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「はぁ……」

手の中で銀色の鈍い輝きを見せるそれ――アルヴィンの家の合鍵――をころころと所在無げに動かしながらレイアは溜息をついた。

「何で嘘、ついちゃったんだろう……」

職場のデスクに一旦鍵を置いて指で軽く弾いた。
思い出す。二週間前の出来事。


レイアはアルヴィンがお見合いをした後も今までと同じようにアルヴィンに接していた。
何時もと同じように食事にも行ったし、家にも泊めて貰った。
アルヴィンもそれを当たり前に受け止めてくれていた。
だから、
「ああ、何だ〜。別に何も変わらないじゃない。アルヴィンがお見合いしたって、結婚したって、わたしはアルヴィンと『友達』でいられるじゃない」
勿論、結婚するって事になれば、気軽に泊まったりっていうのは無理だろうけど。
「でもそうだよね。わたしもアルヴィンも別にやましい関係じゃないんだから、堂々としてればいいんだよ。なーんだ寂しく感じて損しちゃった」
と、お見合い話を聞いた時に生まれた、胸を刺す針が抜けていくような感覚がしてレイアは心底安心した。
『何があったって自分とアルヴィンはずっと友達で居られる』という意識がレイアの寂しさを拭い去っていった。
拭い去れたはずだった。

けれど……、

偶然鉢合わせした光景で、レイアは拭い去れたはずの寂しさに、再び押し潰されそうになってしまう。
一度安堵した分、前よりもその寂しさは強く感じられた。


それは取材帰りの駅での出来事。
トリグラフ中央駅の改札口を抜けたレイアは、駅入り口付近にひとり立つ、アルヴィンの姿を見かけた。
普段のラフっぽさがなく、どこかきっかりとした印象の装いだったが、レイアは偶然アルヴィンを見かけた事への嬉しさに意識を持っていかれそこまで気が回らなかった。

「アルヴィンー!」

何時もと同じように気軽に、元気のよい感じで言い慣れた名を口にする。
自分の名を呼ぶ声にアルヴィンが反応し、こちらに意識を向けるか向けないかというタイミングでもう一度「アルヴィン」の名が響いた。
レイアのではない声で。

「アルヴィンさん、ありました!忘れ物」

白色のワンピースに桜色のショールを羽織った、背中に掛かるさらさらとした亜麻色の髪を持った上品な女性。
レイアの初めて見るその女性がアルヴィンの名を呼び、彼のすぐ傍まで駆け寄っていった。
レイアの隣を通り過ぎて。

「親切な方が改札口の前に落ちているのを拾って受付に届けて下さったみたいで」

「あ……あぁ……」

反射的にレイアに向かって上げようとしていたアルヴィンの手は中途半端な高さで止まって、しっかりと上がる事のないまま下ろされてしまう。

「?どうかされましたか?」

アルヴィンのぎこちない様子に女性は小首を傾げ、ゆっくりとアルヴィンの視線を追った。
必然的にレイアと目が合う。
綺麗な人。こちらに向く鳶色の瞳の女性にレイアはそんな感想を抱いた。
そして理解する。彼女がアルヴィンのお見合い相手。近い将来、アルヴィンの奥さんになるかもしれない人。

暫しの間、三者ともどうしていいのか分からない感じで、一歩も動けなかった。
その空気を割ったのは女性――トレーネ――だった。

「あの方、アルヴィンさんのお知り合い?」

「あ、ああ……まぁ……」

「何か御用がおありなんじゃ?」

「いや、たまたま偶然、居合わせたから挨拶しようとしただけだよ。そっちの用事は済んだのか?」

「はい、ちゃんと落し物係に届いてました。ご迷惑をお掛けしました」

「無事にあったなら良かったよ。じゃ、予定通り飯食いに行こうか」

「はいっ」

トレーネにレイアの事について訊ねられた瞬間、アルヴィンは何処か気まずそうな、バツが悪そうな顔をして歯切れの悪い返事をしたものの、すぐに顔の奥にそれを引っ込め、レイアの方を向いたままだった視線を隣へと移した。
優しい微笑と声音と共に。
レイアの知らないアルヴィンの顔で。
ぽん、とトレーネの肩を促すように叩いて、駅を離れていく。
それから数歩、その場を離れた後、アルヴィンは一度振り返ってレイアに小さく手を上げた。
表情と唇の動きでレイアに向かって「悪ぃ」と言ったのが分かった。
レイアも小さく手を振り、ふるふると首を振って二人が駅から消えるのを見送った。

二人の姿が完全に見えなくなってから、ぽつんと小さく呟いた。

「別に悪いなんて思わなくていいのに。だって、わたしとアルヴィンはただの友達だもん。恋人を優先するのは当たり前だよ」

小さいはずの呟きが、駅の構内に響き渡るような錯覚がして、レイアはその言葉は本当にそう思って言ったというよりも、自分に言い聞かせようとしてるんじゃないかと感じた。
だって、抜けたはずの針がまたチクチクと心臓に痛みを与えていたから。
前よりももっと強く。

レイアの知らない表情(かお)で彼女の知らない女性を見つめるアルヴィン。
今までならこんな風に偶然街で出会った時、「お、取材帰りか?お疲れさん」なんて言って、笑ってポンって肩を叩いて、それから時間が合うなら今度一緒に食事でもするかって話になって……。
だけど、もう、そういうのも全部、出来ないんだと。
今のアルヴィンの態度で理解ってしまった。
その事にレイアは、どうしてだろう、泣きたくなるような気分になった。

「ただの『友達』なのに、変なの……」

――でも本当は気付いてる。
この気持ち、わたしは知ってる。この気持ちの名前も本当は知ってる。
だけど、だけど……それを認めたくなんてない。
だって、今認めちゃったら……。

アルヴィンには恋人がいるんだよ――。
わたしはアルヴィンの……『友達』なんだから――。

胸の中で泣き出しそうな顔をしている自分にそう言い聞かせて。それなのに、その泣き出しそうなレイア自身は見ないふりをして。
アルヴィン達が消えた扉に向かってレイアも歩き始めた。

「だから……友達の『境界線(ライン)』を引かなきゃ」

呟いた言葉が、また針みたいに自分自身の胸をちくりと突き刺した。



モドル


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