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駅での出来事から数日後、レイアはアルヴィンに

「わたしの荷物、自分の家に持って帰るね」

と告げた。
境界線を引くというのはそういう事だった。
これから先、今までと同じような付き合い方をしてまた、アルヴィンが申し訳ない気持ちになるのが嫌だったから。そんな顔をレイアのせいでアルヴィンがする事になるなんて辛いから。
アルヴィンの迷惑にはなりたくない。そう思ったから。
でも、
本当はそれが建前である事も心の奥底では理解っている。
本当は引き止めて欲しいって、荷物を纏めている間中、何度も何度も、心の中にいるレイアは叫んでいたから。
『そんな事しなくていい。傍に居ろよ』
そう言って欲しいって。
だけど、レイアとアルヴィンは『恋人同士』ではないから。
アルヴィンがそんな事言ってくれるわけなくて、ただ「そっか、わかったよ」それだけ言って、レイアが荷物を纏めてしまうのをじっと黙って見守っていた。

だからなんだと思う。
全ての荷物を纏め終え、アルヴィン宅の玄関を潜って外に出た時。

「ご、ごめんっ!わたし、合鍵家に忘れてきたみたい」

レイアは咄嗟に『嘘』をついた。
まさぐったポケットの中にある硬質な感触をレイアの指は捉えていたのに。
本当は何時だって、それをお守り代わりにして持ち歩いていたのに。心の安息を得るためのお守りとして。
でも、

「ほ、本当にごめんね!今度会うとき必ず持ってくるから!」

レイアの口は頭で考えるよりも早く、その『嘘』を生み出していた。

どうしてそんな嘘をついたいのだろう?
その理由も、レイアはぼんやりとだが理解っていた。
寂しかったから。怖くなったから。
荷物を纏めてアルヴィンの家を出た瞬間、このままここで彼との縁が永遠に切れてしまうような気がして不安でしょうがなくなってしまったから。
だから咄嗟に鍵を「返したくない」と思ってしまった。
この鍵を失ったら、アルヴィンとの全ては終わる、そんな気がした。



「でも、だからって……」

意識を現在(いま)に引き戻しながら、レイアは未練がましく呻いた。

「あんな嘘ついちゃう?本当、馬鹿だよわたし」

けれど、どんなに呻いたところで言ってしまった言葉はもう取り消せない。

相変わらずデスクの上で鈍く光る合鍵。
『今度会うとき必ず持ってくる』。そう言ってしまったせいで、レイアはこの二週間アルヴィンと一切顔を合わせていなかった。
アルヴィンに会うという事はイコール鍵を返すという事だから。

「だけど、ずっとこのままってわけにも行かないよね……」

鍵を返さなければ済む、そういう問題ではない。
今のままの状態でずっといたってレイアの中では何一つ解決も昇華もされない。
どちらにしろ、いずれアルヴィンに会わなければいけない日が来るだろう。全ての覚悟を決めて。
現状はそれを先延ばしにしているに過ぎないのだから。

「何で……何で、今更、気付いちゃったのかな」

好きだって。
遅すぎるよ。
ふいに口から零れ落ちそうになった言葉をごくりと飲み込んだ。音にしてしまったら、余計惨めになるのは分かり切っていたから。

「はぁぁ……」

ひとつめの時よりも更に深い溜息を吐きながら、情けなくデスクに崩れ落ちた。
困った事に、ちっとも意欲が湧かない。
へにゃりとデスクに顔を引っ付けたまま、視線で追ったカレンダー。数日先の日付に付けられた丸印。原稿の締め切り。

「こんなんじゃ仕事出来ないよ。どうしよう……」

また編集長に怒られちゃうよ。
哀れっぽく泣き言を漏らしたすぐ後、パンッと軽い衝撃がレイアの頭を襲った。
頭上から声がする。

「『どうしよう〜』じゃないわよ。レイア、仕事中にダレないの!」

「先輩〜」

見上げた先には、レイアより幾分年上の女性社員。日頃からよくレイアを妹のように可愛がってくれる先輩だった。

「もう、何て情けない声出してんのよ。あんたの取り柄は元気がいい事でしょうに」

「うー、わたしの元気は今有給休暇を取ってるんです」

「全く、何言ってるんだか。どうせ原稿のネタが無いとかそんなんで呻ってるんでしょ?」

「そうだったら良かったのになぁ……」

「あら、違うんだ?じゃぁ、限定の駅弁を食べ損ねたとか?」

「その程度の事でこんな風にはなりませんー。それじゃまるでわたしが、何時も食べ物の事ばっかり考えてるみたいじゃないですか」

「実際食べ物の事ばっかり考えてるでしょ、あんたは。ま、何で悩んでるのか知らないけど、仕事に私情を挟むのは良くないわよ。それはそれ、これはこれ、できっちりしなきゃ出世出来ないわよ」

「出世かぁ……あぁ、わたし一流の女編集長目指そうかなぁ」

「はい、そんな未来の『一流女編集長さん』に取材の仕事をプレゼントしてあげるから、これでスキルアップしてきなさい」

「わぁ、何ですかそのこじ付け」

ジト目で先輩を一瞥してから、差し出された書類を手に取った。
先輩との軽いやり取りで深く沈んでいた気分が、ほんの少しだけ浮上する。
先輩の、余計な事は聞かないがさり気無くレイアの気持ちを浮上させてくれる気遣いに感謝しつつ、書面に目を落とした。
が、次の瞬間、レイアは思わず大きな声を上げてしまった。

「ちょ、先輩これって!」

「そう、例のあれについて」

「ちょっと待って下さいよ!これ、わたし一人で調査取材に行けって言うんですか!?」

書面に書かれている内容はとある企業の下請け工場が引き起こした環境汚染についての調査取材だった。
大手企業であるA社の製品を一手に引き受けているこの工場が排出した廃棄物が周辺の土地の環境汚染を引き起こしている可能性が高いのではないかという報告があったのだ。
実際、その周辺の土地は(元々緑は少なめのエレンピオスではあるが、それを考慮しても)やせ細っているのだという。一部では砂漠化している場所もあるそうだ。
そして、工場から排出された汚水が湖に流れた結果、周辺地域の魔物が異様な進化をしているらしい。
報告書の中にはまるでキメラのような生物も見つかったとあった。
その上凶暴化し、大怪我を負った人もそれなりの数に上るそうだ。
当然、周辺住民から苦情が出ているものの、相手は大手企業、因果関係を一切認めようとはしなかった。
それで今回、新聞社側で独自に調査して証拠を掴もうではないかという話になったのだ。

「流石にこれ、わたし一人じゃ……」

社内で、レイアが戦えるというのは知れ渡っている。
そのため、この手の調査は必然的にレイアに回ってくるのだが、今回は分が悪い。
ひとりでキメラもどきを相手にするなんて……。

「だって、こういう調査が出来るの、ここの部署じゃレイアしかいないんだもの。それに、ほら、貴方、何時もこういう時一緒に手伝ってくれるお兄さんが居るじゃない。背が高くて素敵な」

その人に応援頼んで上手くやってよ、ね?じゃ、頼んだわよ、レイア。

「あ、待っ、……」

レイアの言葉を最後まで聞かず、先輩はさっさと離れていった。

「…………」

レイアは書類を片手に呆然とするしか無かった。
暫しの後、三度目の深い深い、溜息。

「はぁぁっ……どうしよう、これ……」

先輩が口にした『何時も仕事を手伝ってくれる素敵なお兄さん』――アルヴィンの事。
以前からアルヴィンはレイアのこういった危険な調査や取材に、時間を空けては同行してくれていた。
レイアはその好意に感謝し、有難く甘えさせて貰っていたけれど……。
でも、今は……。

ちらりと、デスクの上の合鍵に目をやった。

「どうしよう」

アルヴィンに会うという事は『これ』を返すという事。これを返してしまったら……。
レイアの頭の中で色々な感情がマーブル模様を描いて、自分でもどうしたらいいのか、どうしたいのか、分からなくなりそうだった。



モドル


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