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15.4.10 追記から







私はどうすれば良かったのだろう。

偶然の出会いだったけれど、今なら自信を持って言える。
私とあの人はこうして会うべきだったのだと。そして、解ってしまった。逃してしまえばもう二度と会えない人なのだということも。

私はずっと一緒にいたかった。
だから、緊張と恐怖で震える心を抑えて、初めて勇気を出してみた。
でも、やはり無理だった。いつも仕方ないのだと諦めてばかりだったから、今はもうどうすれば相手に伝わるのか忘れてしまった。そして、失敗してしまえば取り返しがつかないものだということも、今になってやっと思い出したのだ。

もう、全部、遅いのだけれど。








□ □ □






聡から電話を貰った一週間後、一向に何も連絡がなかったので、私は気になって聡に電話をかけた。
聡は感情の抜け落ちた声でまだ休んでいる、と呟いていた。救いたいと思ったけれどなんとか抑え、私はそう、とだけ言ってすぐに電話を切った。

聡はおそらく人生の転機にいる。
手を差し伸べてあげたいのは山々なのだけれど、そんなことをしたら聡はずっと変わらないままだろう。
聡が変わるとしたら、今、聡自身で答えに辿り着かないといけないのだ。そしておそらく、それは、依子ちゃんも。二人の出会いは互いに大きな影響を与えるのだ。少なくとも私は依子ちゃんと聡の出会いをそう感じている。



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聡はとても寂しい人なのだと気づいたのは、私と聡が知り合ってしばらく経ってからのことだった。

聡とは大学時代、私が将来に何の期待も抱いていなかったあの何もかもがつまらない日々に出会った。
耳や目が見えるか見えないかくらい伸びた黒髪で、高身長。水色のワイシャツはしっかりアイロンがかかっていて、髪の毛の鬱陶しさを除けばさっぱりした人だと思った。
若干ロン毛っぽくて黒髪で、いつも本を片手に中庭でぼーっとしてる、変な人なのだという周りの噂通り、聡を見たのは聡が大学の中庭で本を読んでいたときだった。
しばらくお互い黙っていて、私は何故か目を逸らすことも出来ず、口を開くことも出来なかった。そして、その沈黙を破ったのは聡だった。

「持て余してるんだな」

はっとした。見透かされた、と一瞬で感じたのだ。
言葉そのままの意味じゃない、私が今のこの生活に満足していないこと、でも自分ではどうすることもできずに立ち止まっていたこと、生きることが、面倒に感じていたこと。
聡は私の全てを暴いていたのだということが分かってしまった。
今まで過ごしてきた時間がまるで無駄だったみたいに感じた。聡こそ私が出会うべき人、私を闇から救い上げてくれる人なのだと私は根拠もなくそう感じた。
私はそれから聡につきまとった。

聡は私に何も言わなかった。ただ相談すれば答えてくれた。それ以上何も言わなかった。でも、聡と居るのは本当に居心地が良かった。必要以上に詮索されない、踏み込んでこない、私が必要な時に必要な言葉をくれる。利用していたと言えば否定は出来ないけれど、それでも私は聡が好きだった。
それは恋愛などではなく、神様に向けるような、崇拝の感情だった。
でも、その崇拝はすぐに崩れた。

気づいてしまった。聡が必要以上に踏み込まないのは他人に興味がないからなのだと。おそらく、私も、聡を変人と噂する人間も、聡にとっては同じ「他人」なのだ。他人がどうでもいい、一言で言うなら、聡は利己的だった。
では、彼の求めているものは一体何なのだろう。
考えて考えて、でも全く分からなかった。でも今考えればそれは当たり前だった。
聡は自分の欲しいものが自分で分かっていなかったのだから。
いつだったか、きっかけは忘れてしまった。でも、聡の表情や雰囲気で分かってしまったのだ。聡は自分を寂しくて乏しい人間だと心のどこかで思っていて、それが聡にはこの上なく苦しくて痛いのだと。
その寂しさを埋められるのは、聡自身が自ら求めることで生まれるものなのだと。

それに気づいてからは神様のような存在であった聡が寂しげに震える子供のように見えて、私は救いたい、と考えるようになってしまった。でも、わたしの力ではどうしても無理だった。

聡の寂しさに気づいてしまったから、私は聡を救うことが出来なくなってしまったのかもしれない。
だから依子ちゃんが現れたのは本当に嬉しかったのだ。やっと、聡を救えるかもしれない人物が現れたのだから。しかも、聡から一緒にいようと提案されたなんて、聡はもう変わり始めているのだと本当に喜んでいたのに、自体は私の思わぬ方向に動いてしまった。
どうすればいいのだろう、このままでは聡も、おそらく依子ちゃんも、ずっと苦しいままなのに。
結局、聡は私を闇の中から救い出してはくれなかった。でも、無意識にそのきっかけを与えてくれた。今の私がいるのは聡のおかげなのだ。
だから私も、聡と依子ちゃんにそういう手助けをしてあげたいのだ。でも、どうすれば。
その時、ポケットの中で携帯がぶるぶる震えた。
表示されていたのは見たことのない番号だった。

「はい、もしもし」

不思議に思いながら電話を取ると、沈黙のあと、憔悴しきった小さな声で、あの、という微かな呟きが聞こえてきたのだ。
電話で声を聞くのは初めてだったけれど、おそらく相手は私が今1番電話をかけてほしかった人だ。

「…依子ちゃん、なのね?」

その質問に返答はなかった。
依子ちゃんには、聡に依子ちゃんを連れてきてもらった時に、何かあったらと連絡先を渡しておいた。
その時依子ちゃんの表情は迷惑そうだったけれど、そんな私にでも縋りたいくらい、彼女は苦しんでいるのだろう。聡に連絡しないのも、聡のことで何か悩んでいるからに違いない。

「何かあったのね。話したら、楽になるかもしれないわよ?」

正直、依子ちゃんの抱えているものが何なのか、あの時だけではわからなかった。だからどうすることが1番良いのか分からない。
そんな時はやはり話を聞くしかない。その上で、私に出来ることをしてあげるしかないのだ。

「…依子ちゃん?」
「…………あの………」

お願いがあるんです、と苦しそうな声で依子ちゃんが言った。




□ □ □




依子ちゃんからのお願いというのは、髪を切りたいから家に来て欲しいというものだった。
内心驚いたが、それを悟られないように私は承諾して、今は依子ちゃんの家に向かっている。
やはり、体調が悪いわけではなさそうだ。元気がないのは確かだけれど、おそらく病気から来るものではない。無事だということにまず安堵した。
依子ちゃんは大会社のご令嬢だということは聡から聞いていた。そして彼女はその肩書きを毛嫌いしているのだということも。聡でさえ、送るときは家の前まで行かせてもらえないのだと言っていた。
大きいからすぐに分かる、一応目印に人に立ってもらうよう頼んでいる、と依子ちゃんが言ったように、ひときわ大きな家が見えて、その側に一人の人が立っているのが見えた。

「吉永ゆりさんですね。お待ちしておりました」
「すみません、わざわざ」
「いえ、こちらこそ」

手慣れた様子で玄関に入り、大きな屋敷のような家の中を歩いていく。部屋がたくさんあり、置いてあるのものも高価そうなものばかりだ。

そして、異様なほど静かで人気がない。こんなに広い家で、すれ違ったのはまだ1人だけだ。
ここは本当に人が生活している場所なのだろうか。それに、ひとつ疑問がある。

「…あの、ご家族はどなたかいらっしゃらないんでしょうか?私、何のご挨拶もなしに入っても…」
「………お嬢様のご両親はすでに亡くなられているので、今ここにいるのは私達とお嬢様だけです。ご心配なく」

衝撃を受けた。
こんな広い家に、依子ちゃんはひとりで暮らしていたのか。依子ちゃんの暗くて重い部分が、少しだけ垣間見れたような気がする。
しかし、ハウスキーパーは体調が優れないの一点張りだと聡は言っていた。一体、誰がそう言うように仕向けているのだろう。依子ちゃんは、何を隠しているのだろう。

「お待たせしました。ここが、お嬢様のお部屋です」

大分歩いた気がするので、この家でも奥の方に位置しているのだろう。
木製の重厚な扉の向こうに依子ちゃんがいると思うと、少しドキドキした。

「…お嬢様を、よろしくお願いします」

そう言った彼女は、今までの張り詰めたような雰囲気から打って変わって、やるせないといった表情で私を見ていた。ああ、この人も依子ちゃんの幸せを願う人なのかもしれない。もしかしたら、依子ちゃんに私に電話するように言ったのも、この人なのかもしれない。
恐る恐るノックをする。部屋からは何も聞こえてこない。私は意を決して扉を開けた。

「………依子、ちゃん?」

依子ちゃんはベッドの上に蹲っていた。真っ黒な長髪が依子ちゃんの顔を隠しているが、依子ちゃんの表情が優れていないのは明白だ。

「……依子ちゃん、あなた、具合が悪いわけじゃないのよね?」

依子ちゃんは何も答えなかった。
蹲ったまま動かない。周囲には沈黙だけが存在していて、自分や依子ちゃんの息遣いまで聞こえてきそうな、鋭い緊張感で満ち溢れていた。
私は口を開こうとして、でも不意に恐れてしまった。

私はこの子に何が言えるのだろう。何を言えると思っていたのだろう。
聡なら、まだ彼に伝える言葉も方法も、なんとなく分かる。でも、依子ちゃんとは1度しか会ってないにもかかわらず、この子が何を抱えているのか、しっかり知らなかったくせに、どうして救えると思ったのだろう。私に、この子の何が理解できると、寄り添えると、そう思ったのだろう。
依子ちゃんは何も言わない。感情が、わからない。私を呼んだ、その気持ちに応えたい。なのに、ああ、歯痒い。

「………………わ、たし……せんせい、と、もう、一緒に、いられないかも……」

言葉を詰まらせた私に、そう言ったのは依子ちゃんだった。震えた声で言葉を詰まらせながら、依子ちゃんは話してくれた。

「私…ずっと傍にいたいのに……酷いことを……それに、あの人も…もう、どうすればいいのか………」

顔を上げた依子ちゃんの目には涙が溜まっていた。真っ白な腕が私の服の裾を掴む。その力はとてもか細いが、私の目は依子ちゃん以外のものを見ていなかった。
私は依子ちゃんが何を言っているのかわからなくて、ただ依子ちゃんを見つめていた。依子ちゃんはついに嗚咽して、少し赤くなった顔を涙で濡らしていった。
そのとき、遠くの方でがちゃり、という音が聞こえた。

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