早朝、いつもたくさんの蝉が鳴いている木の下を通ったら、先週まで圧力すら感じるほどミンミンと響いていた音が一切聞こえなくなっていた。
ああ、夏は終わるのか。
そう実感した、八月三十一日。大晦日と元旦に続いて季節の節目を感じる、夏の最後の一日だ。


「……大丈夫か?」

心配しているというより戸惑っている声で問いかけられて、私はだらっと机に腕を投げ出したまま、伏せていた顔を横にずらした。隣の席の芸能人、皇天馬くんは、今日は登校する日だったようだ。

「夏が終わるよ、皇くん……」
「それでそんなだらけてたのか?」
「だらけてるんじゃなくて、嘆いてるんだよ」

皇くんは、前とは少し変わったと思う。一年生の時も同じクラスだったけど、あの頃彼と話した記憶はない。話しかけたらいけないと感じていた。きっとそれは私だけじゃなくて、クラスの子は大体みんな。それがいつからか、話しかけてもいいのかなって思うような表情をするようになった。去年の終わりから、七尾くんが元気良く話しかける姿を度々目にするようになったからかもしれない。
私が皇くんと話すようになったのは、席替えで隣になってからだ。皇くんがいなかった日の伝達事項を伝えたのが最初。あの皇天馬と会話してしまった!と記念日に指定したから、よく覚えている。
それから授業のことを話すようになって、他愛のない会話もするようになった。まるで普通の友達みたいに。そんな風に思うなんて、烏滸がましいかな。でも皇くん、話してみるとかなり素直でいい人だから、怒ったりしないと思うんだ。

「みょうじがそんなに夏が好きとは思わなかったな」
「んー、好きなのかなぁ」
「好きじゃないならなんでそんなに嘆くんだ」

呆れた顔をする皇くんは、そんな顔すら整っていて、きらきらしたオーラが出てる。それをきれいだなぁ、と思うと同時に、夏の日のきらめきにも似ていると思った。正に今、私が惜しんで、焦がれているもの。

「夏が終わるって気付くと、勿体ないというか、名残惜しい気持ちにならない?」
「まぁ、わからなくもない」
「皇くんは、夏、好きそう」
「ああ」

肯定をしながら、ふっと皇くんが笑う。その瞳はどこか遠くをまっすぐに見つめていて、すごく眩しくて、すごく綺麗だった。
ああ、夏がもう終わってしまう。
でも、夏はきっとずっと、ここにある。私の、隣の席に。

「皇くんは夏が似合うね」
「時々言われるな、それ」

「夏生まれだからか?」と不思議そうに首を傾げる皇くんが微笑ましくて、ふふっ、と笑ってしまった。
伸ばしていた腕を引っ込めて、きちんと椅子に座り直す。すると、窓の外からはいつもみたいに蝉の声が聞こえてきていることに気がついた。朝は全然聞こえなかったのに。
ツクツクホウシが、アブラゼミが、いつもと同じように、止まることなく鳴いている。

「皇くんはこの夏、いいことあった?」
「いいことというか、煩くてかなわないことなら沢山あった」

やれやれと言わんばかりに肩を竦めながら言う皇くんは、自分がしっかり嬉しそうな顔をしていることには、気付いているだろうか。

「退屈はしなかったな。……楽しかったと、言えなくもない」
「ふふふ、そっか。よかったね」
「みょうじとも隣の席になったしな」

ぴたり。
その一言に、私は動作を止めた。
私と、隣の席になった。それを皇くんは、「いいこと」と思ってくれたの……?
かぁぁ、と頬が一気に熱を持つ。なにそれ、ほんとに?……うれしい。ドキドキ、する。

「……っ、そ、そういうことは、簡単に言ったら大変なんだよ」
「大変って何が」
「人によっては調子に乗って、自分が好かれてるとか思っちゃうかもしれないんだから」
「なら問題ない。そう思われてもいいヤツにしか言わないからな」

ふん、と偉そうに言う皇くんはそれが似合っているからか、横柄とは感じなくて。
というか、私はそれどころではなくて。

「……え、えええぇぇ、なにそれぇ」

再び机に突っ伏した私は、ごつんと大きな音を立てて頭を机にぶつけ、皇くんに「大丈夫か!?」と心配された。
正直、頭の痛さを感じないくらい、まだまだ顔が熱い。なんだ、これ。やだ、困る。けど、嫌じゃない。

チラリと見上げたオレンジ色の髪の彼は、私の視線に気付くと強気に笑う。それがやっぱり夏の日のようだと思った。
夏が、いま、ここにある。
その感覚を捕まえて逃がさないよう、私は手のひらをぎゅっと握りしめる。

「皇くん、私もこの夏、いいことあった」

へぇ、と口角をあげる皇くんと目を合わせながら、私は握った手のなかを意識する。見なくたってわかる。きっと、なかにはきらきら輝くものが入っている。ドキドキと胸が熱くなる、大切なもの。
蝉の音は相変わらずうるさくて、私はそれが、嬉しいと感じる。
八月三十一日。この夏最後の日に、私は、今年一番のたからものを手にいれた。

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