−悲哀と愛しさを抱いて−


覚悟はしていたはずだった。彼女がその身に自分の子を宿して以来、この日が日一日と近付く度に覚悟を深めていたはずだった。
そのために何度も彼女と話をした。約束もした。

それなのに、産室に響いた赤子の産声にアルヴィンは心臓を握り潰される想いがした。

小さいけれど、確かな存在を主張する泣き声を聴きながら一度目を閉じた。


愛した人との子供が生まれる日。
それはどう考えたって幸せと喜びに満ち、また待ち焦がれるべき日のはずだ。
事実、アルヴィンもレイアから子供が出来たと知らされた時、自分は今世界で一番幸せなのではないかと思った程だった。
けれど、その幸せは長くは続かなかった。

理由は分からない。
だが、レイアの身に宿った二人の子はレイアの身体を蝕んでいった。
彼女の胎内で子供が成長する程にレイアの体力、マナは奪われていった。勿論、普通であっても母体は子を宿せばそれなりに体力を消耗する(それ程に出産は大変なものだ)。
だが、レイアの場合はそれが異常ともいえる程だった。
妊娠4ヶ月を過ぎる前に医師から告げられたのは死の宣告だった。

『このまま子供を産めばレイアは確実に死に至る』

死を退けるには堕胎処理しかない。しかし既にかなりの進度で胎内を蝕まれているレイアが子供を堕ろせば二度と出産は不可能だろう、とも。
アルヴィンは否応なく、妻と子供の命を天秤に掛ける事を迫られた。
しかし、レイアは二つを秤に掛けるまでもなく子供の命を選んだ。
それはアルヴィンにとって身を切られるよりも辛い選択で何度もレイアを引き止めようとした。アルヴィンにとってレイアのいなくなる世界など考えられなかった。

それでも……。

もうはっきりとそこに命があるのだと分かるレイアのお腹の膨らみを見てしまっては簡単に堕ろすという選択肢も選び難く、ましてレイアの

「この子はアルヴィンに愛されるために産まれてくるんだよ。私が絶対にアルヴィンにこの子を抱っこさせてあげるんだから」

その言葉と微笑、瞳に宿した強い母親としての意思はアルヴィンにもしっかりと伝わり「子供はいらない」とはとても言えなかった。
だからアルヴィンはレイアの意志を尊重した。それは10ヶ月後のレイアとの別れを受け入れる事に他ならなかったけれど、それでも彼女の気持ちに寄り添うと決めた。
日に日に感じる孤独の影に怯えながらも。

「大丈夫だよ、アルヴィンはもう独りにはならないよ。だってこの子はアルヴィンの家族じゃない。この子は世界で一番アルヴィンに近い存在になるんだよ」

「レイア…」

「だから、アルヴィンがいっぱいこの子を愛してあげてね」

「けど…俺は一人じゃ…自信ない。ちゃんと愛した記憶も愛された記憶も殆どない俺が一人で子供を育てるなんて…できっこ、」
「出来るよ」

アルヴィンの弱音を包むように、手を握られた。柔らかで温かな手。

「私はアルヴィンにちゃんと愛されてるって実感出来てる。アルヴィンはちゃんと人を愛せてるよ。でも…そうだね…」

アルヴィンの手を握ったまま、レイアは微笑った。

「この子が産まれてくるまで、二人で一杯愛し合えばいいね。私がアルヴィンを一杯愛してあげる。アルヴィンは私を一杯愛してくれる。その記憶を、そのままこの子に教えてあげて」

私の分まで。そう言って繋いだままの手を命が宿る膨らみに宛がわれた。トクンと命の音が聞こえたのはきっと気のせいではなかったはずだ。

「この子が男の子でも女の子でも、きっと世界で一番、アルヴィンを理解してくれる存在になるよ」



その日からアルヴィンはレイアを今まで以上に愛したし、レイアもまたアルヴィンの記憶に残る様にと深い愛情を傾けてくれた。
悲しむよりも多く笑顔を記憶しておこうと、笑い合った。
身を切られる想いが消えた訳ではない。

それでも……。

アルヴィンはレイアと約束したのだから。

レイアの分まで子供を愛すると。


この日までに築き上げた『愛する事、愛される事』の記憶をひとつも零さない様にしっかりと心に抱き留め、アルヴィンはゆっくりと閉じた瞳を開いた。
その記憶を伝える対象を両腕に抱くため、産室へと歩んだ。


完全に死の影がにじり寄るレイアの姿に胸をかき乱されながら、けれど、決して涙を浮かべる事なく彼女の腕から子供を受け取った。

産まれて来た彼の理解者となるべき存在は焦げ茶色の髪と翠色の瞳をした可愛らしい女の子だった。

「名前、決めた?」

母となったレイアに訊ねれば、彼女は確かな口調で二人の子への贈り物を告げた。

「アンゼリカ。アンゼ…可愛いでしょう?」

「ああ…。ありがとうレイア。レイアの分までこの子を、アンゼリカを愛するよ」

「うん…ありがとうアルヴィン。大好き」

ふんわりとした微笑と共に、娘と同じ翠の瞳から涙の欠片がすべり落ち、それに続く様に、ゆっくりとその色を閉ざした。

アンゼリカ。

その存在がレイアからアルヴィンへの最後の贈り物で。
また、その名が母から娘への最初で最後の贈り物になった。


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