街中にひっそりと佇む、むかしながらの古本屋。古びた、少し重いドアを開けると、紙のあまいにおいと、懐かしいにおいがふわりと香る。童謡で歌われているような古時計の秒針がチクタクと鳴る音だけが響く静かな店内で、私は手にした本をパタンと閉じた。

「はあ……」

素敵なお話だった。現代とはまるで様相の違う、昔の日本で書かれたお話。生活も、価値観も違うそこはどこかファンタジーのようでもあって、けれどきっと今も変わらない、人を想う気持ちがあった。
気付けば、窓を打っていた雨の音はしなくなり、外は先ほどよりも明るくなっている。もう雨、止んだのかな。

お客さんの少ない、古びたお店。アンティーク調と言えば、聞こえはいいのかもしれない。店内には時計が正確に時を刻む音が響いているのに、ここでの時間は外よりものんびりと進んでいるように感じる。
週に二回くらいそこのカウンターに座りながら、おじいちゃんの代わりに店番をするのが私はけっこう好きだ。常連さんと話すのは楽しいし、ちょっと緊張するけど、初めて来たお客さんを案内をするのも好き。
読み終えた本をカウンターに置いて、人のいない店内を見渡す。
本、本、本──
上から下まで、見渡す限り本で埋め尽くされたお店は、本の海みたいだと思う。その本を開いて文字を追いかけることは、航海とも呼べるだろうか、なんて。航海士、と呼ぶには、私はまだまだここの本を知れていないけれど。でも冒険者の先輩として、船の乗組員の一人として、お客さんの冒険のお手伝いをすることくらいはできる。

カラン

乾いた鐘の音がして、お客さんが来たことを告げる。若い男の子。初めて見る子だ。傘を畳んで傘立てにかける男の子は、不安そうに店内を見回しているから、やっぱり初めて来た子かもしれない。
けれど不安そうだった瞳は、本の海へと一歩ずつ足を踏み出しながら、次第にきらきらと輝いていった。それだけで、ああ本が好きな子なんだろうなと、安堵と喜びを感じる。
空色の瞳に、ピンク色の綿菓子みたいな髪。本棚を見つめる男の子は、まるで物語に出てくる妖精のようだと思った。
……それにしても、あの男の子、どこかで見たことがある気がするんだよなぁ。
立ち上がり、カウンターという私のテリトリーから出る。ギギィ、と椅子が低い音を立てた。
ふらふらと本棚を見て歩く男の子がどうにも気になってしまって、声をかけるためだ。

「なにかお探しですか?」

近付いて男の子と目があう。慌てたように戸惑う男の子を近くで見て、ふとある光景が頭を掠めた。
あ、もしかして。

「……ヘンリー?」
「え?」

考えたことが声に出ていたことに気付いて、はっと口を閉ざす。

「ヘンリーってもしかして、スカイ海賊団のヘンリーのことですか!?MANKAIカンパニーの!」

驚いた様子で聞いてくる男の子に頷くと、彼は引き続き驚きながらも、嬉しそうな顔をした。
まさか公演で観た役者さんとこんな場所で会うとは思わなかった。「わぁ、どうしよう……」なんて言ってるけど、私だってびっくりしていて、どうしたらいいかわかってない。

「突然ヘンリーって呼ばれて驚いたけど、覚えていてもらえて嬉しいです」

えへへ、と照れながら笑う男の子の笑顔はふんわりとしていて、つられて私もふわふわした、嬉しい気持ちになる。

「おじいちゃんが、初代MANKAIカンパニーの、夏組のファンで」
「わぁ、そうなんだ!」

目をキラキラと輝かせる男の子が眩しくて、目がちかちかする。すごい、この子、すごくきらきらしてる。
劇団がまったく新しくなったことは、結構前から知っていた。観たいけど、でも観るのが怖い。そんなことをずっと言っているおじいちゃんに、私も行くからと腕を引っ張って観に行った、新生MANKAIカンパニーの夏組公演。海賊がテーマの、楽しくて、かっこいいお芝居だった。
その中で悪名高い海賊、血まみれヘンリーを演じていたのが、この見るからに優しい男の子なんて、なんだか不思議だ。雰囲気が全然違う。

「ボクは向坂椋です」
「みょうじなまえです」
「なまえさんですね」

やわらかい声で呼ばれたら、慣れ親しんだ私の名前まで、特別な可愛らしいものに感じるのだから、不思議だ。

「椋くん、は、どんな本をお探しで?」
「これっていう本が決まってるわけじゃないんですけど……王子様が出る本が読みたくて」
「王子様かぁ……。じゃあ、王子様を探すための航海だ」
「え?」

きょとんとした顔をされて、ハッとする。
また口に出してた!たしかに私、独り言は多めだけど、いつもはこんなことないのに!

「ご、ごめんなさい!私、本を探すのを冒険みたいだなって思っているというか、その、」

しどろもどろになりながら、まともに取り繕うことも出来ずに説明する私の話を聞いて、椋くんは、きらきらと表情を輝かせた。
……あれ?なんで?

「すごいです!」
「へ?」
「なまえさんはとっても素敵な考え方をするんですね」

「本の海かぁ……」と呟く椋くんは、全然私のことを馬鹿にするとか、引くとか、そんな雰囲気はなくて、ただ感心してくれているみたいだった。天使かな。
海賊ヘンリーだから、あの楽しい舞台を演じた役者さんだから、伝わる気がしてつい言ってしまったのかな。それは確かに理由の一つだろうけど、でも完全に正解ではない気がした。

「そうだ。読むとは少し違うかもしれないけど、オススメの王子様の本、ありますよ」
「ほ、本当ですか!?」
「海外の絵本なんですけど……」

椋くんはどうかわからないけれど、少なくとも私には全然読めない。でも、このお店で一番お気に入りの、とっておきがあるんだ。
お店の一番端の本棚に行って、カウンターでその絵本を開く。お店にある中でも古いその絵本を二人で開くと、アール・ヌーヴォーを思わせる、とても繊細なタッチで描かれた、美しい王冠を戴いた王子様の姿がとびこんできた。椋くんが、ほぅ、と溜め息を吐いたのがわかって、ホッとする。喜んでくれたなら嬉しいのだけど。
お姫様を助けるために冒険を続ける王子様。遂にお姫様を助けだし、最後の結婚式の場面。

「わぁ……!」

小人や妖精、白馬など、それまで出てきた人物や動物が一同に会した、これまでで最も美しくて豪華な絵は、そのページだけ飛び出す仕掛けになっているのだ。

「とっても綺麗です!外国の言葉なので正確にはお話はわからないですけど、王子様がお姫様のためにどんな場所にも果敢に向かっていくのが、かっこよくて……!」
「気に入ってくれてよかった」
「なまえさんは、素敵な航海士ですね」

椋くんの言葉に、驚いた。私、本の海みたいだって話はしたけど、自分は航海士みたいにお客さんを案内出来ればと思ってるなんてこと、言わなかったのに。

「あの、ありがとう」
「えへへ」

ふわりと笑う椋くんにつられて、私も笑う。


他にお客さんが来ることもなかったので、他にも本を開きながら二人で話していたら、ボーン、ボーン、と古時計が鳴り、夕方の五時を告げた。

「あ、そろそろ帰らないと」
「いつの間にこんな時間に……」
「なまえさん、今日はありがとうございました。絶対にまた来ますね」
「私はお店に週二回くらいいるんですけど、水曜日には大体いますよ」

言ってから、ハッと気付く。これじゃあ私のいる時に来てくれって言ってるようなものじゃないか!

「えっと、他の日にいるおじいちゃんは本の修繕とかもやってるから、もっと色々話も聞けると思います!本、詳しいし!」

慌てて取り繕ってから、定休日のことも案内したら、椋くんはお礼を言ってにこりと笑う。

「そうしたら、次の水曜日にまた来ますね」
「えっ? あ、はい!お待ちしています」

カランと年季のは入ったベルが鳴り、椋くんが店を出ていく。よかった、ちゃんと傘も忘れてないみたい。
傘を忘れてないか確かめるついでに外に出た私は、数時間前の雨なんて嘘みたいに晴れている空を見上げた。その眩しさに目を細める。

(次の水曜日、かぁ……)

とくんとくん。いつもより少し鼓動が速いのを感じる。それは気恥ずかしいけれど、どこか誇らしいというか、決して嫌ではない感覚がした。

店に入って、古い本のほんのりとあまいにおいを吸い込む。慣れ親しんだそのにおいが、どうしてか、今日は一層いとおしく感じる。
来週の水曜日。それまで、続きを楽しみにしている本に栞を挟んだような気持ちで、なんだかわくわくしながら、私はカウンターに置いた本を片付けようと、店の奥へと戻っていった。

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