−孤独が重なる場所−


アンゼリカは鼻腔いっぱいに花の香りを吸い込んだ。
タイミングよく花々が風に煽られて、一際強い香りがした。
花と同じ様に、アンゼリカの背まである焦げ茶のストレートの髪、サイドの長いヘッドドレス、ボルドー色のかっちりとした固めのコートワンピースのリボン飾り、その下に着たフリルペチコートも揺れた。
ここは自宅から少し離れた彼女お気に入りの花畑。マナに溢れた場所でここにいると不思議と気持ちが落ち着いた。
そういえば以前、父から母もこの場所が好きだったと聞いた。ここに来ると落ち着くのはそのせいかもしれない。何処かに母を感じるのかもしれない…顔も声も何も知らない母を。
強い風にペチコートが捲れない様、頭のヘッドドレスが飛ばされない様、手で押さえた。
暫く風はアンゼリカと花々をその手で撫で付けていたが、やがて飽きたのかふっと治まり花畑には静寂とアンゼリカだけが残された。
押さえつけていた手を外す瞬間に指先がするりとヘッドドレスの感触を捉えアンゼリカは我知らずの内に呟いていた。

「お父さん…私は…」

父譲りの焦げ茶の髪を縁取るレース飾りの様なヘッドドレス。
13歳の誕生日の日に父から贈られたものだった。
その美しくも可愛らしい意匠のヘッドドレスにアンゼリカは一目で心を奪われ、何度も父にありがとうと言っては一頻り喜んでみせた。
そんな彼女を見る父、アルヴィン(母は父をこう呼んでいたらしい)の瞳は優しく穏やかでアンゼリカは確かに自分は愛されているのだと喜びの中で感じ、噛み締めていた。
けれど、そう…。
写真を見て気付いたのだ。ヘッドドレスは母の、レイア・ロランドのトレードマークで。
父はあの時、アンゼリカではなく、彼女の中にある母の面影を見つめ微笑んでいたのかもしれない、と。
一瞬、ヘッドドレスを引き千切ってしまおうかと、一度離した手を頭へと向けたものの、実際にそんな事が出来る訳もなく、ただレースの端をぎゅっと握り込み皺を作っただけだった。

「出来ないよ、そんな事。だってこれは私のお気に入りなんだから…」

13の誕生日の日から一日だって彼女の頭を飾らなかった日はない程、それはアンゼリカのお気に入りだった。
自分が父に愛されている証なのだとずっと思ってきたのだから。

「だけど…私は、お父さんの一番大切なものを奪っちゃったんだもんね…」

このヘッドドレスだって本当は自分にではなく母に贈りたかったのかもしれない。
そう考えると何だか惨めで、自分が何もかも悪い気がしてじんわりと目元が涙の膜に覆われた。
視界の先の花畑が涙でぐにゃりと歪む。

「何泣いてるんだろ。悲しいのは私じゃないのに」

そう強がってごしごしと涙を拭った。

「あ、あれ…?」

涙は拭ったはずなのに、視界の歪みが消えない。
確認するように数度強く目元を拭うも結果は同じ。目の錯覚ではなく、本当に空間が歪んでいる。

「何だろう…?」

さっきまでの悲しい気持ちよりも好奇心が勝り、アンゼリカはその歪みへと近付いた。
もしも今ここに彼女の母を知るものが居たならば、やっぱり親子だなと苦笑しただろう。
アンゼリカには知りようのない事だが、彼女の母もまた好奇心の強い人だった。

そんな母譲りの好奇心に突き動かされ、警戒など一切せぬままに歪みに近付いたアンゼリカはこれまた何の躊躇いも無しにその歪みへと手を伸ばした。
細い指先が触れた瞬間、まるで彼女に反応したみたいに七色に染まり、次元の亀裂の様に変化した。

「色が変わった?…不思議、何だか別の場所に繋がってるみたい…」

そんな事ある訳ないよね、と苦笑い手をひっこめようとした瞬間、ぐっと何か―誰か―に腕を引かれた。
そのお陰で今さっきまで僅かも感じていなかった恐怖が一気に全身を駆け巡った。
声が聞こえる。青年の声。

『やっと見つけた、俺の、―――パンドラの箱に残された『希望』――』

「いやっ、だ、誰!!?」

歪みから離れるよう、後ずさってみるものの、腕を引く力は強く、全く後退する事は出来なかった。
それどころか逆に歪みに身体が引き摺られていく気がして思わず助けを求めた。

「(お父さん、助けて――!!)」

『大丈夫。俺は君を害する者じゃない。いや、むしろ君の望みを叶える者だ』

「私の…望み?」

『そう、君は過去を変えたいんだろう?君の父親と母親、どちらもが幸せに暮らす未来(いま)を実現させるために』

「え…。過去を、…変える…?」

青年に告げられた意外な言葉は一瞬、アンゼリカから恐怖の感情を取り払った。
立ち止まり、告げられた言葉を反芻する。

「過去を変える…」

脳裏に浮かんだのは、優しくも哀しげに微笑う父の顔。写真立ての中で幸せそうに笑い合うアルヴィンとレイア。

(過去を変えられたら、あの二人がずっと笑い合える未来が、くるのかな…)

「でも、過去を変えるなんて、」

『出来るよ。俺はそのための存在。時間を自由に渡れる『精霊』だから』

不可能、と告げようとしたアンゼリカの言葉を遮り告げられる俄かには信じがたい話。
時間を自由に渡る精霊。
何時しか声の主である青年は目視できるまでになって、アンゼリカのすぐ目の前に立っていた。

深い濃い蒼の瞳、襟足がやや長めのさらりとした銀髪、何処となく中性的な雰囲気も漂わせながらも精悍な顔付きの青年。
長めの紺のコートジャケットと髪が風に揺れた。

(綺麗な人…。男の人、だけど綺麗…)

見目の良い男性としては父親であるアルヴィンを知っているため、そうそう驚きはしないアンゼリカだが(尤も、彼女の父の容姿は男性的な美しさの部類だが)、それを持ってしても『綺麗』だと溜息が漏れた。
人よりも、神的なものを感じさせる美しさ。

「初めまして、アンゼリカ。俺はオリジン。ソリト=オリジン。時を渡る『精霊』だ」

「オリジン…精霊…時間を、渡る。…どうして、私の名前、私を知ってるの?」

「君が俺の探していたもので、俺が君の願いを叶えるものだから」

「私の願い…」

「俺なら君の望む未来(いま)を選ばせてあげられる。君の両親が生きて暮らす未来を」

「あ……」

「だから、俺と……」


取り引きしよう。

今までになく強い風が吹き、ヘッドドレスの飾りを花びらと共に風に舞い上げた。


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