わからないよ、五条(呪専五×同期)

 溶ける、この暑さは溶ける。夏の本番には程遠い七月の上旬だというのに嫌というほど蒸し暑い。窓の外はからっとした快晴で、すでに入道雲も顔を出し始めている。
 今日はそれに加えて五条も夏油も硝子も任務でいない。ぼっち自習である。悲しすぎない?クーラーのつかない教室に一人残された私は自習課題を進める気は起きず、スライムがごとく机に突っ伏していた。
 あ、寝るかも。そんなことを思いながら固い机に身を任せようとした時、かつてない冷たさが私の首筋を襲った。

「ひょわっっ!!!!」

 心地のいい微睡なんか秒でおさらばして飛び上がった。首筋が凍傷になるんじゃないからってくらいじんじんしてるし、変なところから声を出してしまった。こんなことをする奴はだいたい白髪のグラサンか黒髪のお団子だ。
 しかし今のは笑い方からして前者だろう。振り返ってみれば案の定、こちらを見てにやにや笑っている白髪頭がそこにいた。

「ははっ、こんくらいでそんな驚くかフツー?やっぱオマエって面白いよな」
「ほんとやめてよね。で、任務は?」
「はぁ?誰に聞いてんの?あんなの俺にかかれば瞬殺だっての」
「だよね、知ってる。おかえり」
「ん、ただいま」

 任務終わりの同級生や後輩を見るとついついこの言葉をかけてしまうのはいつからだったか。たぶん、最強とまで言われた二人が死に際まで追い詰められたあの夏の任務からだろう。帰って来て目の前にいるのだから無事だとは分かっているものの、確認しないと、声を返してもらわないと安心できなくなってしまった。
 後輩たちや硝子はもちろん、普段はクズと言われている五条、夏油でさえも私の「おかえり」に対してちゃんと茶化さずに返事をしてくれている。それくらいは気の遣える同級生たちだった。

「で、何の用?」
「これ、オマエにやる」

 差し出されたのはオレンジジュースの缶。私の首筋を冷やした物の正体はこれだったのだろう。それはこの教室や外気の温度に晒されてぽたぽたと汗を垂らしていた。
 五条にしては気が利くじゃん。そう思って素直にお礼を言う。私はここで飲む気でいたのだが、どうやら五条はここから出て行きたいようでどこかに行こうなどという提案をしてきた。

「は?私自習してたんだけど」
「んなのどうせ進んでないのは分かってんだよ。いいからついて来い」

 五条はむんずと私の右手を掴むと、教室を出てどんどん先に進んで行く。万年三級の私が五条の力に抗えるはずもなく、どこかもわからない場所へと連れて行かれた。

 五条がその歩みを止めたのは裏庭にある大きな木の下だった。曰く、五条のサボり兼昼寝スポットなんだとか。私を連れてきて良かったの?と問えば、オマエはいいの、なんて返ってくる。なんだか懐かない猫が自分のテリトリーに入ることを許してくれているみたいで、自然と笑みが漏れた。
 木の根元にドサリと胡座をかいた五条に倣って、その右隣に体育座りで座る。左を見てみれば五条が飲むのはいちごオレらしく、パックにストローをさしていた。私も、と思ってプルタブに手を掛ければ、カシュッと良い音が鳴った。そのまま一口、二口と口に含み、その冷たさを感じる。暑さで溶けそうな身体がその形を取り戻していく、そんな気がした。

「オマエは最近任務入んねーの?」
「ん〜入ってるけど、わりかし簡単なのばっかだから、みんなより掛かる時間が少ないんだよね。だからみんなが帰ってくる時にはほとんど高専にいるって感じ」
「オマエ弱いもんな〜〜」
「万年三級ですが何か?どうせ特級様には敵いませんよーだ」

 未だ中身がたくさん入った缶を両手で持ちながら不貞腐れてみたりなんかする。特級の五条と夏油を始め、反転術式で重宝される硝子、私よりは等級の高い後輩たち。一年前はそんなことも無かったのに、最近はみんな忙しくて集まる時間も無くなってきているのが現状だった。みんなで夜通し桃鉄やったのも、お好み焼きパーティーしたのも、映画観賞会をしたのだって、もはや遠い記憶になりつつあって寂しい。
 すれ違っているみんなの予定が合わないかな、なんて最近はそればかり考えている。みんなと行きたいこと、したいことはたくさんあるのに、やりたいことリストは増える一方で減ってはいかない。学生としてはちょっと不満なこの頃だ。

「五条はさ、遊びに行きたいところはないの?」
「あ?んなもん急に言われても思いつかねぇよ。そう言うオマエはどっか行きたいところある訳?」

 五条に聞いたつもりが逆に聞き返されてしまった。私が行きたいところ、どこだろ。とりあえず思いつくままに言葉に出して羅列する。

「プールとか海に行ったり、任務じゃない小旅行に行ったり、夏祭りに行ったり、花火したり……とにかくみんなと色んなところ行きたい!!」

 声に出して挙げていくとキリがない。普段は茶々を入れてくる五条も、この時ばかりは大人しく私の行きたいところというかしたいことを聞いてくれていた。

「こんな世界にいるからさ、やりたいことは全部やっておいた方がいいじゃん?後悔したくなくて」
「そーいうもん?」
「私はね。五条みたいにそんな強いわけでもないからさ。いつ死んじゃうかもわかんないと思ってるんだ……ってなんか暗い話になっちゃったよね!ごめん!」

 やりたいこと、という比較的明るい話題だったはずなのに、なぜかしんみりさせてしまった。いけないけない。そう思って無理やり笑顔を作って五条の方を振り向く。
 そうして覗き見た五条の横顔はいやに真剣で。そんな顔は見たことないから、不覚にもどきりとしてしまった。そして五条の口からは意外な言葉が飛び出してくる。

「……俺が守る。世界も、オマエも」
「五条……?」
「オマエは俺の……大事なひと、だから」
「五条は優しいね、ありがとう」

 五条がくれたのは慰めの言葉。入学当初はあんなにツンツンしてたのに、今では同級生を元気づけることまでしてくれるんだ。あのクズがここまで成長したなんて感慨深い……なんて少し場違いなことを思う。そうでもしないと涙が溢れてしまいそうだったから。
 目を伏せつつも五条に向き合う体勢は変えずにいると、それまで正面を見ていた五条は突然こちらを向いた。

「俺は傑みたいに誰にでも優しい訳じゃないから」
「じゃあ、なんで」

 ほとんど反射だった。サングラス越しの透き通った空色が私を見つめる。

「オマエのことが好きだから。……なあ。死ぬかもなんて、んなこと言うんだったら、俺にオマエを近くで守らせろ。ぜってぇ守るから」
「そ、んな……急に言われても……ちょっと理解出来ないっていうか」
「じゃあ今理解しろ」

 かちゃり。そんな音が響いたかと思うと、目の前には五条の顔が迫って来ていて。訳もわからないうちに私の唇を掠めたそれは、次の瞬間には満足そうに弧を描いていた。

「これで理解っただろ?」

 そんなこと言われたって理解が追いつく訳もない。だって、こんなの、急すぎる。こっちは今まで意識なんかしたこと無かったし、それに告白なんてされたことも無い。
 ここまでされたって正直信じられないくらいだ。でも先程のことで分かっていることが一つある。それは……

「ねぇ、その……ふ、ふぁーすときす、だったんだけど」
「マジで?うっわ、超嬉しい……」

 そう、私のファーストキスが好きでもないこの男に奪われたということだ。普段の私だったらもっと怒ってもいいはずなのに、意識はそちらへはいかず、むしろ照れた五条の反応が可愛いなんて思ってしまう。
 今日だけで五条の新しい一面をどれほど発見させれば済むんだろう。優しいとか、可愛いとか、こんな五条なんて知らない。知らなきゃよかった。どうしたらいいかなんて、まだ分かんないよ。

「五条、申し訳ないんだけど、あの、私……まだ……」
「まだ信じられねぇの?」
「……ごめん」

 私の答えに五条は不満そうな顔をした。そりゃそうだ。期待した答えがもらえないのだから。だけど五条は怒ることはしないで、私に猶予期間をくれた。

「わぁったよ。一週間は待ってやる。それまでに返事考えとけよな」
「ありがと」
「また明日、な」
「うん」

  その言葉と共に五条が立ち上がる。この場を後にする五条の背中を見ながら、私は缶を両手で握りしめた。たっぷりと汗をかいたそれは今の私の動揺を表しているようで。ジュースのおかげで冷えてきていた私の身体は彼の言葉によってまた熱を持ち始めていた。


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