「なぁ、これ。やる」
「わ、簪だ!きれい!」

突然の贈り物に驚いたけれど、夜叉さんがくれた簪は、澄んだ緑色の石と鈴がついた、とても綺麗な簪だった。
鈴は組紐で結び付けられていて、よく見ると細かな彫刻も施してある。文字なのか模様なのかわからないそれは、夜叉さんによると悪いものを避ける意味を持つものらしい。
私が大好きだった簪に似ている気がするけれど、壊れる前の姿を思い出そうとしても、記憶がぼんやりとしていて思い出せなかった。きっと、これも私の中から失われてしまった記憶の一つなのだろう。あんなに大切にしていたものだったのに思い出すことが出来ないなんて、とショックを受ける私に、記憶を失うきっかけとなったものだからだろうと夜叉さんは言った。それはきっと、私を励まそうとしての言葉だと思う。夜叉さんはなんだかんだ、優しいのだ。
簪についている、夜叉さんの瞳と同じ色をした石は、翡翠かな。簪を揺らしてみたけれど、何故か鈴は鳴らなかった。

「今は鳴らねーぞ」
「今は、って?」
「俺の一族以外の、ある一定以上の力を感知すると音が鳴る。それが鳴ったら、俺はどこにでもアンタを助けに行ける」
「おお」

すごいお役立ちアイテムだ。感心していたら、「貸してみろ」と言うので、持っていた簪を夜叉さんに渡す。すると、彼は見事な手際で私の髪を結い、簪を挿してくれた。

「こんなもんだろ」
「わあ、すてき!」

夜叉さんすごい!と褒めたら、彼は誇らしげに笑った。しかしその顔が、次の瞬間には曇ってしまう。

「それで、本当は連れて行きたくねーんだけど……」

***

「すごーい!」

無数の提灯が辺りを照らし、立ち並ぶ屋台からは賑やかな声が聞こえる。
夜叉さんに連れられて来たのは、あやかしのお祭りだった。
縁を結んだ私とは一定以上離れることは出来ないらしく、とはいえかなり広範囲に及ぶその制限は普段であれば何も問題はないけれど、あやかしのお祭り会場だけはその範囲を超えてしまうらしい。夜叉さんは立場上顔を出さないわけにはいかないとかで、私も連れて来られたのだ。かくいう私は、知っているものと似ているようで、客層があまりに違うお祭り会場に、テンションだだ上がりである。

「いいか、その面、絶対に取るなよ」
「はーい」

夜叉さんに渡された白い鬼の面がずれていないか確かめる。うん、大丈夫。人間であることを隠してくれるというこのお面には、何故かお化粧がされているんだけど、それも何か意味があるのかな。
夜叉さんに再三聞かされた注意点を再度小声で繰り返されて、耳にタコができたのでもういいです、と心の中で返す。
彼の話が終わってやっと、私は夜叉さんとお祭り会場を歩けるようになった。
わたがし、型抜き、金魚すくい……んん?あれ、金魚じゃないな。見なかったことにしよう。
物珍しくてきょろきょろする私を「おい!」と夜叉さんが引き留めるまでに五分もかからなかった。

「これ持ってろ」
「うちわ……」

の、柄の部分。仰ぐ方は、夜叉さんが持っている。すぐに私がはぐれそうだからっていうことらしいけれど……これなら、手を繋いだ方がいいんじゃないかなあ。
じっと夜叉さんを見つめると、「なんだよ」と言いながら夜叉さんが目を逸らす。私が言いたいことくらい、わかっているのだろう。私も夜叉さんが言いたいことはわかっている。手を繋ぐのは、婚約した相手とするものだそうだ。
そんなことを聞かされる度、私が寂しい気持ちになっていることを彼は知っているのだろうか。夜叉さんの口ぶりはいつも、私が人間の男性と将来結婚することを前提としている。それが、私は拒絶されているような、遠くにつき放されているような気持ちになって、嫌だ。
うちわの柄を持ち、さきほどより若干しおれた気持ちで、夜叉さんと歩く。
すると、夜叉さんのそれとは違う、キツネのお面を被った子どもがこちらに駆けて来た。かわいいなあ。屋台で客引きをしていたその子が、私にお団子を差し出す。

「鬼の面のお嬢さん。お一ついかが?」
「わあ、ありがと……あ!」

ぱくり。受け取ったそばから、私のお団子は夜叉さんに食べられてしまった。
なにするの、と口を開こうとしたら、その前にギロッと夜叉さんに睨まれた。……そうだ。私はここの食べ物を食べちゃいけないんでした。
夜叉さんがお代を払うと、子どもは屋台へと戻っていく。

「見た目が子どもだからって気を抜くなよ。あれでアンタの数倍生きてる」
「そうなんですか!?」

小学一年生くらいに見えたのに。驚く私に、夜叉さんは「そろそろ行くぞ」と声をかけた。行くところは先に聞いている。所謂挨拶回りだ。元々用件はそれだけだって言っていたけど、屋台を回ってくれたのってもしかして、私に見せてくれるためだったりするのかな。

烏天狗とか、妖狐とか、私でも名前を知っているそうそうたる顔ぶれに挨拶をする間、私は絶対に夜叉さんの傍を離れてはいけない。喋ってはいけない。一見気のいい人もいるけれど、私が人間とばれたら夜叉さんでも守り通すのが大変な相手だから。言われたことを反芻しながら、彼の後ろをついて回る。真白な蛇を連れた人に「随分面白い子を連れてるんだね」と見透かすように言われた時には、身の毛がよだった。話し方も雰囲気も、穏やかそうな人なのに、こわかった。
ぎゅ、とうちわの柄を握りながら、次の場所へと向かう。

"なまえ"

え?
今、私の名前、呼ばれた?
そんなわけはないと思いつつ、驚いて振り向く。途端に、ぐっと身体がそちらに引っ張られた。いつの間にか私の背後には空気を切り裂いたような、おかしな空間が出来ていた。

"なまえ"

「あっ」

あまりに強い力で引っ張られ、私の手はうちわから離れ、その空間に簡単に吸い寄せられてしまう。その拍子に、鬼のお面が落ちた。手を伸ばしても、届かない。
ぽっかりと空いた空間に吸いこまれながら、私の耳にはしつこく、私の名前を呼ぶ声が木霊していた。空虚で、薄気味悪い声。

"なまえ" "なまえ" "なまえ" "なまえ" "なまえ" "なまえ" "なまえ"

――チリン、

「……なまえ?」

***

気付けば、私はよく知った場所に立っていた。いつもの、家への帰り道。空は普段見ないほど、綺麗な真っ黒い色をしている。
目の前にいるのは、獣の形をした、おどろおどろしい「気」を纏うモノ。私はコレを知っている。
あの時夜叉さんが倒したはずなのに、どうして。わからないけれど、私をここへ連れて来たのは、この化け物で間違いないらしい。

"なまえ"

「ひ、」

私の名前を呼んでいたのも、この化け物みたいだ。夜叉さんに助けてもらった時、私は自ら名乗ったので、仮にあの時化け物が聞いていたのなら、私の名前を知っているのも納得だ。
けれど、それって……。
頭をよぎった考えに、ぞっと身震いする。私の名前を知られている。呼ばれている。
それってまさか、縁が結ばれてしまったということ?

「やだ……」

精一杯の抵抗を込めて、一歩後ずさる。

「やだ、夜叉さんがいい」

私の縁が結ばれるのは、夜叉さんじゃないと嫌だ。
小さく首を振ると、リン、と簪の鈴が鳴った。

次の瞬間、ひゅっと冷たい風が頬を撫でた。あまりの冷たさに目を瞑る。痛いくらいの、身体の芯から冷えるような冷たさ。
恐る恐る目を開けたら、私の前には見慣れた、朱と黒の羽織が揺れていた。一つに結った、長くて艶やかな黒い髪が風に靡く。

「待たせたな。ちょっと手間取った」
「夜叉さん!」

"なまえ"

「コイツ、アンタの名前を知ってんのか」

刀を振った夜叉さんに対して、化け物は前とは比べ物にならない動きでそれを避け、夜叉さんに突進する。体勢を崩した彼に噛み付くと、夜叉さんの腕から赤い血が流れた。同時に、頭がズキッと痛くなって、膝をつく。なんで、私が?

「チッ……」

夜叉さんが化け物に噛み付かれた場所が、まるでその「気」で汚染されるように黒く染まっていく。それでも夜叉さんの勢いが削がれることなく、化け物に刀を振るい続ける。
かっこよくて、勇敢で、きれいで、でも、痛そうで。
その姿を見ているだけで、ぼろぼろと涙が流れた。ああ、でもこれ、頭が痛すぎるせいもあるかもしれない。段々と血の気も失せて、寒気がしてきた。

「なまえ!」

私の様子に気付いた夜叉さんが、化け物そっちのけで気にしてくれる。それに気付いてか、化け物は何故か突如方向を変え、こちらに向かって突進してきた。

「っ!」

逃げようにも、身体が重くて動けない。どちらにせよ、化け物があまりに速すぎた。襲ってくる痛みを覚悟して、ぎゅっと目を瞑る。
けれどやってきたのは、身体を包み込む温かな感覚と、「ぐっ」と呻く、夜叉さんの声。
目を開けたら、夜叉さんが刀で化け物を受け止めていた。余程の力が加わっているのか、きりきりと刀身が震える。

「なまえ、アイツに向けて簪を投げろ」
「え?」
「早く!」
「は、はい!」

夜叉さんがくれた、大切な簪。
力は出ないけれど、それでも出来る限りを尽くしてそれを思いっきり化け物に向けて投げた。

リィン

ひと際高い鈴の音がして―― 化け物が、消えた。
同時に、スッと身体が軽くなる。

「助かっ、た……?」
「どうにかな。チッ、アイツ、無理矢理なまえと縁を結んで、生気を吸い取りやがって」
「そうだったんですか?」
「じゃなかったらあんな、身にそぐわない力は出ねぇ」

だから私は、あんなに具合が悪くなったのか。生気を吸われていたってことは、もしかしたら、あのままいけば私は死んでいたのかもしれない。

「あの、夜叉さん?なんだか、夜叉さんの身体が薄くなってきてるような……」

そんなわけない。けれど、まるで消えかかっているように、段々と夜叉さんの身体が透けていく。

「あの簪には俺の力を込めてるからな。あれをなまえの身代わりとしてアイツにやったから、俺も今からアイツのいる場所に引っ張られてくんだろ」
「そんなっ」

それがどこかは知らないけれど、そんなの、絶対に嫌だ。だって、まるで、夜叉さんが消えてしまうみたい。ううん、彼がそう言わないだけで、本当にそういうことなのかもしれない。

「だって、夜叉さんは私と縁を結んだんでしょう?離れられないんでしょう!?」
「縁って言ったって、不完全な縁だ」
「え?」
「さっきのヤツもそうだけど、俺達は片方の名前を一方的に知ってるだけだ。互いの名前を知って初めて、完全な縁が結ばれる」

「じゃなかったら、アイツはこんな簡単に追い払えてねー」と続ける夜叉さんは、そういえば、私の名前を呼んだ時、今ならまだどうにか出来ると言っていた。それはこういうことだったのだろうか。

「それなら、夜叉さんの名前、教えて下さい!そうしたら、夜叉さんは消えないんでしょう?ずっと一緒にいられるんでしょう!?」
「ずっと一緒……な。それが言葉通りの意味になるけど、アンタ、本当にいいのか?普通の人間とすら呼べなくなっても?」
「いい!」

はっきりと、半ば怒鳴るように言えば、夜叉さんの目が見開かれる。

「夜叉さんが無事なら、ずっと離れずにいられるなら、それでいい!」

ぐしぐしと涙で濡れた目元を拭って夜叉さんをキッと見つめたら、それまで呆けたような顔をしていた夜叉さんの顔が苦しそうに歪んだ。

「結局こうなるのか」
「え?」

私の問いかけに返事をせず、夜叉さんが小さく息を吐く。

「……莇」
「?」
「俺の名前。莇だ」

夜叉さんの、本当の名前。
きゅ、と唇を結んで、口にする前に心のなかで一度、その名前を唱える。
多分私は今でもきっと、縁を結ぶこととか、名前を呼ぶことの意味を完全には理解していないのだろう。でも絶対に後悔はしない。
そして、意味を完全に理解はしていなくても、名前を呼ぶことがどれだけ特別で大切なことかは、少しはわかったつもりだから。息を吸って、大事に、大切な人の名前を呼ぶ。

「あざみ」

ふわり。

少し冷たいけれど優しい風が、私達を包んだ。

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