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そうして、ふたりは歪に引いた『友人』の境界線(ライン)を飛び越える。

そのきっかけが訪れる。
アルヴィンのGHSが震えた事によって。


レイアが調査取材に出て三日目の午後の事だった。
その日、アルヴィンは午前中から午後に掛けて仕事をこなし、それが終わった後トレーネと自宅マンションで時間を潰してから彼女とふたり、トレーネの父親との夕食会に出る予定を組んでいた。

「ごめんなさい、急に食事会なんて。父ったら言い出したら聞かなくって」

「いや、いいさ。俺もいずれ改めてトレーネの親父さんに顔合わせなきゃいけねぇなと思ってたし」

申し訳なさそうに肩を竦めるトレーネに向かって、穏やかに微笑んでみせてからアルヴィンは自宅へ向かうためエレベーターのボタンを押した。
レイアと最後に顔を合わせたエレベーターの。

「本当にごめんなさい。でも父はアルヴィンに会うのを楽しみにしてるんです。父がプライベートで使っているお気に入りのホテルがあるんですけど、今日はそこに予約を入れてましたもの。料理だって『一番いいのを〜』って言ってました」

「はは、そいつは光栄だが、何か緊張しちまうな」

「ふふ、大丈夫ですよ。アルヴィンならきっとすぐに父とも打ち解けられます」

そんなやり取りを交わしながら、エレベーターに乗り込んだ。

(トレーネの父親に会う、か……。そうしたら、覚悟も決まっかな……)

隣に立つトレーネの整った横顔を見つめる。
彼女との結婚は、世間から見て間違いなく贅沢者と言われる程の好条件だ。

(そうだな。その結婚に『覚悟』なんて思ってる俺は相当の贅沢者だ)

彼女に愛され、彼女を愛し、可愛らしい子供のいる家庭が、遠く離れた名画のように見えていたとしても。

思考の波に感情を漂わせている内にエレベーターは目的の階へ着いた事をアルヴィンに知らせた。



「うおっ、マジで最高級ホテルだな。俺なんて、そこ前通った事しかねぇよ。政財界の有名人も御用達なんだよなあそこ。ディナー滅茶苦茶美味いって話聞くよ。勿論お値段も立派って話だけどさ。そこと取引できりゃ美味いだろうなって仕事仲間と話した事あってさ。そこで食事会か、やっぱ緊張すんな」

「そんなに緊張しないで下さい。今回は完全にプライベートですし、それにアルヴィンならあのホテルの雰囲気にすっと溶け込んでしまいますよ。……素敵、ですし。あっ、……アルヴィンは、商会のお仕事なさってるんでしょう?ホテルと取引って事は主に食材を扱っていらっしゃるんですか?」

マンションの渡り廊下を並んで歩きながらの会話。
トレーネは自分の言葉に一瞬頬を赤らめたが、すぐに話題を別のところに振った。
頬が薔薇色に染まると、彼女の可憐さは一層引き立つ。
それが自分に向けられている事はきっと、たまらない幸せなのだろうと思いながら、アルヴィンは口を開いた。

「今のところは。主にリーゼ・マクシア産のフルーツとか野菜、特産品なんかをエレンピオス(こっち)に卸す仕事をしてるよ。ただ、中々上手い事いかなくてな。取引相手見つけるのに結構苦労して――、っと、悪ぃ、誰か連絡寄越してきたみてぇ」

会話を割るように、ポケットの中のGHSが震えた。
目配せで「どうぞ」と答えるトレーネに小さく謝ってからGHSを取り出す。
そうしてディスプレイに映し出された名前に息を呑んだ。

『レイア』

ずっと無意識に待ち望んでいたその名。
一瞬、視線をトレーネの上に落とし、軽い緊張感を走らせながらGHSを耳に押し当てた。
出来る限りの平静を保ちながら。

「もしもし」

けれど、受話口の向こうから聞こえてきた、聞き慣れたレイアのものとは違う声に、平静は呆気なく崩された。

『あの、私○▲□総合病院の○○と申します。大変不躾で申し訳御座いませんが、貴方はレイア・ロランド様のお身内の方でしょうか?』

「は?病院……?レイアに何かあったのか!?」

想像もしていなかった事態に、アルヴィンは隣にトレーネがいる事も忘れて声を荒げた。

『ええ、まぁ……。□□湖の近くに倒れていたのをこちらに運び込まれたんです。持ち物を確認させて頂くとこのGHSがありまして。失礼かとは思いましたが、履歴を確認させて頂き、貴方と一番親しくされていらっしゃるようなので、こうして連絡を差し上げました。お身内の方という事でよろしいでしょうか?』

「あ、あぁ……」

曖昧に相槌を打つ。アルヴィンとレイアは確かに親しいが身内ではない。それどころか――。
だが今は嘘も方便だと割り切った。

「で、どんな状況なんだ?酷い、のか?」

『まだはっきりとした事はお知らせできませんが、運び込まれた時には意識が無く、全身血で汚れていて打撲もかなりあったかと思います。現在集中治療室にいらっしゃいますが、もしも内臓に損傷があった場合は最悪の事態も……』

医師は最後の言葉を濁した。

「最悪って……死ぬ、って事か……?」

口にした途端、自分の放った言葉が氷塊のように胸に突き刺さった。
体温が。周りの空気が。冷えていく。

レイアが『死ぬ』。
モノクロの景色がどんどん広がって、その内、物の形も捉えられなくなりそうだ。
今ここがどこで、自分は何をしていて、これから何をしようとしていたのか。
そういうものが全部遠い彼方に消し飛んで、アルヴィンの頭の中をレイアが占領した。

アルヴィンに向かって笑ったり、
拗ねたり、
時々弱音を見せたり、
元気よく跳ねる姿も、
「アルヴィン!」
そうやって自分を呼ぶ声も、

全部全部、失ってしまう……?
永遠に。

『あ、いえ、まだそうと決まったわけではありませんから。こちらでも最善は尽くしますので、お気を確かに持たれて下さい。とりあえず、病院までの地図を転送させて頂きますので、どうかお早めにお越し下さい』


それから幾つかの簡単なやりとりの後、GHSは静かになった。

「…………レイアが……」

『死ぬ』の言葉を口にするのは憚られた。
言ってしまったが最後、死神がレイアを絡めとっていくような気がして。
力なくGHSを持つ手を下ろした。
何をすればいいのか理解らなくなっていた。



モドル


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