一か月前、奇跡が起きた。
貰ってもらえるわけがないと、自分で持ち帰るつもりで用意したバレンタインチョコレート。渡したいという気持ちがあることだけでも伝えたくてチョコを差し出したら、一体あの瞬間どんな間違いが起きたのか、決して受け取ってもらえないはずの私の本命チョコレートは、碓氷くんの手に渡ってしまったのだ。しかもぶっきらぼうなお礼付きで。

呆然としながら空になった手元を見つめたあの日以降、特に碓氷くんとの関係に変化が訪れたとかそういうことはなくて、いつも通りの平穏な日々を送ってきた。
そして碓氷くんにバレンタインチョコを渡せたことは私の人生のなかでも輝かしくて喜ばしい、いい思い出になったなと思い返せるようになった頃、事件は起きた。

「な、なんで……?」
「ホワイトデーだから」

一切表情を変えずに淡々と返事をした碓氷くんの言う通り、今日はホワイトデーだ。とはいえ休日だし、碓氷くんと顔を合わせる機会なんてないはずの日。
その日に、まさか碓氷くんが私の家を訪れるなんて、誰が思うだろう。

「それで、わざわざ私の家に?」
「そう。はい、これ」

ずいと差し出された紙袋を受け取ると、なかに小さな箱が入っているのが見えた。
ほんとに、お返しくれるんだ……。

「夢みたい……」
「バレンタインにチョコ貰ったんだから、返すのは普通じゃないの」
「そうかもしれないけど。そもそも、碓氷くんが貰ってくれたのがびっくりだったというか、すごく嬉しかったから」

だから、それ以上のことがあるなんて、思いもしなかった。ううん、考えなかったわけではないけれど、そんなことが実際に起こるとは思わなかった。

嬉しいって気持ちは、大きくなりすぎると名前が変わるのかな。今、私の身体中を熱いくらいに満たすこの気持ちを私はなんて呼んだらいいのか、わからない。
いつも碓氷くんを見る度ドキドキと煩い胸の鼓動は、恋するその人を目の前にして、既に爆発寸前だ。きっと私、今いっぱいいっぱいになり過ぎて、ひどい顔してる。碓氷くんはこっちを見てるのに。困ったなあ。……ああ、でも、ずっと今が続けばいいのにな。

「それ」
「えっ?うん」

碓氷くんが、私にくれたお返しを指すから、私も手元の袋に目を落とす。

「意味とかちゃんと知ってるから」
「えっ?」
「じゃ」
「ええっ!?」

意味って、ホワイトデーにお返しするものの意味?意味があるっていうのは聞くけど、私、よく知らないや。
しかもそれだけ言ってさっさと踵を返した碓氷くんを引きとめることも出来なくて、玄関先で動けず、あたふたしてしまう。
どうしよう、碓氷くんが行っちゃう!ええと、何か言うことは、えっと……

「碓氷くん!ありがとう!」

それだけ、叫ぶような気持ちで懸命に声を出したら、碓氷くんが足を止めてこちらを振り向いた。
こっち、見てくれた。
それだけで感激して、どうしようもなく胸が熱くなる。だって碓氷くん、基本他人スルーだし。その碓氷くんが私がお礼を言ったら足を止めて振り向いてくれるなんて……ほら、やっぱり、すっごく奇跡だ。すっごく嬉しい。
「あ」と何かを思い出したように碓氷くんが小さく口を開いたのがわかった。

「俺も。チョコ、美味しかった」

チョコ、食べてくれたんだ。美味しいって、思ってくれたんだ。
たった一言のそれが、私をこんなに幸せにしていると碓氷くんは知らないだろう。私の「ありがとう」にどれだけの感謝と、好きって気持ちがこもっているのかも。でも、いいんだ。それでいい。それがいい。
報われるわけのない私の片想いが、どんな気まぐれか突然碓氷くんの手で拾われた。たった一度きりのその奇跡で、私はきっと一生幸せを噛みしめられる。

碓氷くん、すてきだなあ。好きだなあ。

彼の姿が見えなくなるまで見つめていたと知ったら、気持ち悪がられてしまうだろうか。気付かれてないといいな。


部屋に戻って碓氷くんに貰った箱を開けたら、なかには色とりどりのマカロンが入っていた。わ、かわいい。
メルヘンチックな色合いに胸を躍らせつつ、碓氷くんの瞳と同じすみれ色のマカロンを手に取った。きれいだなぁ。食べちゃうの、もったいないな。
……と、そうだ。ホワイトデーのお返しの意味を調べるんだった。
スマホをタップして、マカロンを送る意味を調べる。

「あった」

マカロンの意味は、特別な人。
特別? トクベツって……ええ!?
説明文によると、好きな人って意味だけじゃなくて、頼りになる人とか大切な友人とか、色んな「特別」が含まれるみたいだから、決して両想いだなんて浮かれるわけにはいかない。いかない、けど……碓氷くんに、特別って思ってもらえてるってこと、だよね?まぁバレンタインチョコレートを受け取ってもらえたって時点で異常事態というか、間違いなく特別な出来事だけど。
でも、本当にこれであってるのかな。
碓氷くんの意図がわからなくて頭を抱えつつも、ひたすら嬉しいからもうなんでもいいや、なんて思って、私は結局もらったマカロンをひたすら眺めて休日を終えてしまった。

***

次に碓氷くんに会った時、彼はまっすぐに私に向かって来たから思わず逃げ出したくなったけど、残念ながら咄嗟に逃げ出せるような俊敏な脚をもっていない私は結局碓氷くんが目の前に来るのを内心震えながらただ待つことしか出来なかった。

「意味、わかった?」
「い、い、意味!? って、マカロンのことだよね。調べたら、特別って……」

私のスマホでは出てきましたけど、なんてどんどん声がしりすぼみになる私から視線を逸らさない碓氷くんの、まっすぐな瞳に射貫かれて、粉々に砕けてしまいそう。

「そう。アンタのこと」

そう言って、碓氷くんのきれいな形の唇が僅かに弧を描く。

碓氷くんが、笑ってくれた。
特別って、言ってくれた。

きらきらと光が舞うような光景に、目が眩んで、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
微笑まれたと認識するのと、碓氷くんの言葉の意味を認識するのとを同時に行った私の脳みそは、そのあまりの衝撃にキャパオーバーを起こしてしまった。
それだけ言って満足したのか、碓氷くんは用は済んだとばかりに去ってしまうので、私は消化しきれないほどの想いを持て余して、その場で一人呆けることしか出来ない。

そんなことがまさかこれから先幾度となく繰り返されることになるなんて、この時の私はまだ知らないし、碓氷くんは碓氷くんでマイペース過ぎるせいか私のことをいつも置いてきぼりにしていると気付くまで、結構な時間がかかるのだった。

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