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「ううっ……本当に来ちゃったよ」

先輩から調査取材の仕事を受け取った翌日の午後。レイアはアルヴィンの家があるマンションの前に来ていた。
二週間ぶりに見る建物は何だか酷く懐かしく、でもどこか、他人行儀にも感じた。
ほんの二週間前まではここはレイアにとって心の安息を得られる場所だったのに。可笑しな気分。
ショートパンツのポケットの中に手を入れると、指先に感じる硬質の感触。アルヴィンの家の合鍵。

「やっぱり、アルヴィンにお願いするしかないよね……」

ここまで来ておきながら、諦め悪く足掻く心。
会社を出る前にジュードに今回の調査に付き合って貰えないかとメールを送ったがまだ返事を貰えていなかった。
原稿の締め切りまでもうそれ程時間は残されていない。
それで結局、レイアはジュードの返事を貰う前にアルヴィンの元を訪ねる事になった。

「でも、アポ無しで来ちゃったから居ないかもしれないね」

そんな事を呟きながら、勝手知ったるマンションの中へと入っていき、押しなれたエレベーターのボタンを押した。
『居ないかもしれない』。呟いた瞬間、「そっちの方がいい」と思ってしまった自分をレイアは「馬鹿」と戒めた。

「今、会わなくたって、何時か会わなきゃいけないんだから」

鍵を返さなきゃいけない日が来るんだから。
アルヴィンは結婚するんだから。

「ちゃんと、何でもないように、『何時も』のわたしになるように頑張るから。だから、今回の仕事だけ甘えさせて下さい」

この仕事が終わったら、前みたいに、アルヴィンは『友達』だよって笑って言えるわたしになるから。
きちんと境界線を引いた状態でも普通に笑えるように頑張るから。

誰も居ないエレベーターの中で独りごちる。
と、ずっと手に握り締めていたライトイエローのGHSが震えた。
そういえば、このGHSもアルヴィンがくれたものなんだよね。
そんな事がふいに浮かんでしまったのを、ぶんぶんと激しく首を振って頭の中から追い出すと、GHSを開いた。
同時にエレベーターが目的地についた音。
レイアはGHSに目をやったまま、エレベーターから降り、慣れた足取りでアルヴィンの家を目指した。
もう何度も通った道。
前を見なくとも平気だった。

「あぁ……やっぱり、ジュード無理だったかぁ……」

何となく分かっていた事だったが、レイアはがっくりと肩を落とした。
ライトイエローのGHSを震わせたのはジュードからのメールだった。

『ごめん、今物凄く忙しくって、その日までに都合が付けられそうにないんだ。来週過ぎれば少し余裕が出来るから、その時でいいなら手伝えるけど……』

と。

「はぁ……」

分かっていた事でありながら、やはり溜息がこぼれてしまう。
これで完全にアルヴィン頼みになってしまった。

「仕方ないよね。今ジュード凄く忙しいんだもん。……でも、アルヴィンも、忙しいかも、しれないね」

その響きが、自分で言った癖に、嫌味っぽく聞こえて、自分自身に腹が立った。

「感じ悪いぞ、わたし」

そもそも自分はアルヴィンが誰とどんな付き合いをしたって文句を言える立場じゃない。
今までが『友達』としての関係を逸脱していた。それだけなんだから。
どんなに深く濃い関係を築いていたって、レイアとアルヴィンは友達、なんだから。

(わたしが、アルヴィンをどんなに好きになっても、アルヴィンにとってわたしは友達でしかないんだから)

今まで、少しばかり普通の友達よりも深い部分に自分を置いてくれていたのは、きっと……アルヴィンの贖罪の念からだ。
レイアの背に残る銃創への。

思考がネガティブに沈んで、自然に視線も下へと落ちた。
項垂れる格好でGHSをショートパンツのポケットに突っ込み、とぼとぼ歩く。
もうすぐアルヴィンの家の目の前というところで、女性の声がして、地面に向けられていたレイアの意識を上へと引っ張った。

「あ、貴女、確か……」

「へ?……っ!」

心臓が飛び跳ねた。
レイアの視線の先、アルヴィンの家の玄関の前、そこに立つ女性(ひと)。
亜麻色の髪と鳶色の瞳。初めて見掛けたあの日と同じ、綺麗な人という思いを抱かせる、アルヴィンの……恋人。
トレーネ・フォン・ハウゼン。

予想もしなかった人物を目の前に驚き、言葉を無くしたレイアとは対照的にトレーネはにこりと微笑を傾け、友好的な態度で話しかけてきた。

「以前駅でお会いしましたよね。アルヴィンのお友達の方。今日はアルヴィンに御用ですか?彼、今ちょっと仕事の用事で近くに出てるんです。すぐに戻るって言ってましたから、よかったら一緒に待っていませんか?」

「あ……、」

レイアにはない上品な雰囲気を漂わせ微笑む目の前のトレーネ。
心の中に一気に色々な感情が押し寄せた。
とてもとても、醜い感情が。

レイアはぎゅっと唇を噛むと、トレーネの問いには一切答えず、ショートパンツのポケットに手を突っ込んだ。
乱暴にGHSを引っ張り出し、その奥にあった合鍵を掴む。

「すみません。これ、アルヴィンに返しておいて下さい。わたしの用事それだけだから」

「え?……」

ぶしつけに言って、断りもなくトレーネの手を掴むと、色白の掌の上に合鍵を乗せた。
アルヴィンとレイアを繋ぐ合鍵を。
だって、どうせそれは近い内に彼女のものになるのだから。

「あの、……これ」

鍵とレイアを見比べて、戸惑いの表情を浮かべるトレーネ。
けれど、レイアはトレーネに構う事なく――構う余裕なく――、取り出した時と同じように乱暴にGHSをポケットに突っ込むと、挨拶もせずに、もと来た道をエレベーターに向かって走り出した。
早くこの場から逃げたかった。
エレベーターに駆け込むと、鼻の奥がツンとして……扉が閉まった途端、涙が零れだした。
そんな姿、トレーネに見られたくなかった。
だから、GHSをポケットに突っ込んだ瞬間、携帯ストラップからお気に入りのマスコットが外れて、地面に転げ落ちた事にも気付かなかった。



レイアに突然合鍵を押し付けられてしまったトレーネは、現状を理解するのに少々時間を要した様子で立ち尽くしたままだった。
体が動き出したのはレイアが完全にエレベーターの中に消えてしまって、ままあってから。
視線を地面へと向け、レイアが落としていったストラップの飾りであるマスコットを拾い上げた。
小さく息を呑む。
それは、緑色をした小さな『カエルくん』。

「これ……、カエル、くん」

掌の上に並んだ合鍵と『カエルくん』。

「彼女……泣いてた……?」

まだほんのりと残っているレイアの体温がトレーネの掌に伝わった。



モドル


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