手の届く先の未来

寮の前に倒れていた男性は、御影密さんと名乗った。名乗ったものの、彼は名前以外、何も覚えていないらしい。そしてその記憶喪失の正体不明の人まで劇団員に誘ってしまうのが、我らが総監督いづみさんだ。あの決断力はすごいと思う。
しかもその密さん、冬組の皆さんが言うことには、演技がとっても上手らしい。どうしてかは勿論分からないけれど。そうすると結局、私は飽きずに同じことを思うのだ。いづみさん、やっぱりすごいなぁ。

「名前、明日は夕飯いらないんだったよな」
「はい。明日は学校が終わったらそのまま実家に帰るので」
「のんびりしてこいよ。こっちはいつも、何かと騒がしいからな」

苦笑しながら言った綴さんの、「騒がしい」には「楽しい」の意味が含まれているのは明白で、ついさっきも外で遊んでいた夏組の姿を思い浮かべながら、私も笑い返した。
ここでの生活に慣れると、一人で過ごすことが多い実家の静かさは、寧ろ物足りなく感じてしまう。こんなの、贅沢過ぎる考えかな。

***

「冬組のメンバーも五人集まったから、また公演の準備をしていくんだ」

家に帰って親に話すのは、学校のこともあるけれど、最後にはいつも劇団のことばかりになってしまう。
それにしても、これで本当に春夏秋冬四つの組の公演が出来るんだなぁ。冬組はどんな公演になるんだろう。楽しみだな。
そんな思いが滲み出るからか、自分でも話す声が弾んでいるのがわかった。

「あなた、それが終わったら家に帰ってくるんでしょう?」
「え?」
「劇団員でもないのに、いつまでもご迷惑をお掛けするわけにはいかないでしょう」

あくまで、冷静に。そして当然のように言われた言葉に、頭が真っ白になった。
別に突き放すような言い方をされたわけではない。そうあって然るべきという、それだけの言葉。だからこそ、咄嗟に何も言い返せなかった。
……そんなの嫌だという感情が身体を支配すると同時に、頭の中だけは、その通りだという理性が占めていたから。

左京さんから出されている劇場存続の条件を達成するには、春夏秋冬すべての組の公演成功が必要となっている。借金返済の目処はまだ立っていないけれど、今回の冬組公演を無事終えれば、今後の道筋だって見えてくるだろう。
私の夢見た最低限は、これでもう、果たされると言っていいのかもしれない。
――だって本当は、もう何度も見ているんだ。
満員の劇場。舞台に立つ役者と、それを見る人達の最高の笑顔。春組も、夏組も、秋組も、みんなが私に見せてくれた。本当は、既に一度ならず私の夢は叶っている。
ただ、それを認めてしまったら、私はあそこにこれ以上いられなくなる気がして。気付かないふりをしていただけだと、今になって急に自覚した。
天馬くんや万里くんに自分の夢だなんて語りながら、とっくに、それは叶っていたのに。

「名前?聞いてるの?」
「……あ、うん。ちゃんと、考えるね。……公演の準備で暫く忙しいから、みんなに話すのは色々目処が立ってからにしたいと思う」

暫くは、まだ、考えたくない。
そんな甘えはお母さんに見抜かれていたのかもしれないけれど、それ以上追及はされなかった。
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