人は、何をもって個々を判断するのだろう?
とある個人がいたとして、その人が他の人とは何が違うのか。それを決めるのはきっと、とても難しいことなんだ。
見た目?顔?体?声?
性格?能力?行動?話し方?
でも人なんて常に変わるもので。顔や体は整形や傷害によって変わる。声変わりだってする。性格だってあてにならない。能力だって、言動だって、いくらでも変わり得るものだろう。
だったら、何?
自分を自分と決めるものは、一体なんなの?
「───うう…」
ピピピピと煩い電子音によって目が覚める。いつもよりまぶたが重い。ああ、なんだか嫌な夢を見ていた気がする。ケータイのアラームを止めてベッドの隣を見ると、そこにはレンがいた形跡だけが残っていた。確か今日は朝から撮影か、とそこまで思い出して、思わずほっと胸を撫で下ろした。
相変わらず俺とレンは付き合っている。例のドラマは撮影も放送も無事終えて、まずまずの人気を誇ったようだ。喜ばしいことに俺の演技もなかなか評価されて、それがきっかけになったのか、今ではドラマや舞台の仕事が格段に増えた。
仕事の中で俺は色んな人になった。真面目な学生、恋する青年、子ども向けのヒーロー、不倫相手の男、売り出し中のコメディアン、大人気のスター、嫌われ役の兄。
そしてファンが望む「一十木音也」、メンバーの前の「音也」を。俺は演じ続けてきた。
そのためなのか、俺は時々混乱した。俺は今「誰」を演じているのか分からなくなった。ST☆RISHの皆にはしばしば指摘されることもあった。「様子がおかしい」「どうかしたのか」と。
でもレンだけは、一言もそんなことを言わなかった。俺がどんな俺でも、それがさも当たり前のように、ただ微笑むのだ。
一度考えたことがある。
例えばトキヤを連れてきて、何食わぬ顔で家に入って、それが「一十木音也」だって言ったら、レンはそれを信じるのかな?と。それは「顔と髪型と髪色と身長と声と話し方と言動が性格が変わった音也」だって、レンは信じるのかな?って。
大袈裟かな。馬鹿みたいだね。でも、俺にはその答えが出せなかった。信じるわけない、とは思えなかった。だってレンは俺がどれだけ変わったって、いつも通りだったから。
「レンは、どんな俺でも愛してくれる…」
だったら、きっと"あんな"俺でも愛してくれるんだよね。
───
『失踪か?人気アイドルグループ「ST☆RISH」のメンバー2人が行方不明』
そんな見出しの新聞や雑誌が机のあちこちに散らばっている。私がそこについた時には、今朝事務所から連絡を受けて集まった私の他4人と、社長、月宮さん、日向さんの8人がその机を取り囲んでいた。
「──っ、社長っ!音也と…っ、レンが、行方不明…、って…!」
急いで来たために乱れた息のままそう問えば、「落ち着いて」と、いつもの明るい声とは真逆の声で月宮さんが言った。ひとまず呼吸を整えてからもう一度聞き直すと、今度は日向さんから事情が説明された。
数日前の夜、音也はドラマの撮影を予定していたのだが、時間になっても一向に現れなかった。携帯にも繋がらない。おかしいと思った監督が事務所に連絡し、月宮さんが音也とレンの住むマンションを訪ねたのだが、いくら呼んでも応じない。それどころか夜なのに明かりすら点いていないので、管理人に頼み部屋を開けてもらったのだが、やはりそこには誰もいなかったのだという。
急いで事務所内や近隣を捜索したが、2人とも見つからない。レンの実家にも、音也が居た孤児院にも連絡したが、来ていないという。メンバーから連絡を試みても携帯は繋がらない。病院に運ばれたわけでもなし。警察は事件に巻き込まれた可能性も踏まえて既に動き出しているが、捜索は一向に難航しているとのこと。
「私の海外ロケ中にそんなことが…」
「今俺と神宮寺の家が総力を挙げて捜しているのだが、手掛かりもなしだ」
「町中でそれらしい人を見なかったかって聞いて回ったのに……誰も見てないってよ」
「そう…なんですか…」
「トキヤくんは何か心当たりがありませんか?」四ノ宮さんにそう問われるが、音也とレンが突然居なくなるような心当たりなんてあるはずがない。このごろの2人の様子を思い出してみるが…
「……様子が、少しおかしいときはありましたが…」
「ああ、音也だろ?なんか最近キャラが変わったみたいなときあったよな」
「Yes,オトヤ変な時ありました」
「あれは…2人が一緒に住みだした時あたりからか?」
「そうですね。それに音也くん、最近すごく疲れてるみたいでした…」
様子のおかしい音也と、その音也と付き合っているレン。この2人が同時に居なくなった。正直嫌な予感がする。気まぐれに旅行でもしているだけならいいのだが、2人とも連絡が取れない以上、きっとそんな次元の問題ではないのだろう。
結局それ以降は何もできることは無くて、各々の仕事もあるため、2人の無事を祈って解散となった。
────
『……約一ヶ月前から消息不明、警察は引き続き捜索を…』
街中を闊歩していても気付く人は居ない。ティッシュを配ってるお兄さんも、アイドルが好きそうな女の子たちも、誰も俺に気が付かない。そりゃあそうだよね。俺ですら自分が「一十木音也」なのかどうか、分からないわけだし。
『…一十木音也19歳、神宮寺レン20歳。もしも見かけたら速やかに通報を…』
さあ。早く帰ろう。レンが待ってる。準備するのに一ヶ月近くもかかってしまったけれど、決心は揺らいでいない。俺は騒がしい街を後にして、帰路を急いだ。
「ただいまー」
「お帰り」
辺りを木々で覆われたボロボロの一軒家。これが今の俺たちの住みかだった。どうやらこの土地の所有者が放ったままにしているらしく、俺たちが居ても他には誰も来ることはなかった。そこに静かに佇んでいたレンはこちらを見ると、いつものように微笑む。
「やっと手に入ったんだよ、レン」
「え?何が?」
「えっへへ、とっても良いもの!」
俺はカバンに入れた袋を取り出すと、その中の錠剤を手にとってレンに見せた。白くて丸い、一見ただのビタミン剤に見えるそれ。でもこれは、とっても素敵なものなんだ。俺は見ているだけでわくわくが止まらなくて、はやる気持ちを抑えながらその錠剤を取り出した。
「ねえレン、こっちに来て?」
「?」
俺の言葉に従ってこちらに来たレンを座らせて、目の前で錠剤を口に含む。そしてそのまま、レンに口付けた。口を開けたまま深く繋がって、舌を使って薬をレンの口内へと移す。苦いのは嫌いなのに、不思議と美味しいような気がした。レンの喉がこく、と動いたのを確認すると、愛おしくてたまらなくって、そのまま何度も何度も口付けた。
「んんっ…、…はあ…レン…美味しい?」
「げほっ…げほっ、げほ…ん、はあ、はあ…おいし、よ…」
そっか。よかった。咳き込みながら答えてくれたレンの唇から垂れた唾液を拭う。そして俺はカバンから、もうひとつ素敵なものを取り出した。銀色に鈍く光る、比較的大きめの包丁だ。
俺はその刃を内側にして構えると、一気に自分の腹へと突き刺した。
「………音、也…?」
「んぐ……ふう、はあ、はあ……ねえ、レンは、さ…」
「え……え…?」
「どんな俺でも、愛して…くれるんだよね…?」
そのまま左右にギリギリと動かすと、生暖かい血が勢い良く吹き出した。それが俺の正面で座るレンにも降り掛かる。痛い。痛いなあ。立っていられなくなって、その場に膝から崩れ落ちると、喉の奥からも血液が込み上がってきて、口から血を吐き出した。
──そう。あの日思ったんだ。レンはどんな俺でも愛してくれるから。だったら、もう死んだっていいやって。疲れたんだよ。アイドルとして「一十木音也」として、いつまでも演技をして過ごすのが。本当の自分なんてどこにもいない、見つからないのに。
一人でおいて逝ってしまうのは可哀想だから、だからレンも一緒に死ねばいいって。大好きな人と心中だなんて、素敵な最期でしょ?ロマンティックだよね。レンこういうの好きじゃない?
「音也……音、也…」
「ねえ、死んだ俺でも、愛して、くれるよね…?れ、ん…」
意識が朦朧とし始めて、くらりと傾いた体をレンが受けとめてくれた。目を開いているはずなのに、だんだんと視界が暗くなっていく。
俺の言葉にレンは、目を見開いて驚いたような顔をした。あれ?どうして今更そんな表情をするの?あれ…?レン?レン……泣いてるの?
「…っ…、そう、そうだね音也…愛してる。どんな音也でも、愛してるよ…。顔が変わったって、性格が変わったって、アイドルじゃなくったって、愛してる…」
そう言うレンの瞳から涙がこぼれているような気がしたんだけど、視界が覚束ないせいではっきりとは分からない。身体の感覚も無くなってきてる。
「……でも── 、 …」
──え…?レン?なんて…言ったの…?
その瞬間、薄れていく思考の中で後悔に苛まれた。──もしかしたら、俺がちゃんとレンに覚えた違和感を話していたりしたら、一緒に変わっていけたの?一緒に、自分を見つけることができたのかな?
だけど、そんな思考さえも遠ざかっていく。そうだ、もう遅いんだ。なにもかも。俺はレンにも手を掛けてしまったのだから。
『──できれば、生きていてほしかったかな…』
ねえ、レン…最期に言う言葉がそれだなんて、ずるいんだね。今更後悔したって遅いのに。ごめんねなんて口にしても、もう声にすらならないのに。
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