ほんの少し前のはずなのに、桜が咲いていたのなんてとうの昔の出来事みたいだ。太陽がさんさんと照りつける外は、初夏のはずなのに、既に日傘がないと厳しい暑さになっている。最近は雨も増えてきて、湿気がちょっと憂鬱だ。
そうはいっても家の中は相変わらずで、静かで穏やかな空間に密くんの寝息が聞こえる。いい意味で、変わらないなあって思う。それに安心するし、きっとこれが私達らしい過ごし方なんだろう。そう考えたら、嬉しくて、気恥ずかしくて、くすぐったくて、ついにやけた口を手でおさえた。

そうだ、あれを出さないと。
今度密くんが来たら見せようと置いておいた袋から、新しく買ったクッションを出す。私がずっと使っているのとまったく同じ、ピンク色のふわふわクッション。うん、新品は特別ふわふわしていて気持ちいい。

「それ……」
「新しいの買ったんだ。密くんが今寝てるそれ、もうかなり潰れちゃってるでしょう?」

いつの間にか起きていた密くんに内心驚きながらも返事をしたら、密くんは自分の白いクッションを抱きしめたまま、今しがた枕にしていた、私が長年愛用してきたクッションを見つめた。密くんが来てからは専ら枕として使われていたから、かなりぺしゃんこになっている。

「いらないなら、オレに頂戴」
「でも、もうくたくただよ?」
「うん」

構わないと微笑む密くんに、密くんがいいなら別にいいけど、と戸惑いながらも了承する。
私にとっては密くんとの思い出の品だし、元々捨てるつもりはなかったけれど、密くんがほしいのならば渡すことに異論はない。
密くんがクッションをほしがってくれる理由が、私と同じなら嬉しいけれど……でも、密くんだからなぁ。わからないなぁ。

「ペンペンと一緒に寝る」

どうしよう、なんだかすごく嬉しそうで段々申し訳なくなってきた。

「こ、こっちじゃなくて平気?」
「なんで?オレがほしいのはこれ」

つい自分の持っている新品を差し出したものの、密くんに躊躇なく却下された。それでいいなら、いいんだけど。
自分の抱えているクッションをふわふわと触る。こうして見比べると、色もかなり違うなぁ。

「……それはなるべく、枕にしないようにする」
「そうなの?」

まさか密くんがそんな努力をしてくれるとは思わなかったから驚いた。努力って呼ぶのは少し違う気もするけれど。

「うん。今度から、枕はなまえに頼むから」
「……うん?」

今、聞き捨てならないことを言われた気がする。
密くんが言ったことを反芻していたら、いつの間にか移動して来ていた密くんが、私の膝を枕にしてごろんと寝転がった。……枕はなまえに頼むというのは、聞き間違いではなかったらしい。

「密くん、これ、恥ずかしいんだけど……」
「嫌?」
「嫌っていうか、恥ずかしい」

あと、足がつりそう。それに、下から顔を見られるのも絶妙に恥ずかしいのでやめてほしい。私が密くんくらい顔が整っていれば気にしなかったのかもしれないけれど。

「大丈夫」
「大丈夫って、なにが……」
「いつもにはしない。なまえと一緒に寝る時は、こっちの白いのを枕にするから」

大丈夫、って、もしかして、いつも膝で眠るわけじゃないから大丈夫ってこと?
しかも、一緒に寝る時って、なに!?白いふわふわクッションを枕にするっていうことは、もしかしてクッションの代わりに、私が抱きしめられるの!?
さっきから全然、なにも、大丈夫じゃないけど!

「いや、えっと、密くん!?」
「ん?」

無理だよとか、困るよとか、言おうとしたものの、寝転がっている密くんのやわらかな微笑みを向けられて、一旦口を閉じてしまった。
……うーん、まぁ……膝枕も、添い寝も、したことあるもんね。
って、危ない。だからいっか、なんて考えかけていた。よくない、そういう問題じゃない。

「なまえも眠い?」
「そうじゃ、ない、けど……」

膝の上で気持ち良さそうにしている密くんが猫みたいでかわいい。触れていたクッションから手を離し、猫を撫でるような気持ちで白いふわふわした頭を撫でたら、喉は鳴らさないものの、代わりに気持ちいいと伝えるように密くんが目を細めた。
膝枕、とか、なんだか色々解決してない気がするんだけど……
……まぁ、いっかぁ。

「あとで一緒にマシュマロ食べよう」
「もう、さっきココア飲んだばっかりだよ」

その時に散々マシュマロは食べたのに。私が言ったところで、密くんがマシュマロを食べるのを減らすことなんて出来ないのだけど。
密くんの頭を撫でていたら、ふと、いつも髪で隠れている右目が気になった。前髪上げてる密くん、見たいかも。見てもいいかな。
そっと手を下の方へと移動したものの、前髪をどける前に、私の意図に気付いた密くんに手を取られてしまう。

「気になる?」
「うん」

素直にこくりと頷くと、ふっ、と彼が笑った。

「じゃあ、内緒」
「えーっ」

じゃあってなに!と口を尖らせたら、密くんがゆっくりと起き上がった。密くんの白いクッションは私の新品のピンクのクッションの隣に置かれたけれど、その間もずっと、手はぎゅっと繋いだままだ。
起き上がった密くんの指が、私の指に絡む。それだけで、ドキリとして動けなくなってしまった。

「ひそ、」

ひそかくん、と彼の名前を呼ぼうにも、濃い黄色の混じった緑色の瞳にじっと見つめられて、それすらも叶わなくなる。だって、緊張し過ぎて、声が出せない。
そんな私の気持ちなんてお構いなしに、密くんは穏やかな顔をしていつものごとく自分のペースで話すんだから、ずるい。

「好きだよ、なまえ」
「っ!」

ほんとに、ずるい。
まともに、初めてそれらしく言われた密くんからの「好き」の言葉は、一瞬にして真夏の太陽の下にでも放り出されたかのように私の体温を上げてしまった。頭がくらくらするのだって、まるで熱中症だ。
繋いだ手が強張っていることに気付いたのか、密くんの反対の手も重ねられて、両手が私の手を包みこむ。
それ、逆効果だよ、密くん。ドキドキが、止まらないよ。

「私も密くん、好き」
「一緒だね」

一緒なんて可愛い言い方をして笑う密くんに、一層ドキドキして、くらくらして、私はこくりと頷くことしか出来ない。
そんな私を見て、「可愛い」なんて笑う密くんは、私をどうしたいのだろう。
心臓は今にも破裂しそうなくらいで、余裕なんてものはどこにもないのに――なのにさっきからずっと、なんだかふわふわと柔らかで、幸せな気持ちでいっぱいなのは、どうしてだろう。
それがふしぎで、でも嬉しくて、笑う。
……あ、密くんがさっきから笑ってるのは、だからなのかな。同じように感じているんだったら、いいなぁ。
その願望は決して叶わないことではないような、むしろ合っているような気さえして、胸の中がぽかぽかしてくる。
あたたかくて、やさしくて、やわらかくて、甘い。
そんな空間。そんな想い。
もしかしたら、こんな表現を聞いたら密くんは、「マシュマロみたい」って言うかもしれないね。
この気持ちを与えてくれたのは密くんで、これからも、こんな時を二人で積み重ねていけたらいいなって思う。

「なまえ」

密くんのきれいな顔が近付いてきて、ドキッとひときわ大きく心臓が跳ねた。それから一呼吸おいて、穏やかな声で呼ばれた名前に応えるように、目をつむる。

さっき、一緒に飲んだからかな。
重ねた唇からは、甘くて大好きな、ココアの味がした。

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