1.夏油教授に迫られています

 手元の腕時計を確認しながら足早に歩く。時刻は10時28分。1限の講義が長引いてしまったため、次の講義まではあと2分しかない。
 急いで入った講堂は既に沢山の学生が席を埋めていて、空いている席は前列しかないようだった。
 もう開始の時刻も迫っているので講堂の前方へと急ごうとすると、壇上にいる教授がこちらを見ている気がした。遅いと思われたかもしれない。教授からの印象を悪くしてしまった気がして、1限の先生をちょっぴり恨めしく思いながら真ん中より少し左端の席に着席した。

 丁度始まりの時間になって教授がマイク片手に壇上の中央まで来ようとしている。
 きちんと見てみると、こちらへ向かう教授はだいぶ若い人のようだった。たぶん30超えてないくらい。それに黒髪の長髪をハーフアップにして耳にピアスまでつけている。ちょっとチャラくない?
 しかし切れ長の瞳がその印象を清潔感のあるものにしている。大学には珍しい「若くてイケメン」に入る部類の教授だ。周りもそう思っているようで、そこかしこから「この教授かっこよくない?」「え、イケメンじゃん」みたいな声が聞こえてくる。

 そして不思議なことに、私はこの風貌に既視感があった。どこかで会ったことがあるのだろうか。こんなに整った顔立ちの人なら忘れるはずはないのだけれど。

 そんなことを思いながら見ていれば、みんなの視線を集める教授と目が合って、さらにはにこりと微笑まれてしまった。それに被弾した私の周りの席からは黄色い声が聞こえて来る。まるで芸能人みたいだ。
 そんなにジロジロ見てた訳じゃないけれど、自分の視線に気付かれて恥ずかしくなった。
 件の教授は私の反応など意に介さず、ステージ中央まで行くと話し始める。

「ではそろそろ始めようかな。みなさんはじめまして。民俗学入門を担当する夏油傑です」

 ____げとうすぐる

 人のいい笑みをしながら教授が名前を言った瞬間、どこかの教室の映像が目の前にフラッシュバックした。
 黒髪をお団子で纏めた優しく微笑む青年。「『よろしくね』」先生の言葉と青年の言葉が重なる。これは、何の記憶?
 戸惑っていると訳もわからないまま、頬に一筋、温かいものが流れた気がした。嘘、こんなところで突拍子もなく涙が出るなんて。
 最前列で良かった。きっと他の人には見えてない。見られたとすれば夏油先生くらいだろう。慌てて涙を拭って、先生の話に耳を傾けた。








 講義も終わり、学食で一息つく。急いで来た学食はまだ席が空いており、無難にカレーライスを購入して2人用のテーブルに座った。食べながら考えるのは先程の講義のこと。夏油先生の講義は面白そうだけど厳しそう、そんな印象だ。

 あれから夏油先生は講義の内容を説明していった。民俗学入門は先生の専門である日本の怪異についての講義で、1つの回につき1〜2つの怪異について話をするとのことだった。期末はレポート。試験じゃなくて良かったと思う。
 順調に話を進めていき、少し講義のさわりを話して、もう終わりという時だった。最後に聞いたのは、それまで柔らかな物腰で話していた先生とは思えない発言。

『ああ、最後に1つ。私は真剣に講義を聞いてくれる学生が好きなんだ。講義を真面目に聴かない猿には後退出願うから、そのつもりでよろしく』

 見た目通り、優しいだけじゃないことを示した先生は満足そうに笑っていた。


 そんなことを思い出しながらカレーを頬張っていると、向かいの席に影が落ちる。

「ここ、空いてるかな?」

 顔を上げればそこには夏油教授が。噂をすれば影?噂というか思い出していただけなのだけれど。

「あ、どうぞ」
「じゃあ失礼して。君、今日の講義で一番前の席に座ってた子だよね?たしか名前は、早川瀬奈さんだったかな」
「はい、そうです。よく覚えてらっしゃいますね」
「熱心に聞いてくれていたからね。そりゃあ覚えているさ」

 初日で覚えられてしまった……でも本当にそれだけなのだろうか。遅刻しそうだったし、泣いていたので印象的なだけなんじゃないかな。悪印象が先行している気がして心配になった。見てたかだけでも聞いてみよう。

「先生ご覧になってましたよね。私が、その……」
「ああ、君が泣いていたこと?」
「う、あ、そうです。やっぱり見られてましたよね。なんかすみません」
「私は気にしないから大丈夫だよ。それより何かあった?」
「なんだか急に涙が出てしまって。いつもならこんなことは無いんですけど」

 私がそう言うと、それまで笑顔で話を聞いてくれていた夏油先生は黙ってしまった。なんだか考え込んでいるような素振りを見せた先生は、少しの間を空けて口を開く。

「君、呪霊って知ってる?」

 じゅれい。この言葉にもなんだか聴き覚えがある気がする。しかしその意味はさっぱりわからない。

「じゅれい、ですか?すみません、わからないです。先生のご専門の専門用語とかでしょうか?」
「いや、解らないならいいんだ」

 私のこたえを聞いて、少し残念そうな、それでいて寂しそうな顔をする夏油先生。先生の期待に添えなかったのは申し訳ないが、まだ入学したてで知識不足なのは許してほしい。

「あ、でも!先生の講義は取ろうと思ってます!」
「本当かい?嬉しいな」
「今日話してくださった日本の妖怪の話が興味深かったので」
「君にそう言ってもらえると嬉しいな。ありがとう。これからはもっと面白い話をするつもりだから、期待しててね」
「はい!」

 無性に先生の悲しそうな顔を見ていられなくて、講義を取ることを伝えた。そうすれば夏油先生は元のいい笑顔に戻ってくれる。そんな顔を見たら私も自然と笑顔になった。
かくして私の先生との出会いは果たされたのである。

























 そして1年後、私は夏油先生のゼミに所属することとなった。先生の普段からの厳しさが影響したのかゼミ生は思ったより少ない。
 なんだかんだで自分の学年のゼミ長になってしまった私は、夏油先生に呼ばれて研究室へお邪魔している。用件を尋ねようと部屋の奥のデスクに座っている先生の方に近付いた。

「悪いね、ゼミの後に残ってもらって」
「いえ、大丈夫です。話したいことってなんでしょうか?」
「その前に確認だけど、君ってもう20歳になったんだよね?」
「そうですね。4月の第1週が誕生日なので、もう20歳になりました」
「じゃあ、もういいかな」

 いきなり何かと思えば年齢の確認。これが先生の話したいことに関係しているのだろうか。いまいち繋がりが見えてこない。何が「いいかな」なのかさっぱりだ。

「それとお話と何か関係が?」
「そうだね。大ありだよ」

 夏油先生はそう言って自分の席を立つと、私の方に歩み寄って来る。そしてその距離は普通の距離感を超えて縮まっていき、先生の整った顔が私の目の前に来た。

「好きだよ、瀬奈」
「げとう、先生……?」
「ずっと好きだったんだ。本当に、ずっと前から」
「最初に会ったの、1年前、ですよね?」
「…………そうだね。それでも私は君が好きなんだ」

 突然の告白に驚きすぎて返す言葉がぎこちなくなってしまう。でも、本当に、あの夏油先生が?信じられない。先生の寂しそうな表情に、何故だかまた胸が締め付けられる。

「ちょっと信じられない、ですね」
「いいんだ。私も今受け入れてもらえるとは思ってないよ。君にとって私はただのゼミの教授でしかないことくらい解っているから。でも、」

____これからアプローチはしていくつもりだから。よろしくね?

 それまでしおらしい態度だった先生が一転、大人の雰囲気を纏う。妖艶に笑う先生はなんだか見てはいけないような気がして、

「し、失礼しましたッ!」

 慌てて先生の研究室から飛び出した。













○研究室から逃げた早川瀬奈
・人間文化学部日本民俗学専攻2年(20歳)
・今のところ前世の記憶はない
・灰原&七海と同じ学年だったはずだが……?
・夏油を見ると突然泣き出すし、なんだか夏油が寂しそうだと悲しくなるのはなんで?まだ理由はわからない
・この度夏油ゼミに所属することとなる
・告白されるまでは夏油のことを普通にいい先生だと思ってた

○囲い込みに成功した夏油教授
・人間文化学部日本民俗学教授(28歳)
・異例のスピードで若くして教授職に登り詰める
・普段は優しいが指導になると途端に厳しくなる為、ゼミには鍛え抜かれた学生しか配属希望を出さないし、配属もされない
・学内では「夏油教授は観賞用」「夏油ゼミはガチゼミ」などと言われている
・前世では瀬奈のことが好きだった
・学食は狙って相席をお願いしに行きました
・実は入学者名簿を見て彼女が入学して来ることは知っており、自分の権限で大学の初期にあるクラスを自分のところにした
・当然、瀬奈のゼミ配属の希望が自分のところになるように色々画策した策士。この度囲い込みに成功したので想いを伝えました
・「さて、これからどうアプローチしていこうかな」




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