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13.9.13 美術部の

「先輩っ!彩乃先輩!先輩!」

いくら呼んでも彩乃先輩は振り返らなかった。それは完全な拒絶だと言うことは分かっていた。それでも呼ばずにはいられなかった。

「…っ、部長……!」

ありったけの気持ちを込めて声を振り絞った。風に揺れていた彩乃先輩の髪がさらさらと肩に流れて、歩く度に揺れていたスカートの裾がゆっくりと止まった。
俺は震える手を握りしめて彩乃先輩に近づく。彩乃先輩はそれでも振り返らず、まばゆい陽の光に照らされて髪の毛一本一本が輝いている。

「…もう、部長じゃないわよ」

彩乃先輩の表情は分からない。取り繕うのが上手い彩乃先輩なので、声から辛さや寂しさは一切感じ取れなかった。

俺は苛ついていた。
どうして、どうしてこの後に及んで、彼女はそんなことを言っているのか。
彩乃先輩の葛藤や苦しみは、俺や先輩たちがどうにかできるものではない。それは彩乃先輩にしかできない。
それでも彩乃先輩は最後まで俺に描けと言った。
あなたは描くべき人なんだと。
彩乃先輩は全てを俺に注いでくれた。あの頃の俺にも、ちょっと前の俺にもなかった、描くために大切なこと。
それは彩乃先輩だけの武器であったのに。そして俺は描いてしまった。
本当は描きたくなんかなかった。
描いてしまったら、俺は彩乃先輩に「それ」を伝えてしまうことになるから。
でも彩乃先輩は俺の甘えを許さなかった。
俺は知りたい。
どうしてそこまで、彩乃先輩は俺にしてくれたのか。

彩乃先輩の制服からはあの油絵具特有の匂いはしなくて、ほんのりと洗剤の香りがする。
それが別れを余計に認識させられた。

「…そのままで、聞いてください」

彩乃先輩は遠くを見つめていて、俺の話をあまり聞きたくないみたいだった。
そんなこと、許さない。
真実も正解も一つでないことを教えてくれたのは彩乃先輩なのに、今は彩乃先輩が逃げている。

「……家族とお食事に行くから、早くしてね」

…違う。
彩乃先輩はやはり逃げてなんかなかった。
今から言う俺の言葉は、もしかしたら彩乃先輩を傷つけてしまうかもしれなくて、彩乃先輩が一番聞きたくない言葉かもしれなくて、己の甘えも他人の甘えも許さない彩乃先輩の決意を歪めてしまうかもしれなくて。
それでも。彩乃先輩は俺の言葉に耳を傾けようとしている。

人一人分空いた距離からは、彩乃先輩の顔は見れない。今、彩乃先輩の肩を掴んで振り向かせても、彩乃先輩にかける言葉を俺は見つけることはできない。
見て見ぬ振りしかできないことが、とても苦しかった。

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