8




薄っすらと、視界に光が差した。
まだ、瞳にも頭の中にもぼんやりと霞がかかったような感覚がする。

「んっ……(朝、なんだよね……)」

はっきりしない意識のまま、とりあえず体を起こす。
掛けられていたシーツが滑り落ち、陽の光の中にレイアの、一糸纏わぬ上半身が露になった。

「ひゃっ」

慌てて滑り落ちたシーツを引っ張り上げ、再び枕に頭を付けた。
少々混乱気味の頭の中を整理する。

「わたし……」

昨晩の出来事が早送りの映画のように一気に頭のスクリーンを流れていった。
軋むベッドのスプリング、こちらを見下ろす赤茶の瞳の艶やかで獰猛で、優しい輝き。
抱き締められた腕と胸板の逞しさ。
そんな恋人の前に全てを曝け出し、身体の奥深くまで受け入れた熱。
恥ずかしくて、痛くて、熱くて……幸せで。
そして。
初めて『好き』の先に進んだ。

『愛してる』

アルヴィンもレイアもあの、まるで目眩の中にいるような行為の最中そう自然に口にした。
それはつまり、恋人として一歩踏み込んだ関係になったことをはっきりと意味するようで。

「うー……」

シーツを目の高さまで引っ張り上げ、赤くなってしまった顔を被った。
昨晩の事をあれこれと思い起こしていたら、どうしようもなく体温が上がってしまった。

「(だって、仕方ないよ。)わたし、わたし……」

蓑のようにシーツを体に巻きつけながら身悶えた。

「アルヴィンとエッチしちゃったよ……!」

行為中もかなり恥ずかしい思いをしたが、正直に言ってしまえば現状を受け入れるだけで精一杯で細かなことにまで思考を割く余裕が無かった。
けれど、今、落ち着いた状態で昨日の事を思い返してみれば、かなり大胆に、恥ずかしいことばかりしてしまったような気がする。

(全部見られちゃったし、舐められたし……舐められたし……っ!)

今まで誰にも触れられたことのない箇所にアルヴィンの指は及んで、解きほぐされ、最後はすっかり熱を受け入れて、泣き喘いでいたような気がする。

「わたし酷い顔してなかったかな?っていうか恥ずかし過ぎて、どんな風にアルヴィンと顔合わせたらいいか分からないよー。どうしよう、どうしようっ!」

シーツの蓑に包まったまま、ベッドの上をごろごろと転がり悶える。
そうでもしないと体に溜まった羞恥の熱で熱暴走を起こしそうだった(いや、もう暴走しているのかもしれないが)。
暫くベッドの上で左右に転がって呻っていると、蓑に包まった背中に声がかかった。

「おいおい、『初めて』の朝の癖に随分元気だなレイア」

何やってんだ、お前?
見ればシャワーを浴びてきたと思われる、濡れた髪をタオルで拭きながらベッドを覗き込むアルヴィンの姿があった。

「うひゃぁっ!」

今まさに想像の中であんなことやこんなことを自分にしていたその人に声を掛けられ、レイアは思い切り情けない声を出すと、蓑虫状態のまま飛び上がった。

「あああ、あ、アルヴィン!?」

昨晩ベッドに入る前の時と同じような光景。レイアはまたしても恥ずかしい場面を見られてしまった。
激しくどもって慌てるレイアにアルヴィンは小さく肩を竦めると、ベッドの空いているスペースに腰を下ろした。

「無理させたんじゃないかって心配してたんだが、その様子じゃ大丈夫そうだな」
「心配?」
「そ、昨日、慣れないことさせちまったし、色々な……腰とか痛いんじゃねぇかなと思って」
「……あっ」

言われて初めて、腰に痛みがあることに気付く。
腰、というよりも下半身全体に広がる鈍い痛みと、まだ、何か、が体内に収まっているような妙な感覚。
その何かが何であるのか思い起こして、思わず、ちらりと隣に座る人を見上げてしまった。
目が合う。
慌てて視線を逸らし、顔を隠すように、またシーツを目の高さまで持ち上げながら、ぼそりと呟いた。

「痛い……かも」
「何だよ、『かも』って」

おかしそうに笑む声は何処となく嬉しそうにも思える。

「だって、今気付いたんだもん……アルヴィンに言われて」
「なるほどな。俺に指摘されるまで気付かないくらい、昨日のこと思い出して、アンアン悶えるのに忙しかったのかレイアは。そんなに凄かった?昨日の」

ニヤリと意地悪に笑われ、カッと体に火が燈る。

「アンアンなんて言ってない!悶えてない!それに、昨日は色々あり過ぎて、何が何だか分かんない内に終わっちゃったから凄かったかどうかなんてわかんないもん。アルヴィンの大きくて痛かったし、今だって中残ってるような気がしてちょっと変なんだから!」
「…………」
「っ、……ぁ、ぁっ」
「へぇ……」
「っ!!」

アルヴィンの意地悪な笑みが更に濃くなり、レイアは自分が今、思い切りの失言をしてしまった事に気付いた。

(穴があったら入りたいって、まさにこのことだよ……!)

「そっか、感覚がまだ残ってるくらいレイアは俺の、お気に召したってわけか」
「ち、違う、違うよ!大きかったって言っただけじゃない!」
「気持ち良かった?最初は痛そうだったけど、お前途中からちょっといい声になったもんな?」
「知らないよ!言ったでしょ!?何かよくわかんない内にうわぁってなって、ぶわぁってきて、気が付いたら終わってたんだもん!それに自分の声なんて、あんな状況でよくわかるわけないよ」
「うわぁにぶわぁ、ね。ホント、レイアらしいな」

くつくつと喉の奥で笑われた。
思い切り馬鹿にされているような気がして何か言い返してやろうかと口を開きかけたが、笑いを収めながら、こちらを見下ろすアルヴィンの表情が本当に幸せそうに見えて、開きかけた口は閉じる事にした。
完全に笑いが引っ込むと、見えてきたのは、昨晩、熱に浮かされながら何度も見上げた、優しくも艶っぽい大人の男の人の顔。すっと細められる赤茶色。

「レイア……」

その色に引き込まれる形で、ぼぅっと動けなくなったところに、大きな手が伸びてきて。
ふわりと前髪を掻き上げられた。
剥き出しになった額に熱い、唇の感触。
微かに空気を震わせ、告げられる、

「可愛かったよ。ありがとな」

愛してる。
殆ど無音に近い、それに中てられ何の反応も出来ずにいると、覆い被さっていたレイアの上から身を起こしたアルヴィンは、また口元にニッと何時もの悪戯な笑みを浮かべた。
口笛を吹くように、さらりと言ってくる。

「じゃあ、次はもっとレイアをアンアン言わせて、気持ち良くて凄かったって、うっとりした顔で言って貰えるように俺頑張るわ。レイアの好きな大きいのでさ」
「そ、そんなこと言わないもん!それに、好きなんて言ってない!」
「じゃあ嫌い?」
「べ、別に嫌いとかそういう意味じゃ……」
「つーか、大きいは否定しないんだな」
「っ……!だ、だ、だって……本当に大きかったんだもん……他の人のなんて知らないから本当のところはよくわかんないけど……」
「あははは、確かにそうだな。ってか比べられるくらい知ってたら俺の方が驚くよ」
「うー……」
「自分で言ってて照れるなんて、レイアも初心だねぇ。可愛い、かわいい」
「もう!そうやってすぐ馬鹿にするんだから!」

恋人としてベッドを共にして初めての朝という擽ったさと、気恥ずかしさを誤魔化すようにレイアは大袈裟にアルヴィンのからかいに喰って掛かり、アルヴィンもまた、楽しげにレイアの相手をする。
傍から見たならば、じゃれ合っているようにしか見えない、そんな遣り取りを暫く繰り返す中でふと、レイアは表情を改めて、アルヴィンを見遣った。
ぽそり。微かな声で尋ねる。

「あのね、アルヴィン。……アルヴィンは、その……気持ち良かった?わたしとの、その……エッチ……」

蚊の鳴くサイズの問い掛けは、それでも確かにアルヴィンの鼓膜を震わせたようで、ぐしゃぐしゃとレイアの髪を掻き乱していた手の動きが止まる。

「もし、ね、アルヴィンが気持ち良かったって思ってくれてるなら、次はわたし、もっと……頑張る、よ……」

全て言い終えると、部屋の中に俄かに沈黙が訪れた。
ぱちぱちと二度程瞬きをしてレイアを見下ろすアルヴィンの目がニュートラルな色をしていて、もしかして自分はおかしなことを言ってしまっただろうかと心配になった。
黙ったままでいないで、何か言って欲しい、せめて思い切り馬鹿にしたように茶化してくれたらいいのに、と恥ずかしい思いが込み上げて、いっそシーツの中に潜ってしまおうかと考え、もぞりと身動きしたのと同じタイミングで、短い答えが返ってきた。

「気持ち良かったよ」

さっきまでのぐしゃぐしゃとした乱暴なやり方ではなく、優しげに頭を撫でられる。触れる指の柔らかさで胸の中が甘く擽ったくなるような。
見上げるアルヴィンは、『友達』でいた時には決して見せなかった、今の関係になって初めてレイアが目にするようになった『恋人』の顔をしていて。
心臓が跳ねた。
また、すっと、覆い被さられ、顔が近づく。

「そ、そっか――、」

なら良かった。そう言って、何とか心臓を落ち着けようとしたものの、耳元に寄せられた唇のせいでそれは失敗に終わった。

「本当、気持ちよかったよ。今からもう一回してもいいくらいに――」
「アル、ヴィン……」

頭に触れていた掌がするりとシーツの中に入り込んできて、肩から首筋を撫で上げる。そのまま唇をなぞって……。
トクトクと心臓の音が喧しくなっていく。
これは昨晩と同じ期待の意味を持つ心臓音なのだろうか。今からまた、自分はあの官能の中に引きずり込まれてしまうのだろうか。
そんな思いが胸の中を駆け巡り、身動きが出来ない。
唇をなぞった指が、僅かにそこを割り開いて口腔内に押し込まれる、と覚悟を決めた次の瞬間、指は瞬く間に方向転換し、レイアの鼻を思い切り摘み捻った。

「ふぎゅっ!」

ギャグっぽい声が漏れた。

「なーんて、今期待した?」

ほんの数センチ先にある顔は悪戯が成功した子供のように、おかしくて仕方がないといった様子。

「アルヴィン!最悪だよ!」
「あはははは、妙にしおらしくなっちゃって、目も潤ませてさ、いやー、レイアも一応女の子だもんなー」
「もう、酷いよ!びっくりしたじゃない」
「あのな、幾ら舞い上がってるからって、腰痛めてる相手にがっつく程余裕のない奴じゃないの、俺は」
「むー、そうやって何時も余裕ぶっちゃって」
「ま、実際余裕だし?レイアとは重ねてる経験が違うんでね」
「そうですかー。でも、舞い上がってはいるんだね?」
「……まぁな。さて、と」

話を打ち切るようにアルヴィンが立ち上がる。

「そろそろ朝飯作ってくるわ」
「あ、わたし作る、」

よ、の言葉と共にシーツの蓑から抜け出そうとしたが、大きな手によって再び同じ場所に押し戻された。

「いいって、腰、痛いんだろ?朝飯くらい俺に任せとけ。……まぁ、ちょっとばかり無理させた自覚はあるからさ。もう少し寝てろよ。飯出来たら起こしてやるからさ」

そこまで一気に言うと、レイアの返事を待たずにアルヴィンは寝室を出ていった。
レイアひとりが残される。

「もしかして……逃げられた?」

背中を見送った視線のまま独りごちる。
舞い上がっているのかと訊ねたのが原因だろうか。

「ふふっ……余裕、ね」

思わず笑みが零れる。
何だか嬉しくなって、起きたばかりの時と同じように、シーツの蓑に包まってベッドの上をごろごろと転がった。
暫く左右に行ったり来たりを繰り返した後、ぽふん、と音を立てながらアルヴィンの枕に顔を埋める。

「…………ぁ」

ふいに、昨晩はしなかった香りをレイアは鼻腔の奥に受け取った。
新品のリネンの香りに微かに混じる、アルヴィンの匂い。
匂いに惹かれるよう、顔は埋めたまま枕をぎゅーっと抱き締めた。
弾けるような、甘く擽ったい気持ちが胸を掠める。

「あぁ、もう……(もうひと眠りなんて出来そうもないよ)」

確かに体は少々だるいけれど、頭は昨晩からの興奮を呼び起こされ、ハイになってしまっている。
鼻腔を擽るアルヴィンの香りのせいで。

そして何より……。
これからこうして、アルヴィンとの変わらない毎朝を迎えるのかと思うと、馬鹿みたいに叫びたい気分になってしまう。
そこにはレイアの知らなかった『当たり前』がきっと、沢山溢れているに違いない。
当たり前であることがこんなに嬉しいなんて何だかおかしい。
けれど、レイアにとってこれ以上の幸福は今のところ見当たりそうにもない。
その幸福をしっかりと味わうためにも、今はアルヴィンの言った通りもう一眠りしておこう。

今日から始まる全く新しい『当たり前の日常』を想って、レイアの胸は高鳴った。
境界線を飛び越えた、『恋人』としての日々がここから始まる。
そこは一体、どんな色に溢れているのだろう。

身悶えそうな幸福と恋人の香りを抱き締めながら、ゆっくりと瞼を閉じた。

それから数十分後、枕を抱き締めて無心に眠るレイアを愛し気な眼差しで暫く見詰めた後、そっと目覚めのキスで揺り起こすアルヴィンと、また酷く狼狽するレイアの姿が見られるのだけれど、そこから先のふたりがどうなるかについては、一部始終を見ていたカエルくんが残念ながら黙秘権を行使したために書き記す事が無理そうなのである。

ただひとつ、ふたりの間にあった『迷子の境界線』はもうどこにも存在しなくなっていた。


―END―

2013.8.14 完結

モドル


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