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本当は何時だって心の中心にいた。
本当は認めるしかない状況だった。
無意識に髪や瞳の色を思い描き、笑う顔が瞬時に浮かんできて、「あぁ、こんな時あの人ならこうするんだろうな」とか「こんな風にしたら喜ぶんだろうな」とか、「笑っていて欲しい」とか思うのは、もう『友情』では済まされない位置にその人がいる他ならぬ証拠だったのに。
だけど、ふたりはそれに気付く前に近すぎる距離に立ってしまったから、それが今見ているものなのか、自分の思い描いたものなのかの判別が出来なくなっていた。
その上慌てて引いた境界線は酷く歪んでいて、『それ』が『友情』なのか『愛情』なのかも分からなくなっていた。

だからふたりは歪なラインの上で、左右どちらが本当の自分の居場所なのか、左右どちらが『友情』で『愛情』なのか、分からないまま迷子になってしまっている。
そうとは気付かないままに……。


それはアルヴィンの家へと向かう途中のこと。
そのまま一直線に家へと向かうのも味気ないので、ぶらぶらとウインドウショッピング気分を味わいながら、アルヴィンが仕事の話や従兄弟の事、自分の身の回りに起こったそれなりに笑える話などを聞かせ、トレーネも父や自分の事を話し、幾度となく笑みを交し合っていた時だった。
何の気なしに視線を屋台やワゴンが連なる場所へと向けたアルヴィンの目に映った緑色の物体。
自然に足が止まった。

「お、カエルくんの新作出てんじゃん。なぁ、」

くるりと隣にいた人に向き直り、その名を呼ぼうとして、瞳に飛び込んできた意識にあった色とは違う髪と瞳の色――オレンジブラウンと翠ではなく、亜麻色と鳶色――にアルヴィンの心臓は悲鳴を上げた。
しゃっくりのようにして口を飛び出そうとした名前を飲み込んだ。
『レイア』が喉元を過ぎていく感覚で、何とか言葉を生み出さずに済んだ事が理解できた。

「?何ですか?」

無意識にやってしまった自分の行動を不審に思われはしないだろうかとアルヴィンは冷や汗が出る気持ちでトレーネを見下ろしたが、彼女は不審げな視線をアルヴィンに投げかけるでもなく、きょとんとした表情で彼の手の中にある緑色をしたぬいぐるみ――カエルくん――を覗き込んできた。
そうして、目をパチパチとさせながらそれを見つめた後、今度はアルヴィンの顔と交互に数回見比べてからくすりと小さな笑みをこぼした。
可愛らしい笑みを。

「ふふ、アルヴィンさんって意外にこういう可愛いものお好きですよね」

「え?」

「デートの時も時々凄く優しい顔してキャラグッズや可愛い雑貨を見ていらっしゃること、あるでしょ。最初びっくりしましたけど。何だかアルヴィンさんのイメージと全然違う気がして。アルヴィンさんってお洒落で高級なもの好まれそうな雰囲気あったから……。でも最近は、そういうところも可愛いなって思えてきちゃって……って、あ、私ったら何だか偉そうですね。ごめんなさい……ご気分、悪くされましたか?」

「あ、いや……そんなこと、ないさ」

微かに頬を染めてから、すぐに申し訳なさと恥ずかしさを綯い交ぜにした表情をし、俯いたトレーネの亜麻色の髪を見ながらアルヴィンは歯切れ悪く返事をした。
手の中の緑色をした糸目のそいつをワゴンの中に押し戻した。
心臓が妙に早くなっていた。ドクドクという音がアルヴィンの耳に響く。トレーネの言葉と共に。

トレーネに指摘されるまでアルヴィン自身全く気付いていなかった。
キャラグッズや可愛い雑貨――それはレイアが好むものだ――に意識を奪われている自分がいた事に。
けれど、たった今、アルヴィンは確かに『カエルくん』を手にとってしまったのだ。
嬉しそうに細められる翠の瞳を想像しながら。

ワゴンいっぱいに折り重なったカエルくんが作る緑の小山から数歩離れると、アルヴィンは断りもなくトレーネの色白の手を握った。
驚いてこちらを見上げた鳶色の瞳に、ややせかす様な響きで告げた。

「そろそろウインドウショッピングは切り上げて俺ん家に行かないか?」

「え、ええ」

彼女の返事とほぼ同時にアルヴィンは大股気味な足取りでワゴンの傍を離れた。
何故だろう。一刻も早く、そこから逃げなければいけないような気がした。

背中にカエルくんの視線が突き刺さっていると思えるのは、気のせい、なんだろうか?




「ここにも居るんですね、『カエルくん』」

アルヴィンがコーヒーを淹れている間、テーブルに座って待っていたトレーネがふいに立ち上がって、チェストの前へ移動し、微笑みながらそう言った。
彼女の視線の先にはレイアに置き去りにされてしまった『カエルくん』。

「アルヴィンさんはこのキャラクターお好きなんですか?」

カエルくんを見つめたまま訊ねるトレーネにアルヴィンは、

「あ、いや、……まぁ」

と、どちらとも取れる答えを返した。
それは自分のものじゃなくて、友人が忘れていったもの。そう言えば済む事なのに、口にする気になれなかった。
別にやましい事など何もないと言うのに。
レイアは大事な『友人』で、自分は間違いなく目の前の彼女に好意を抱きつつあるのに。
それなのに、何処か、何かに、『嘘』をついているような気分になるのは何故なのだろう。
考え続けても上手く納得出来る答えなど見つかる気がしなくて、軽く頭を振って、その思考を追い払った。

「コーヒー淹れたよ。こっち来て、デザート喰おうぜ」

そして、トレーネを呼び、彼女の意識の中からもカエルくんを追い払った。
だというのに……、

「うん、美味しい!やっぱり私ここのシュークリーム大好き。アルヴィンさんはどうですか?お気に召しますか?」

普段はお嬢様然とした(実際お嬢様なのだけれど)トレーネのちょっとだけ子供っぽさを感じさせる食べ方と「美味しい」と破顔した姿を素直に可愛いと感じながら、自分も同じようにシュークリームを口にしたアルヴィンが、舌先でクリームの上品な甘さとなめらかさを拾った瞬間に感じたのは、

『へぇ、こいつがレイアが食いたがってた店の味か』

だった。
完全に無意識。
半瞬遅れて、自分の中に浮かんだ感想を理解して思わずびくりと肩が跳ねた。
動きが止まる。

「……アルヴィンさん?」

突然動きの止まったアルヴィンをトレーネの不安げな鳶色が窺がっている事に気付いて、口の中に停滞していたシュークリームのかけらをごくりと急いで飲み込んだ。

「もしかして……シュークリーム、あまりお好きじゃないですか?」

「そんな事ない、美味いよこれ。こんなに美味いシュークリーム初めて食ったからびっくりして固まっちまった」

「あぁ、なんだ……よかった。私てっきり、アルヴィンさん、シュークリーム苦手なのに私が持ってきてしまったから無理して食べられたんじゃないかって」

「まさか。そんな心配無用だよ」

「そうですか、安心しました。あ!アルヴィンさんはデザート何がお好きなんですか?今度はアルヴィンさんのお好きなデザート買ってきます」

アルヴィンは過去何度もそうして来たように、心の動揺を軽い言葉と態度で隠した。
本当は何も動揺する事も隠す必要も無かったはずなのに。ただ、普通に「へぇ、美味いな。これ、俺の友達で食いたがってる奴がいたんだよな」そう言えば良かっただけなのに。
言わない事を選んでしまったアルヴィンの胸の内のもやもやは一層強まってしまった。
だから……、

「トレーネ」

声を低く落とし、艶めいた雰囲気を纏わせながら微笑んでいた彼女の名を呼んだ。
きっと、これから先、胸の内のもやもやが消えるまでに何度も何度も、こうやって彼女の名を呼び続けるのだろうと思いながら。
亜麻色のさらさらとした髪の中へ手の忍ばせて。

「俺の好きなデザートはピーチパイな。……手作りの」

「……アルヴィン、さん?」

急に雰囲気の変わったアルヴィンの色香に翻弄されるように頬を染めるトレーネの頬と唇を指先でなぞって。
戸惑う彼女の耳元に唇を寄せ、声を落としたまま囁いた。

「もうアルヴィン『さん』は無し。アルヴィンって呼べよ」

そうして彼女の返事も待たずに柔らかな唇を塞いだ。
意識して甘く、……甘く。

窓辺から差し込むほんのりと夕焼け色を帯びた光が、フローリングの上で二つだった影がゆっくりと一つになる様子を映し出した。
その様を、チェストの上から『カエルくん』がじっと見つめていた。



モドル


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