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「こ、こんなに大きいベッド買うの?」
「大きいって、俺達二人で寝るんだぞ?この位のサイズ普通だろ」
「そ、そっか……二人で、寝る……ん、だよね」
「そりゃ、一緒に住むんだ。一緒に寝てもおかしくはないだろ。ん?何赤くなってんだ?……もしかして、期待しちまった?」
「っ!……アルヴィンの意地悪!もうここには用事ないでしょ!わたしカーテン見てくる!」
「おい、悪かったって。な、機嫌直せよ」

こんなやり取りも、新鮮で愛おしい。
境界線を越えた先で見る世界はどんな色に溢れているのだろう。
ふたりが今立っているのは『友達』の境界線(迷子のライン)ではなく、『恋人』の境界線。その向こう側。




「お、おじゃま、しまぁーす」

何故かおっかなびっくりといった体でそう言ったレイアにアルヴィンは思わず笑ってしまった。
そろそろと足音を立てないように玄関を潜る姿も何とも言えず滑稽だ。

「お前、何で『おじゃまします』なんだよ。おかしいだろ?今日からここにお前も住むんだろうが」

呆れ笑いと共に指摘してやると、レイアは「あ、そっか」と照れたように頭を掻いた。
現在ふたりがいる場所、アルヴィンの住むマンションのアルヴィン宅、玄関口。
黄色の紐でしっかりとカエルくんと結ばれた合鍵を使って扉を開けた。

「な、何か緊張するね」
「本当、おかしな奴だな、レイアは。今まで散々気軽に泊まってた癖に」
「だ、だって。今までと……これからは違うじゃない……その、わたし達『恋人同士』になったんだし」
「……まぁ、な」

『恋人同士』と頬を染め、俯きがちに言うレイアに中てられ思わずアルヴィンもこそばゆい気持ちになってしまった。例えるなら初デートと、これからのふたりをあれこれ夢想し寝付けなくなる少年のような。
そんな年甲斐も無い気持ちを追い払うためにひとつ咳払いをして普段の調子を呼び戻す。
「とにかく」とやや強引に場の空気を切り替えた。

「どっちにしたって『お邪魔します』は無いだろ。この場合は『ただいま』だ」
「ただいま……」
「そ。暫くここには来てなかったし、改めて荷物も戻したんだから『ただいま』だよ。お前のお気に入りのカエルくんもずっとここで待ってたしな」

互いの本当の気持ちに気付いていなかった頃のレイアの忘れ物のそれは、彼女の元に返るのをずっと待ちわびていたに違いない。
もっとも、主の元に戻るのではなく、実際は主がこの家に戻ってくる事になったのだが、何にせよカエルくんとレイアは感動の再会を果たす事と相成った。
チェストの上でちょこんと待つカエルくんの締まりのない顔を想像しながら、こうしてレイアが無事に戻ってこれてよかったとアルヴィンは改めて思った。
もしも、あの時最悪の事態に陥っていたならこんな風にレイアがこの玄関を再び潜る日は来なかったかもしれないのだから。
あの日――。
レイアが病院に搬送された日。
アルヴィンとレイアが互いの本当の気持ちを確かめ、『友人』から『恋人』に関係を変えた日からふた月あまり。
今日改めて、レイアはアルヴィンの『恋人』としてこのマンションに戻ってきた。
これからはずっと、ここに住むことになる。
無事に怪我から回復したレイアは今まで住んでいたアパートを引き払った。アルヴィンと共に生活するために。
あの黄色い紐でカエルくんと結ばれた合鍵は緊急避難先の鍵ではなく、レイアにとっての家の鍵へと形を変えたことになる。

「おかえり、レイア」

今日のために買った荷物を抱えて廊下に上がったアルヴィンは振り返ってレイアに笑いかけた。

「ただいま、アルヴィン!」

レイアはそれに負けないような満面の笑みで応えた。
ふたり並んで、見慣れたはずの、けれど、『新しい』住処へと入っていく。
境界線を飛び越えた先の、新しい生活(ものがたり)の始まり――。



「ねね、この花瓶玄関口に飾るつもりだったんだけど、やっぱりテーブルの上に置いてもいい?テーブルクロスの色と合うと思うんだ」
「ああ、レイアのしたいようにしていいよ。今日からここはお前ん家でもあるんだし」
「へへ……」
「おー、締まりのねぇニヤけ面。俺よりもレイアのがよっぽどカエルくんに似てんじゃね?」
「なっ、締りが無いなんて失礼だなぁ。こんな可愛い女の子に向かって。それに、カエルくんはアルヴィンに似てるからいいんでしょ!?」
「自分で『可愛い』とか言ってりゃ世話ねぇよ。って、『俺に似てるからいい』ってどういう意味だよ」
「そのまんまの意味だよ。あ!カーテンもう新しいのにしたんだね」
「話逸らしやがった」

恋人関係になる前からの習慣だった軽口の応酬に忙しなく口を動かしながら、同じように手も動かす。
『ふたりの家』になったこの場所をふたりの好みが混じり合う、ふたり共に住み心地のよい環境にするために。
レイアが荷物を纏めて去ってしまった時には、重ためなグレー色をしていたカーテンは、ペパーミントに鮮やかなオレンジとイエローのチェックの入った明るくカラフルなものに変わった。
先程レイアが口にしていたテーブルクロスとお揃いの柄で、これまた同じくレイアが言っていた花瓶共々ふたりで選んで買ってきたものだ。
モノクロで殺風景に感じていた部屋がぱっと色彩の花が咲いたように鮮やかになったな。
真新しいカーテンを嬉しそうに撫でているレイアを見ながら、アルヴィンは思った。
それは何もカーテンが色鮮やかなものに変わったせいばかりではない。
レイアへの本当の気持ちを押し隠していた頃のアルヴィンの世界は自分でも驚く程モノクロだった。それが、レイアへの気持ちを認め、彼女が傍にいるだけでこんなにも心の色を感じる事が出来る。
喜びや期待、安堵感に満ちている。
つまるところ、アルヴィンがこの部屋に多くの色を感じる事ができるのは自分の心がそれだけ豊かである証拠なのだろう。
レイアがこうしてここにいるから。

(俺も案外単純ってことだよな。レイアのこと言えねぇな)

やっぱりこの柄にしてよかったね。部屋が明るく感じるよ。
にっこりと振り返ったレイアに手を伸ばし腕の中に抱き込んだ。
突然のことに驚く瞳に構わず、そのまま唇を重ねる。
レイアと甘さを胸の内に取り込むように。

「……アルヴィン」
「黙ってろ」

息継ぎの幕間に発された、言葉ごともう一度唇を奪う。今度はさっきよりも少し乱暴に、強引に。
舌も絡めて、レイアを貪る。
角度を変え何度も、深く。
レイアが息苦しさで、アルヴィンのシャツをぎゅっと握り締めるまで。

「ふぁ……」

唇が離れる瞬間、レイアの中から零れ落ちたのは甘さの名残。
上気した頬と、とろんとした瞳はアルヴィンにレイアはひとりの女性であり、恋人であるということをより一層印象付けた。それと同時に確かな性的欲求が沸き起こるのも。
それらをレイアに気取られないようにしながら(流石に11も年上でありながら、この関係に舞い上がってレイアにがっつきたくなったなんて知られるのは恥ずかしい。例えレイアが同じように舞い上がっていたとしても、だ。)腕の中、キスに酔ったように潤んだ表情をして胸板に身を預ける、ひと回り小さな背を撫でると、ぽそりと聞こえてくる声。

「……強引、だよ。アルヴィンは」

ちょっと拗ねたような口ぶりなのは、照れ隠しなのだろう。
レイアは正真正銘、『恋人初心者』だから耐性がないのだ。
密着した体越しに感じる、ドクドクと早い鼓動が何よりの証拠。
長い『友人』の期間を経て『恋人』になったレイアは今、そろそろと確かめるような足取りで『恋人の階段』を上っている最中だ。アルヴィンにリードされながら。
病室で初めてキスをしてからもう幾度もこの行為を繰り返しているが、それでもレイアにはまだまだ刺激が強いらしい。
強い赤みを帯びた頬は酷く初心で、大事にしてやりたいと思うが、同時に虐めてみたい欲求も呼び起こす。
アルヴィンがそんな事を考えているなんて、自分の事で精一杯のレイアはきっと、想像もしていないのだろうけど。

やはり、今日の自分は少し舞い上がっているのだろう。
そう、改めてアルヴィンは感じた。
普段なら大事にしてやりたい気持ちが強く働き、こんな事はしないから。
けれど、今日は『虐めてみたい』欲求が勝り、恥ずかしげに俯くレイアの耳元に顔を寄せ、意識して低く囁くような声を出した。

「恋人らしいこと、したいんだろう、レイアは。……自分でそう言ったよな?」
「それは、そう、だけど……」

腕の中、戸惑いと気恥ずかしさに頬を染められたレイア。
でも。と唇の形を動かしたのに被せて、さらに低めた声を紡いだ。

「なぁ、レイアはキスだけで満足?もっと、先の、恋人らしいことしたくないか……?」
「もっと、先の……恋人らしい、こと」

告げた最初こそ、きょとんとした顔をしていたレイアは、アルヴィンの手がすっと腰に添えられたことで(その仕草が纏う色香と雰囲気によって)それが意味するところを悟ったようで、赤い顔を更に赤くさせて、慌てて腕の中から逃げた。

「わ、わたし!テーブルクロスと花瓶飾ってくる!」

脱兎のごとくキッチンに逃げ込む背中を見送る。
手持ち無沙汰になってしまった両手を頭の後ろで組んで独りごちた。

「あーあ、逃げられちまった。ちょっと急かし過ぎたか?……あの様子じゃ暫くは生殺しになりそうだな……けど、ま、それも悪くないか」

何も急く必要はない。これから先、ずっとふたりは共にある。
時間はたっぷりとあるのだから。

「な、お前もそう思うだろ?」

チェストの上から一連のやり取りの覗き見をしていたカエルくんに同意を求める。
相変わらず締まりの無い緑のそいつが心なしか嬉しそうに見えるのは、アルヴィンの心の一部を映しこんでいるからだろうか。何せ、このカエルはレイアのお気に入りで、彼女曰く、アルヴィンに似ているからよい、そうなので(些か不本意だが)。

けれど、未来を知る(かどうかは定かではないけれど)カエルくんはこの時、アルヴィンの言葉に同意しなかった。
だって、彼は見るのだから。
生殺しになどならず、レイアとキスのその先を成就させるアルヴィンを。
真新しいベッドの上で睦み合うふたりを。




アルヴィンとカエルくんがアイコンタクトを取っていた頃、キッチンに駆け込んだレイアはドキドキする胸を押さえながら、確かめるようにひとり小さく呟いていた。

「キスの先の……恋人らしい、こと……」

熱い頬が益々熱を持つ。テーブルクロスに乗せた指先に力が入って、鮮やかなチェック模様が僅かに歪む。

「……アルヴィンが、そう……望んでくれるなら」

キスの先だって、全部、全部……。
薔薇色に染まった頬は、レイアをこれ以上ない程、女の子らしく彩っていた。


モドル


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