慣れない劇場の空気にどぎまぎしながら、席に座った私は緊張でピンと背筋を伸ばして公演が始まるのを待っていた。耳を澄ませていると、既に何度か公演を観ている人の話とか、劇団の人達について話している声なんかが聞こえてくる。そのなかに密くんの名前が挙がるたび、つい、聞き耳を立ててしまった。
ふしぎな感じ。
これまで、密くんとは私の家で二人で会ってばかりだった。例外として、一度酔っ払いのウザ絡みから助けてもらったことはあったけれど。だからほかの人が密くんのことを話すのを聞くこと自体が初めての経験だ。
知らない人が、密くんの話をしているのがふしぎ。
しかもそれが、好きな役者さんとして話されてるから、尚ふしぎ。
私はいつも私のクッションを枕にして、目をつむってわずか一秒くらいで眠っちゃえる密くんとか、異常なほどマシュマロを食べる密くんしか知らないから。
それにそわそわして、落ち着かない感情を抱き始めた頃、ようやく幕が上がった。
『真夜中の住人』
公演、開始だ。

***

サラリーマンの浩太と、吸血鬼の玲央。
本来道が交わることのない二人の、ちょっと奇妙で、どうしてか少し安心して、けれどいつだってほの暗い影が覗く共同生活。
公演が始まる前のそわそわした気持ちはどこへやら、私は始まって早々、舞台の上で繰り広げられる物語に、お芝居に、見入ってしまった。
なかでもやっぱり目を奪われたのは、密くんのフランツだ。
私の知ってる普段の密くんじゃなくて、全然眠そうでも、のんびりもしていない。冷たくて、どこか異質。
ただ、密くんの演技がうまくて、フランツとしての彼があまりに自然だから、もしかしてあれも密くんの一面?なんてつい思っちゃうくらい。
……密くん、昼間いつ会っても寝てるし、夜に姿を消すし、色々謎めいててふしぎな雰囲気があるし、吸血鬼って言われても違和感あんまりないんだよね……。夜には家に帰ってるだけだってわかってはいるけど。

雨の日に密くんを拾った私も、もしかしたらちょっと浩太の気持ちがわかるかもしれない。
公演が終わって一息ついてからふと考えたのは、そんなことだった。

***

「すごく面白かった!」
「よかった」
「密くん、舞台だとまるで別人だね。……って、別の人を演じてるんだから当然なんだけど」

それに、主演の玲央や準主演の浩太だけじゃなくて、同僚の野々宮や隣人の泉、そしてアンサンブルの人たちも、みんな、すごく素敵だった。
全体的に静かな雰囲気のなか、観ていてぞくりとするような、けれど、たしかな温かさも感じられる舞台。今もまだ、余韻に浸ってしまう。

「誘ってくれてありがとう」
「うん」

舞台も面白かったし、それに、密くんのことを沢山知れたような気がして、嬉しかった。

「変な質問なんだけど、一応聞いておくね。……密くん、本当に吸血鬼ではないよね?」
「そうだよ」
「だよね、違……えっ!?」

「え、うそ!?あれ!?」と混乱した私を密くんがまるでなにかを見透かすような瞳でじっと見つめる。

「だから、なまえの血がほしい」
「ええっ!?」
「……」

密くんの白い手が私の方へとのばされて、指先が首に触れた。そっとそこを撫でられて、くすぐったさに身を捩る。まるで、ここから血をもらうと宣言するみたいななぞり方。
どうしたらいいかわからなくて助けを求めるように密くんを見たら、びっくりしたような顔をしていた。
えっ、なんでそんな驚いてるの?

「……冗談に決まってる」
「……だよね」
「なんで信じたの」

呆れを含んだ声色に、おかしさと恥ずかしさがこみ上げて、私は「なんでだろうね」と笑った。だって、吸血鬼じゃないなんて、そんなの当然わかるはずなのに。わかってたはずなのに。
ただ、密くんの表情も声も、真面目だったから。なんだか、つい。……ああ、そっか。もしかしたら密くんだからかも。

「密くんに言われたから、かなあ」
「なまえ、簡単に詐欺に引っかかりそう」
「引っかかったことないよ!?」

前に私は大丈夫そうって友達にも言われたことだってある。そう言っても、密くんは全然信じてないって顔で「ふうん?」って言っただけだった。

「だから、言ったのが密くんだったから信じちゃったんだってば。舞台でも思ったんだけど、密くんってすごく演技上手なんだね」
「話を変えようとしても無駄」
「うっ」
「……今回は、そういうことにしておいてあげる」

なんだか納得がいかない返事だけど、とりあえずいいことにしよう。
そう思って、淹れたてのココアを飲んだ。
それを飲み終える頃、とんとん、と肩をたたかれたから振り向いたら、つん、と密くんに指で頬をつつかれた。子どもの頃によくやった遊び。
「引っかかった」と僅かに口角を上げた密くんに、言外に騙されやすいと言われた気がしたけれど、これに関しては仕方がないと思う。騙されるの種類が違うもの。それに今は家のなかだし、密くんしかいないし、警戒心なんて無に等しい。

「ちゃんと気を付けないとダメ」

なんて、そんなイタズラが成功して嬉しいって顔して言われてもなあ。


――たとえば、劇中の玲央のように、密くんが遠くにいくことになったら。その時もし、一人でさみしそうだったら、つらそうだったら。私も浩太みたいに一緒に連れていってって、言うのかな。
なんとなく、私はそうは言わないような気がした。でも、こころのなかに言いたい気持ちがあるのもまた本当だと思った。

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