−掛違えたボタンが運命のはじまりか−アンゼリカ・ロランド・スヴェント。
それが少女の名だった。愛称はアンゼ。
アンゼリカ、という名は少女の母が死の間際で彼女に与えた名らしい。
少女には母親の記憶は全くない。彼女の母は彼女が産まれる事と引き換えにその命を落としたと聞いている。
アンゼリカは父一人、子一人の父子家庭で育ってきた。
今年で15歳になったアンゼリカは最近母親に似てきたと言われる事が増えた。
特に瞳が似ているのだと。
彼女の父などその最もたるところで、翠色の瞳を見ては懐かしそうに、そして酷く寂しそうに微笑する。
「母さんに似てきた」、と。
その瞬間の父の瑪瑙色の瞳がアンゼリカは苦手だった。まるで自分が生まれてきてはいけなかったのかと想ってしまうから。
いや、もしかしたらそれは思い過ごしなどではなく事実、なのかもしれない。
実際に母は自分を産まなければ死ななかったのだから。
父は確かに自分をとても可愛がってくれるし、時に厳しく叱ってもくれる、愛してくれる。その感情が本物である事は理解っている。
それでも、翠の瞳の色を見る時の父の目は深い哀しみとそれ以上の愛しさを纏っていて、嫌になる位母に、レイア・ロランドに会いたいのだと伝わってくるのだ。
『ねぇ、お父さん。もしも、お母さんが私を産まない未来を選べるとしたら、お父さんはその未来を選ぶ?』
何時も喉に張り付くその問いを実際に口にした事はなかった。
『そうだ』と言われる事が怖かったから。
そう言われる事が恐ろしく感じる程に父の瞳は哀しい色を見せるから。
アルフレド・ヴィント・スヴェント。
レイア・ロランド。
この二人を引き裂いたのは間違いなく自分、アンゼリカ・ロランド・スヴェントという存在だった。
『私は…本当は、生まれてきてはいけなかったのかな…』
自分さえいなければ、父は今頃こんな哀しい目をせずに、母と笑い合って過ごしていただろうか。
ちらりと視界に入った写真立ての中で、まだ若い父と、少女と言っても差し支えのない程の女性が身を寄せ合って、微笑んでいる。
父と母。
写真の中の父はとても幸せそうに見えた。
小さく唇を噛んだ。
「私は要らない子供だ…。なんて親不孝なんだろう…」
母親殺しの娘。耳の奥でそんな声が聞こえた。