげたんだよ?なんだったら加勢してあげようかな〜とか思って。僕ってば優しい〜!ま、その様子だと大丈夫だったみたいだけど」

 振り返ればこの任務を斡旋した笑顔の五条先輩がそこに立っていた。全部終わったこのタイミングでとか対応に疲れるだけじゃないか。しかも加勢ってことはキツい任務だって分かってたってこと……?

「五条先輩、この任務にあの呪詛師が絡んでるって知ってたんですか?」
「ん、まあね。その上でオマエたちを派遣したのは僕」
「なんで言ってくれなかったんですか……!」
「そこは、まあ色々と。ていうか早く行かないと、七海が呪詛師押さえてんじゃないの?」
「うっ、そうでした……」
「僕優しいから山頂まで一緒に行ってあげるー!ほら落ちないでね?」

 そう言うなり、五条先輩は私の呪具を持っていない方の手を掴むと、強引に飛んだ。

 飛んだ先は荒れ寺から少し離れた場所だった。急に飛ばれので少し平衡感覚がおかしい。なんでも急なんだからこの人は。後で色々と七海先輩に抗議してもらおう。

 そう思いながら五条先輩を連れて荒れ寺の方面へ向かっていると、話し声が聞こえてきた。この状況だと七海先輩と呪詛師の男だろうか。なんだか聞いてはいけない気がして、咄嗟に木の影に隠れてしまう。そして珍しいことにあの五条先輩も息を潜めて2人の会話を聞く体勢を取った。

「お前はあの子に何をしたんですか」
「あぁ、『仔猫チャン』のこと?」
「呼び名はどうでもいい。何をしたかと聞いているんです」

 嘘。その話だけは嫌。あの時のことは今でもたまに夢に出るくらい、悪い意味で印象に残っている。何をされたかなんて、あの男の口から、しかも七海先輩に知られてしまうなんてそんなの。あんまりだ。
 私は男の口を止めようと走り出そうとしたが、それは五条先輩によって止められた。先輩に体を抑えられ、口も塞がれては何も出来ない。私はただ七海先輩に私の黒い過去を知られてしまうのを黙って聞いているしかなかった。

「まあそう焦るなって。仔猫チャンにはねぇ、俺のこと慰めてもらおうと思って色々してもらったんだよ。術式が使えない、身体の自由も効かない状況でのあの怯えた顔といったら!もうたまらなかったよね!」
「つまり、お前は、あの子で……」
「色々と楽しませてもらったよ?あの時は途中で邪魔が入っちゃったけど、本当なら俺の飼い猫にしたかったんだ〜!そういえばあんたって『仔猫チャン』の彼氏かなんか?あの子の泣き顔そそるでしょ?」

 最低だ。最悪だ。七海先輩にあのことが知られてしまった。私は汚れた女だって。綺麗じゃないって。
 今から私はどんな顔をして先輩に会えばいいのだろう。先輩が私の顔を見て目を逸らすことなど目に見えている。気まずい雰囲気になることだってわかってる。なんで五条先輩は私を止めたんだろう。少し涙目になりながら先輩を睨めば、あっちを見ろ、と言わんばかりに七海先輩たちの方を指さした。

「お前が気安く『あの子』を語るな!」

 こちらの空気が震えるほど声を荒げた七海先輩。先輩はそれと同時に呪詛師の男の顔を思い切り殴っていた。

 いつも何があっても冷静な行動をする七海先輩が感情を剥き出しにして拳を振るっている。高専時代では見たことのない光景に驚きを隠せない。
 一度殴って落ち着いたのか、先輩は元のトーンに近い声で話を再開した。

「あの子はお前のような、汚れた奴が触れていいような子ではないんです。ましてや泣かせるなど、言語道断」
「何?今になって偉そうに説教してる訳?」
「お前に説教したところで無駄なのでこれ以上は言いませんが。最後に一つだけ……あの子を泣かせたお前は絶対に許さない」

 先輩はぐいっと男の襟元を締め上げて顔を近づけると、そんな言葉で会話を締めた。あの先輩が怒ってくれている、それだけで少し救われた気がした。あの時の五条先輩も、伊地知くんも、硝子さんもそうだけど、私の周りには思った以上に私を心配してくれる人が多いらしい。過去のことを思い出して少しだけ泣きそうになる。

 私が少し涙ぐんでいると、五条先輩の拘束が緩んだ。ああ、そろそろ私は戻らなきゃいけない。ほんの少しの涙は隠して、何でもなかった風を装って。そう思って荒れ寺の正面に回ろうとすれば、私の手はまたもや強い力によって引っ張られた。

「お疲れサマンサ〜!いやぁ〜七海もやるねぇ!」
「五条さん……!と貴方、何故ここに」
「ん?可愛い後輩たちが心配だから来てあげたんだよ?ていうか下からコイツと飛んできてあげたんだから、お礼くらいあっても良くない?」
「……そうですか」

 五条先輩に連れられて境内まで歩みを進める。五条先輩の声に驚いて振り返る七海先輩。普通だったらあれからまた山を登る必要があったから、こんなに早く戻って来るとは思っていなかったんだろう。平静を装っているようで、その声には驚きと五条先輩への諦念が混じっていた。

「やっぱりそいついたんだ〜捕縛してくれて良かった。こっちで吐かせなきゃいけないこと色々あるんだよね。あ、オマエは早く呪具つけて」

 五条先輩に言われるまま、呪詛師の腕に呪具を取り付けて七海先輩のネクタイを外した。これでこの呪具を外すまで呪力と術式が使えなくなるはずだ。七海先輩に代わって男を抑えてこれで一段落かな、と胸を撫で下ろす。そう思って2人を見ると、なんだか重たい雰囲気が2人の周りを漂っているような気がした。

「ま、何にせよお前たちが無事で良かったよ。呪霊もちゃんと祓ってくれたみたいだし」
「五条さん。貴方、この呪詛師が潜伏している可能性があると分かっていてこの任務を私たちに回したんですか」
「ん、そーだけど?ま、呪霊は祓ったし呪詛師は捕縛したし、お前らは死んでないしで結果オーライじゃない?」

 そう言ってへらりと笑う五条先輩。先輩の考えはいつもわからないけれど、今日のは飛び抜けすぎている。呪詛師の捕縛もそこそこに一言言おうと私が立ち上がろうとしたその時、私より先に動いたのは七海先輩だった。

「あなたは!彼女がどう思うか考えなかったんですか?彼女が死ぬかもしれないとは考えなかったんですか?」
「僕はコイツならできると思ったから任務を振っただけだよ」

 七海先輩が五条先輩の胸ぐらを掴む。私のことを嫌っているのに、私のために怒ってくれるらしい。五条先輩は無下限を切っているのか、されるがままだった。

「彼女が傷つくかどうかの問題です!あなたは、それでも彼女の先輩ですか!」
「過保護になるお前よりよっぽどいい先輩だと思うけどね。ていうか僕、お前の考えには賛成してないし。この世界では傷ついていかなきゃやってられないんだ。むしろリベンジの機会を与えた僕に感謝して欲しいくらいだよ」
「しかし……!」
「そろそろお前も素直になったら?善人ぶってるその面、いい加減吐き気がするよ」

 いつもの軽薄さの欠片もない、五条先輩の低く重い声。七海先輩が言い返せないなんて相当だ。未だにピリピリしている2人にどう声をかけようか悩んでいると、シリアスな雰囲気を醸していた時とは打って変わった明るい声で五条先輩が話し出した。

「なーんてね!柄にもないお説教はやめやめ!呪詛師は僕が連れて帰るから、オマエたちは伊地知の車でなるはやで高専まで帰るんだよ〜!それじゃあね!」

 それまで険悪だった空気を払拭し、五条先輩は呪詛師を掴むと瞬時に飛んで姿を消した。
 そのあとは私たちはお互いに無言のまま伊地知くんの車に乗り、無事に高専まで辿り着いた。







 硝子さんに手当てをしてもらって医務室を出る。「またお前は無茶をして」なんて怒られてしまったけど、心配してくれてるのはわかってるから、力量の足りない自分が少し不甲斐ない。
 そんなことを思いつつ治療を終えて高専の廊下を歩いていると、角を曲がった先には見知った大きな影があった。それは先刻任務の報告のために別れたはずの七海先輩だった。「着いてきてください」と有無を言わせない雰囲気で連れて行かれる。この状況になんだかデジャヴを感じつつ、あれよあれよと言う間に先輩の車に乗せられてしまった。
 朝は伊地知くんに送ってもらったのに、と思っていれば「昨日のうちに置いておきました」とのこと。私を送ってくれるらしい。先輩はしばらく車を走らせたあと、重い口を開いた。

「貴方、あの時聞いていましたか」
「何をです?」
「その、五条さんと一緒にいたであろう時に、私が言っていたことを」
「あ〜その……聞いちゃいました。ごめんなさい。でも、先輩はやっぱり仲間想いですね。いつも怒られてばっかりですけど、私のために怒ってくれて嬉しかったです。ありがとうございます」

 いつまでも隠しておけない……というか五条先輩があそこで登場しちゃったからバレてると思うし、正直に白状した。そうすると、七海先輩はこれみよがしに大きなため息を吐いた。

「貴方は何も解ってない。いや、私のせいでもあるのでしょうが」
「どういうこと、ですか?」
「ここではなんですから、この後食事でもどうですか。話はそこで」

 何が分かっていないんだろう。頭に疑問符を浮かべながら、急なお誘いに必死に頭を回転させるも、すぐに返事をすることができない。黙っている私に痺れを切らしたのか、少し苛ついた声で返事を急かされる。

「……返事は?」
「ご飯、行きたい、です」
「それでは行き先を変更しましょうか」

 今まで私の帰路を辿っていた車が右折し、自宅の方向から離れて行く。緊張に身を硬くする中、隣で七海先輩が薄らと笑っている気がした。









○特訓の成果を出した夢主
・五条との特訓の成果が出せました
・あの時のことはまだ悪夢に見てるけど、今回のことがあったので多少楽になりそう
・七海が怒ってくれたのが嬉しかった
・傷跡は今回のも高専生の頃のもうっすらと残っている
・きっとこの後もガチガチに緊張しかしない

○激怒した七海建人
・呪詛師にも五条にも怒りが抑えきれなかった。だって夢主のことだからね。しょうがないね
・任務を回した五条は絶許(2回目)
・夢主は守りたい派。本当なら戦ってほしくない
・この後がお前の頑張りどころだよ!!!!!

○今回の任務を2人にやらせた五条悟
・ちょっと遅かった最強。結果的に七海の言動を夢主に見せることができたので良かったかも
・任務は2人を信頼して託したものだったので失敗はしないと踏んでた
・夢主は実践に放り込んで強くさせたい派。「僕が教えてるんだ。死なせるような育て方はしてないよ」
・そろそろ七海にご立腹



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