放課後のチャイムが鳴ると、いつも向かう場所がある。
「…っ……はあっはあ、はあ…」
荷物をひっさげて渡り廊下を越え、急いで三階の図書室まで。ドアの前で呼吸を整えて、靴箱を確認する。上履きは一足だけ。よかった。今日も二番のりだ。
安堵のため息をついて、呼吸が整ったのを見計らってから扉を開ける。たくさんの本棚の間から見える、窓際の席。
(よかった…今日も居た)
目的の人物の姿を見つけて、どきどきしている心臓がいっそう高く跳ねる。夕日の光を受けて輝くその横顔。文字列を追って動くその瞳。
見つめていて思わずため息をついてしまう。他に誰もいないこの部屋で、今だけは二人きり。──もちろん相手は自分を認識していないだろうが、自分にとってはこのひとときが至福だ。誰かが入ってくるまでの、この数分間が。
カウンターの返却ボックスを確認すると、本が一冊入っていた。思わずほころんでしまった顔で貸し出しカードを確認すると、一番下にあったのはやっぱり彼の名前──一ノ瀬トキヤ。綺麗な文字で書かれたその下に、自分の名前を書いてカードを貸し出しボックスへ入れる。
こうして彼の後を追って、好きでもない本を借りるようになってから約1ヶ月。最初は授業に必要な本を借りに図書室へ来たことがきっかけだった。図書室なんて滅多に来ない、というか入学してから来たこともなかったので、なかなか目当ての本が見つからなかった俺を助けてくれたのが、トキヤだったのだ。
「……何の本を探してるんですか?」
「うわっ!」
本棚とにらめっこしているときに背後から突然声をかけられ、俺は思わず小さく叫んでしまった。あわてて振り替えるとそこには、見たこともないくらい綺麗な人。
「しっ…」
「あっ、は、はいすいません…」
その端正な顔に思わず見惚れてしまう。びっくりした。こんなに綺麗な男の人いるんだ…。
そんなことを考えていると、「で、なんの本を探してるんですか?」と再び問われたので、俺はどぎまぎしながらあわててメモを差し出した。
「こ、これ…です」
「ああ…これなら、向こうの本棚ですよ」
どうしよう。どうしちゃったんだろう俺。こんな…ドキドキしてるなんて。いくらこの人が綺麗だって言っても、男なのに…。でも、いくらそう言い聞かせても胸の高鳴りはおさまらない。
「ほら、これですよね?」
「あっ…ありがとう、ございます!」
目当ての本を手渡されて、あわててお礼を言って受け取る。そのとき指先と指先が軽く触れて、それだけなのに思わず胸が大きく跳ねた。きっと顔も赤くなってる。どうしよう…!
「ふふっ…では、私はこれで」
「っ…!あ、ありがとうございました…!」
そう言って微笑んだその人は窓から差し込んだ夕陽の光を浴びて、それはもう本当に、かっこよくって。俺はお礼を言ったきり、しばらくそこに立ち尽くしていた。どきどきと高鳴る胸、熱い頬、妙に落ち着かない気持ち──こんな感覚しらない。これは、一目惚れ?あの人が好きなの?
「…っ…!」
そう考えると顔がかあっと熱くなるのがわかった。居ても立ってもいられなくなって、カードに名前を書いてカウンターに持っていくと、俺は急いで図書室を後にした。借りた本を片手に廊下を駈け抜ける。そのまま校舎を出て自転車に飛び乗り、熱い頬を冷ますように全力でペダルをこいだ。
(…先輩…っだよね…。あっ、名前聞いてない!)
帰ってる途中も、帰ってからも、翌朝も、ぐるぐるとあの人のことが頭を巡っていた。一目惚れどころか、同性にこんな感情を抱くも初めてで、どうしたらいいか分からない──そんな自分に、神様は少し手助けしてくれたのかもしれなかった。
「あっ」
ある日の放課後。あの時借りた本を返しにきたとき、たまたまあの人とタイミングが重なった。彼を見た途端、また胸がどきどきと高鳴りだす。同時に本を返却しようとしてぶつかった手が思わず震えた。
「あなたは、あの時の…」
「あっ あのっ ありがとうございました!」
「……ふふ、どういたしまして」
あの時と同じようにやわらかく微笑んだ彼に、思わず見惚れてしまう。そして自分は去っていく彼をまた見送ってしまった。
(そうだっ名前…!あっ、)
そして気づいた。彼が返却したこの本のカードを見れば、名前が分かるはずだ。難しそうなタイトルのそれを急いで手に取って、どきどきしながら最後のページを開く。
貸し出しカードの、いちばん下にある名前。
(──"一ノ瀬、トキヤ"…)
彼の字で書かれた彼の名前を見ただけなのに、自分はひどく緊張していた。とにかくばれない内にその下に自分の名前を書いて、カードをこっそり貸し出しボックスへ投げ込む。
(一ノ瀬トキヤ、一ノ瀬トキヤ…トキヤ、かあ…)
たった今知った彼の名前を、心中で何度も繰り返す。彼のものだと思うと、なぜだか名前まできらきらと輝いているように感じた。
──これが、俺がトキヤを好きになるきっかけだった。この日からずっと俺は、トキヤが借りた本のすぐ後を追い掛けるように同じ本を借り続けている。正直よく分からない本も、すぐ読むことが出来ない本もたくさんあった。でも、トキヤと、好きな人と同じことがしたい一心で、ずっとここまで続けてきた。
(ストーカーっぽいって言われちゃえば、それまでだけど…)
話し掛ける勇気がない。だけどどこかで彼と繋がっていたい。そのためだ。そりゃあ、話し掛けられたらそれが一番良いけど…。今はまだ、こうして彼を見つめて、彼と同じ本を読めるだけで満足だ。
そう、そうやってずっとのんびりしていたから、こんなことになったのかもしれない。
(…!?あれ…?)
ある日、いつものように急いで図書室前まで来ると、そこにはいつもの靴と、もう一足──トキヤとは別の誰かの靴があった。それも、トキヤの隣に。
(まさか…)
嫌な予感を抱きつつ図書室の扉を開けると、真っ先に飛び込んできた光景は、見事に嫌な予感を的中させたものだった。
「……ここは……で、………」
「ああ、しかし……という…も……」
そう。見知らぬ誰かが、トキヤと一緒に話をしていたのだ。それもずいぶん親しげに。きっとトキヤと同じ、二年の人だろう。
(…そんな…なんで…)
駄目だ。ダメだダメだ。俺、嫉妬してる。ダメだよ。俺はトキヤと知り合いでも何でもない他人。ただ俺が一方的に好きなだけで。こんなことを思う権利なんてない。そもそもあの人はただの友達である可能性の方が高いだろう。同性を恋愛対象として見る方が、少ないんだから。だから、嫉妬なんてしちゃだめ。ダメ、なのに…。
「……っ…!」
駄目だ。どうしてもつらい。俺だって、トキヤに話し掛けたい。でも勇気が湧かなくて。俺は馬鹿だし、年下だし、拒否されたらどうしようって、躊躇してしまう。
高ぶる感情に思わず涙が滲んできて、今日はもう帰ろうと急いで振り返った、その時。
「わわっ…!」
「! 悪いね、大丈夫かい?」
誰かとぶつかって尻餅をついてしまった。いつの間にかもう一人誰かが来ていたらしい。見上げると、これまた綺麗な顔立ちをした男の人が立っていた。綺麗な、オレンジ色の髪の人。
「あ、いや…こちらこそすいません…」
「…ねえ、君、今あっち見てたよね?……よっと」
「わわっ……えっ?」
その人に腕を引かれて立ち上がると、いきなりそんな質問を投げ掛けられて、心中で一瞬ドキリとした。あっち、と指差されたのは、間違いなくトキヤたちがいる所だ。
「もしかしてイッチーの知り合い?」
「イッチー…って、一ノ瀬さん、ですか?そういうわけじゃ…」
「じゃあ、好きとか?」
「っ!!」
「図星だ」
「ひえっ、いやっ、ちが…っ!」
「ふぅ〜ん…イッチーに片思いかあ…」
鋭いことにその人は俺の気持ちをずばりと言い当てて、慌てて否定しても一人で納得するばかりだ。うう、そりゃ図星だけど。何で分かるの?
「で?察するに今君はあの男…聖川に嫉妬してたってとこかな?」
「なっ!ちっ違います!」
「ふ〜ん…そんなに気になる?あの二人の関係」
「そ、そりゃ…って、だから違っ…!」
「そっか。そんなに気になるならさ、本人に直接聞いてきたらいいんじゃない?」
「へ?」
そう言うと、その人はにっこりと笑って、俺の肩をがしりと掴んだ。そのまま俺は体を反転させられ、あれよあれよと言う間にドンッと思い切り背中を押される。
「うっ…わわわ!」
「話し掛けなきゃ何も始まらないよ、ね!」
そりゃ、俺だってさっきそう思ったけどさ…!こんな、強引な…!
俺はよろめきながら本棚の間から出ていき、トキヤたちがいるテーブルの前で足を止めた。突然やってきた人物の存在に、二人とも会話をとめてこちらを見る。あわあわと口にすべき言葉を探すが、見つからない。気まずくて顔をうつむかせると、あの綺麗な声が降ってきた。
「あなたは…」
「ん?一ノ瀬、知り合いか?」
「ああああのっ、これはっ、ちがっ…!」
自分で何を否定しているのかも分からないが、ただ困惑して両手をぶんぶんと左右に振る。声が上ずってる。顔も真っ赤なんだろう。どうしよう、人と話すだけでこんなにパニくったのは初めてだ。
「あなたが音也、ですか?」
「……え…?」
捕えた言葉は予想外のものだった。彼とは過去に二度対面したものの、名乗った覚えはない。どうしてトキヤが、俺の名前を知ってるの?
「おや、読み方が違いましたか?」
「うっ、ううん!合ってる!合ってるよ!俺が、音也、です…!」
トキヤは困惑する俺にクスリと笑って、手元にある本の貸し出しカードを見せた。あれ?それは、俺がこの間読んだ──
「あっ!それ…!」
「これ、あなたの名前でしょう?これも、これも。全部私のすぐ下にある」
"一ノ瀬トキヤ"と書かれた綺麗な文字の下に、自分の字で書かれた"一十木音也"。数枚のカードを見せられて、頬がカッと熱くなった。これは自分が彼のすぐ後に同じ本を借りていた証拠だ。どうしよう、ばれていたなんて。
「あっ…あのっ…!これは…!」
「この頃ずっと視界をちらつく、かわいい人がいるなと思っていたんですよ」
「…え……?」
トキヤは座ったまま俺の手を弾いて、俺の体を引き寄せると、じっと俺の目を見据えた。あんなに焦がれていた綺麗な顔がすぐ目の前にあって、信じられないくらい心臓がどくどくと脈打っている。恥ずかしくて目を閉じてしまいたいのに、その綺麗な瞳から目を逸らすことなどは叶わないように思えた。
「あっ…あの…」
「ああ…聖川さんたち、気を利かせてくれたみたいですね。他に人もいないし、私たち今、二人きりですよ」
ね?艶のあるテノールでそう囁かれると、ますます羞恥を煽られる。"二人きり"。なんて甘い響きなんだろう。こうしてトキヤと対面して、二人きりでいるなんて。
「私に言うことがあるんでしょう?」
挑発的なその瞳に夕焼けのオレンジが映し出されて、逸らしたくても視線を動かすことはできなかった。ずっと言いたかった言葉。伝えたかった気持ち。夕陽の熱に溶けた今なら言える気がする。
「……ずっと、あなたが…トキヤのことが、好きでした…」
そう言うとトキヤのてのひらが俺の頬に触れて、どくどくとうるさい心臓がますます高鳴る。
それから二人の影が重なるまで、数十秒もかからなかった。ただ風が揺らしたカーテンの隙間から、赤く燃える太陽だけが二人を見ていた。
───
片思い音也くんがメインだったので、どういうオチにしようか迷いに迷って、結局こんな感じに。なんか煮え切らない。不甲斐ないです。
ちなみに攻め溺愛受けって大好きです。
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