ディセンバー……御影密に復讐をするため入ったMANKAIカンパニー。そこには春夏秋冬の組に別れた劇団員と、総監督、支配人、なぜか会話が出来る鳥に、もう一人女性がいた。
そもそもが居候だったというみょうじなまえについて、詳細を覚えてないわけではないが、心底どうでも良かった。この劇団の核は総監督である立花いづみで、みょうじなまえに関しては、いてもいなくても大差ない、歯牙にもかけない存在だったからだ。実際、彼女がいなくなったところで、人手が少なくなるだけで、練習も、公演も、問題なく行える。

俺にとってはその程度の、数に入れる必要もないくらいの存在。だから他人が見ていない時は、彼女のことは無視していた。それでも話しかけてくるのが煩わしくて、ある時、俺に話しかけるのは最低限にしろとはっきりと伝えた。
その翌朝早速「おはようございます、千景さん」と話しかけてきた時は、その小さな頭には見かけ通りのちっぽけな脳ミソしか入ってないのかと腹が立ったのを覚えている。彼女に対して感情らしい感情を抱いたのはその時だけだ。

同じ会社の茅ヶ崎は、珍しく面倒見の良さを発揮しているのか、みょうじなまえと話しているのを度々見た。俺からしたら、茅ヶ崎に向かってへらへら笑う彼女は、会社で茅ヶ崎に媚を売る女達と特に変わりはないように思えた。
ディセンバーが彼女と一緒に昼寝しているのもよく見かけた。隣で寝ているそいつの正体も知らずに、よくそれだけ間抜け面を晒して眠れるものだと呆れ果てた。


……そう思っていたのは、ほんの一ヶ月ほど前のことだ。
MANKAIカンパニーの一員として生きていくことを決めた俺は、そのメンバーの一人であるみょうじなまえの認識を徐々に、半強制的に改めさせられていた。
いてもいなくても変わらない存在。練習も、公演も、なんだって彼女がいなくても回る。そのはずなのに。
しかし、彼女は確かに、MANKAIカンパニーの一員だった。

茅ヶ崎が「なまえちゃんが引くと絶対ドブだよね」と言いながら彼女にガチャを引かせるという、金をドブに捨てる行為を自ら笑って行うのも。
ディセンバー……密が、自ら選んで彼女の傍に寄っていって昼寝をするのも。
全部、みょうじなまえという人間に惹かれているという、ただそれだけの理由から。
あの朝、おはようございますと話しかけてきたのは、彼女にとって挨拶をすることは最低限必要なことだったからだ。当時の俺には、それがまったくわからなかったわけだが。
みょうじなまえは、役割からしたらいなくても構わない存在かもしれない。だが、彼女がいるからこそ成り立つ関係があり、彼女とその周りの温かな空間が形成されているのだと、今はわかる。
周りが彼女を大切にするのは、まず、彼女自身が皆を大切にしているからだ。
これは俺が自分で見出だしたのではなく、彼女のことを聞いたときに咲也が純真無垢な笑顔で教えてくれた。我らが春組のリーダーである、彼らしい言葉だ。

新生春組の第四回公演が終わって、一週間ほどしたある日。俺が最低限しか話しかけるなと言った言葉を取り消すどころか、みょうじなまえに近寄ることもまだ躊躇っていた頃。

「千景さんって、不器用ですよね」
「不器用?」
「はい」

眉をひそめた俺になまえは平然とした顔でこくりと頷いた。常々器用と言われてきて、自負もしているが、不器用なんて言われたことがない。怪訝な顔をする俺に、なまえは「気を悪くしたらごめんなさい」と笑った。全然ごめんなさいなんて思っていない顔だ。

「気を悪くしてはないけど、随分突拍子もないことを言われたと驚いたよ」
「私が思ってることを言ったら、千景さんはどんな反応をするのかなって、思ってたんです」
「それで、俺の返事は君のお眼鏡に敵ったのかな?」
「そういうのじゃないですよ。ただ、私は千景さんがどんな反応をするか、知りたかっただけなんです」
「よくわからないな」
「そうやって、千景さんのことを知っていきたいってことです」

にこりと、なまえが笑って身を翻す。気付けば、彼女を呼び止めていた。

「どうかしました?」
「……いや、君は俺を知りたいと思ってるのかと、不思議に感じたから」
「えっ?勿論ですよ」

変なの、と笑う彼女に、変なのはお前の方だろうと内心思う。それを口にしなかったのは、驚いたからだ。その時彼女が俺に向けた笑顔が、普段他の劇団員に向けるものと、あまりにそっくりだったから。


──あの時はわからなかったことが、今は俺にもわかる気がする。
手に持った袋を一瞥して、僅かに気分が高揚するのを感じた。
興味があると言っていた激辛煎餅を食べたら、なまえはどんな反応をするだろう。俺が前に食べて結構おいしいと思ったのがパワーアップしたらしいから、君は確実に無理だと思うんだけど。
激辛煎餅を食べてギブアップするだろう彼女に、以前テレビを食い入るように見つめながら、そのくせ「食べたい」とは決して口にしなかった、有名洋菓子店の季節限定ケーキも買ってあると言ったら?
そんな、知ったからといって何の役に立つとも言えない君の反応を見たいと、君のことを一つずつ知っていきたいと、今の俺は思っている。

「あ、千景さん。おかえりなさい」
「ただいま。丁度良かった。なまえにお土産があるんだ」
「わあ、なんだろう!」

その反応も、嬉しそうな笑顔も、予想通り。……いや、いくら土産があるといっても、俺に向かってこんなに無邪気に駆け寄ってくるとは思っていなかったな。これは予想外だ。
そんな考えは一切顔に出さず、俺は「何だと思う?」と微笑んだ。袋を覗いてズルをしようとする彼女を牽制しながら、それを楽しいと思うなんて。あの頃の俺が見たら嫌悪するに違いない。
まったくもって自分らしくないこの行動や気持ちには、未だに俺自身戸惑っている。けれど、これは決して悪くないものだと断言出来るのは、その中心にいるみょうじなまえという人物が善良で、単純なくせに不可解で、そして一緒にいるとつい、大切にしたいと思わせるような、そんな人間だからだろう。

「千景さん、ヒントください!ヒント!」
「そうだな……なまえが泣いて喜ぶものかな」
「えー、なんだろう……」

煎餅に涙して、ケーキを喜ぶ姿を想像しながら、俺は隣で考え込む彼女の髪にそっと手を伸ばした。
埃がついていたから、なんて古典的でつまらない嘘をまさか自分が使う日がくるとは思わなかったな。

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