MIZUNOエンタープライズに入社してもうすぐ一年になる。配属された営業事務の仕事にも、ようやく慣れてきた……とここにきてやっと言えるようになった気がする。こんなことを言ったら、「遅すぎ」とお世話になってる先輩には小言を言われるに違いない。
その先輩というのが、私がついている営業部の瑠璃川さんだ。うるわし営業と呼ばれている彼は、女性顔負けの可愛らしい顔立ちで、いつも自信満々に胸を張って仕事をする人だ。その自信を裏付けるような細やかで丁寧な仕事には、いつも頭が下がる。こちらに求められることのレベルも高くて、ついていくのに日々ひいひい言っているけれど。
初めの頃は瑠璃川さんの毒舌っぷりに心が折れるんじゃないかと思ったものの、ちゃんと出来た時には褒めてくれるし、分かりづらいけれど実はちょっと照れ屋さんで優しい人だ。と、私は思っている。本人に言ったらけちょんけちょんに言われそうなので言わないけれど。
尊敬できる先輩と忙しくも充実した日々を過ごしているのは、とっても恵まれた社会人生活と言えるだろう。あとこの会社、やたら見目麗しい人が多いから目の保養──

「またお前か!」
「ぬあ」

突然響いた怒声に、反射的に変な声が出た。誰にも聞かれてなくてよかった。瑠璃川さんに渡す書類を手に、こそこそと営業部の方を覗けば、予想通りの見慣れた背中が見える。
結構ごつい人が多いというか、物騒な見た目の人がやたら多いくせに、なぜか皆眼鏡という異色の集団。開発部の皆さんだ。
うーん、古市さん、とてもお怒りだ。これ、時間かかるかなぁ?
どうしようかなと見つめていたら、開発部の一番後ろにいた人と目が合った。緑色の瞳がきれいだな、と場違いなことを考える。

「また?」

こっそりと話しかければこくりと頷かれ、外はね気味の黒髪が少し肩にかかった。黒縁眼鏡をかけた涼やかな印象の泉田くんは、私の同期だ。仕事で関わることもしばしばあるし、同期の中でも話す機会が多い泉田くんは、結構身近で、そして有り難い存在だ。これまでも沢山助けてもらったし。
……それにしても、今日もかっこいいなぁ。
会えて嬉しいな、なんて、つい気分が上がる。再び聞こえた古市さんの怒声に、浮かれている場合じゃなかったとすぐに我に返ったけれど。
営業部の無茶ぶりに、開発部の面々が苦情を言いに来るのはいつものことだ。まぁ、本当に仲が悪いか、逆に仲良しでなければきっとこうはならないんだろうなと思う。そして幸い、うちは後者だ。中でも特に、皇さんと摂津さんは気が合うようで、週末も一緒に買い物とかに行っていると聞く。そういえば泉田くんも、熱血スポ根営業の兵頭さんとよく飲みに行ってるなぁ。泉田くんは瑠璃川さんとも話が合うらしく、瑠璃川さんの「みょうじ、行くよ」の一言により、三人で飲みに行ったことも何度かある。

「大変だねぇ……。色々と調整してくれて、いつもありがとう」
「営業部に振り回されて大変なのはそっちもだろ」
「あははー、でも瑠璃川さんはしっかりしてるから、大分やりやすいよ。しっかりし過ぎて、別の意味で大変だけど」

何せ、指示が細かいのだ。
手が空いた時や、他の事務の人が特別忙しい時には、別の人の仕事も手伝うから、営業部の人達のことは割とわかっている。特に三好さんの案件は数や規模も大きい分、手伝うことも多い。

「何それ、愚痴のつもり?」
「ぎゃあ!瑠璃川さん!」

すぐ後ろから聞こえた声に文字通り飛び上がったら、「ふっ」と泉田くんが笑ったのが聞こえて、恥ずかしくなった。

「ち、ちち違います、お陰で色々と勉強になって有り難いってことです!……まぁ、細かくて大変なのは事実ですけど……」
「ふーん、みょうじのくせにいい度胸じゃん」
「ひぃぃ」

泉田くんに目で助けを求めたけれど、がんばれと他人事だ。そんなぁ。
そんな私達を交互に見た瑠璃川さんが、「ああ」と何かがわかったように頷いた。えっ、何がわかったんだろう、怖い。

「みょうじ、書類。それ渡しに来たんでしょ?」
「はいっ」
「ありがと」

瑠璃川さん、すぐにこういうのを察して話を進めてくれるから有り難いんだよね。
瑠璃川さんにお辞儀して、泉田くんに手を振って、自分のデスクに戻る。二人が手を振り返してくれたっていう、たったそれだけで胸が弾んで、今日の残りの仕事全部余裕で出来ちゃいそうな気がした。

――泉田くんのことは、入社前から知っていた。というのも、面接が偶然同じ日だったから。
緊張し過ぎて鞄の中身をひっくり返した私のことを助けてくれて、一緒に働けたらいいなあ、とぼんやりと思っていたから、新入社員の中に彼の姿を見つけた時はすごく嬉しかった。泉田くんも私のことを覚えていてくれたのは嬉しかったけど、荷物をぶちまけた残念な子という印象が残ってしまったのはどうにかしたい。……お陰で、話すきっかけになったのは有り難いとも言えるけれども。
泉田くんは優秀で、こんな大きな会社で技術職に就いて一年足らずで既に主力メンバーの一人になっている、とってもすごい人だ。所謂、同期の星ってやつである。
それを鼻にかけることもなく、入社前から変わらず私にもいつも親切にしてくれるんだから、憧れるなという方が無理だろう。

黒縁の眼鏡は仕事の時だけ使っているようで、眼鏡をかけて仕事をしている姿も、飲み会なんかで見る眼鏡をかけていない姿も、どっちも同じくらいかっこいい。


「三好さん、お荷物届けに来ました」
「ベリサンー!」

三好さんは、朝も昼も夜も常にこのテンションだからすごい。それでいて、会議とか、締めるべき場面ではすごく真面目で礼儀正しくも出来るから、その有能さとギャップの激しさにくらくらしてしまう。

三好さんに荷物を手渡すと、やたらキラキラとした瞳が私をとらえた。この目は知っている。好奇心に満ちている時の輝きだ。
うーん……嫌な予感。

「ねぇねぇ、なまえちゃんは彼氏とかいないの?」
「いませんよ」

急な質問に驚いて、一瞬言葉につまりかけた。
びっくりしたぁ。さっきまで泉田くんのことを考えていたのがバレたのかと思った。

「じゃあじゃあ、好きな人は?」
「もしかしてこれ、恋バナ始まってます!?」
「モチ!新卒の女の子の恋模様とか、気になりまくりだし!」
「うーん……申し訳ないですけど、私じゃ何も楽しい話題が提供できそうにないです」

そりゃあ、泉田くんのことは好き……ではあるけど。でも、泉田くんみたいなすごい人、私には手の届かない存在と弁えてはいるつもりなのだ。恋をしているなんて言うのは、自分の気持ちを否定はしないけれど、それを他人に伝えてしまうなんて、烏滸がましい。

「好きな人もいないの?」
「あ!つい昨日、部署の先輩とそんな話しましたよ。この会社って皆さん素敵でレベルが高いから、ここで働き続けていたら社内恋愛でもしない限り、その辺の人に恋なんて出来なくなりそうだねって」

話を変えるのが無理矢理すぎた自覚はあるけれど、三好さんはそれを気にする様子もなく、笑顔で話しに乗ってくれる。

「いいじゃん、社内恋愛!」
「いや、そんな軽く言われて出来るものじゃないです」

いやいや、と両手を振って否定する。
この会社で社内恋愛なんて、三好さんみたいな人なら普通に出来るのかもしれないけど、私のような凡人にはハードルが高すぎる。

「アザミンとかどう?」
「はいっ!?」

さっきから考えていた人の名前がピンポイントで挙げられて、咄嗟に声が裏返った。
な、なな、な、なんで!?
私の気持ち、バレてるの!?自分では結構隠せてるつもりなんだけど!

「い、泉田くんですか!?」
「そそ。同期で仲良いし!」
「それはっ、泉田くんがすっごく優しくていい人だから仲良くしてくれているだけで!あんな優秀でかっこいい人の相手に私なんて……!そりゃあ勿論、いい人だし好きですけど!」

「はぁ!?」

え。

思わぬところから割って入った第三者の声に、三好さんと同時に振り返る。
だって、間違えようもない。今のは……今の声は、話に出ていた泉田くん、その人の声だ。

なに、何を聞かれたの?どこから聞かれていたの?
今の「はぁ!?」は、もしかしなくても、私が泉田くんのことをいい人だし好きって、言ったことへの反応でしょう?

「あ、あわわわ……」
「えーと、アザミン?」
「……っ」

くるりと踵を返した泉田くんが、何も言わずに足早に去ってしまう。
えっ?とその背中を見つめ、えっ?と三好さんを見る。同じ時に目があった。
申し訳なさそうに眉を下げた三好さんが、「ごめんねなまえちゃん!」と顔の前で手を合わせた。

「そのー、前進させようと思ったんだけど、思わぬ方が前進しちゃいそうっていうか……」
「?」

三好さんの言ってることはよくわからなかったけれど、とりあえず謝罪をされたので、気にしないで下さいって言っておいた。実際、恋バナしてただけだし。あれはタイミングの悪さが生んだ、不幸な事故だったのだ。
泉田くんを困らせてしまったけれど、泉田くんは優しいし賢いし、説明すればきっとわかってくれるだろう。
……その前に、私も深呼吸して気持ちを鎮めよう。ちょっと、かなり、混乱している。


泉田くんと話す機会を求めながらも、そういう時に限ってすれ違うことすら全然ないまま、時間ばかりが過ぎていく。
そんな中、廊下で「みょうじ」と声をかけてくれたのは泉田くんの方だった。それが意外で、でも嬉しくて、ホッとする。

「今日って定時後、時間ある?」
「うん、大丈夫だよ。ちょっとだけ残業があるかもしれないんだけど……平気?」
「ああ」

さっきの説明を軽くしてしまおうかと思ったけれど、泉田くんは私の予定だけ確認したら、急いで席に戻ってしまった。忙しいのかな。夜に話せそうだから、その時に話せばいいかぁ。


***


「……結婚を前提に、お付き合いして下さい」
「え? ええ!?」

私よりも先に会社を出ていた泉田くんに、花束と共にそんな告白を受けた私はそこでやっと、三好さんが言っていた「思わぬ方が前進」が示しているものがわかった気がした。
結婚を前提にっていうのにはびっくりしたけれど、というか、告白自体が青天の霹靂で正直全然状況についていけていないのだけど、何にせよ、泉田くんの告白を断るなんて選択肢は、私にはない。

次の日出社したら、会社中の人が知っているどころか、水野社長にまで「おめでとうございます」と声をかけられて、一体どんなルートで社長にまで伝わったんだと呆けていたら、泉田くんが「あー」となにやら心当たりがありそうな顔をしていた。なにを知っているんだろう。
三好さんのことといい、私はまだまだ会社のことも、泉田くんのことも、どうやら知らないことがいっぱいあるみたいだ。
とりあえず、示し合わせたように週末に設けられた開発部と営業部と事務の合同飲み会で、その辺りのことを少しは知れるのかなぁ。散々冷やかされそうでもあるけれど。
泉田くん、顔を真っ赤にして怒りそうというか、照れちゃいそうだなあって思ったら、それはちょっと見たいかも、なんて一人で笑ってしまった。

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