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「ねぇねぇ、アルヴィン」

風呂上りの湿った髪をタオルで拭きながら、レイアはテーブルの一面に広がった書面(恐らく仕事用の書類なのだろう)を片付けていたアルヴィンに声を掛けた。
今現在の場所はアルヴィンのマンション。
以前からの約束で今日は二人共に、仕事が早めに終わるので夕飯を一緒に食べに行くことになっていた。
その席で明日の仕事は早朝に出勤なのだとレイアが愚痴っぽく告げると、アルヴィンはするりと「じゃ、俺ん家に泊まればいいんじゃね」と言ってくれたのだ。
レイア自身、こういった事は初めてではないし(実際、アルヴィンのマンションの合鍵を貰っているのだし)、アルヴィンも気楽に応じてくれるのでお言葉に甘える事にした。
ただ、それを口にした瞬間、アルヴィンが何かに気付いたような、「しまった」とでも言いたげな顔をしたのがちょっぴり引っ掛かったが、それも一瞬の事だったのでレイアは気のせいだろうと、片付けた。

「ん、どうした?」

紙束をトントンと揃えながら、レイアを振り返ったアルヴィンはやはり何時もの軽い調子。

(やっぱり、気のせいだよね)

「うん、あのね。今度の休日、時間空いてる?ほら、わたし給料日でしょ?何時もお世話になってるし何かご飯奢らせて貰っちゃおうかなって思って」

「おいおい、給料前何時も干上がってる癖にそんな事して大丈夫なのか?」

くつくつと喉の奥で笑いながら、こちらをからかうアルヴィンの態度にレイアは頬をむくれさせ「大丈夫だってば!」と子供っぽく反論してみせる。
けれど、こんな子供みたいなやり取りがレイアは楽しかった。胸の中にあった、小さな引っ掛かりが取れたような気がして元気が出てくる。やっぱり、あの顔はただの気のせいなんだと。
安心し、弾んだ心のまま、アルヴィンの隣に座り込んだ。

「もう見習いじゃないんだから、お給料だってちゃんと増えてますー!アルヴィンにご飯一回奢るくらい、なんて事ないんだから!」

「そいつは頼もしいね。じゃ、俺の給料前はレイアに面倒見てもらっかな」

「そ、そこまでは無理っ」

「はは、冗談だよ。流石にまだまだ、俺の方が稼ぎいいからな。けど、ま、その内追い抜かして下さいよ、未来の編集長殿?」

「あー、何か馬鹿にされた気分。でも、ま、いっか。よし、本気でアルヴィン追い抜くように頑張るぞ!」

「期待してるよ」

くしゃりと大きな掌で頭を撫でられた。その心地よさに目を細める。

「まだ濡れてるじゃねぇか。乾かしてこいよ」

「うん。あ、ね、だから、今度の休み空いてる?」

うっかり最初の目的を失しかけたのを慌てて軌道修正する。
アルヴィンは「えーと、今度の休みって何時だっけ?」とカレンダーに視線を走らせた後、ぴくりと小さく肩を揺らして、動きを止めた。

「?」

急にさっきまでの穏やかで心地よい空気が消えていったような気がした。

「アルヴィン……?」

また、胸の中に気のせいだと片付けたはずの不安が込み上げてきて、レイアは思わずアルヴィンの名を確かめるように口にした。
アルヴィンは直ぐには反応せず、5秒程度の間を置いてから、

「あー、その……悪ぃ、レイア。今度の休みは無理だわ」

と気まずそうに振り返った。
その顔は夕飯時に見た、あの顔と同じだった。

「あ、し、仕事が立て込んでるのかな?だ、だったら仕方ないね!」

何故か妙にしどろもどろになって、声が震えてしまうのを感じながら、それでも精一杯明るく軽い雰囲気で話を流そうとした。
どうしてなのか分からない不安が、レイアを襲った。
早くアルヴィンに「そう、仕事で忙しくってさ」と普段通りの雰囲気で笑って欲しいと思った。
けれど……、
アルヴィンはぎこちない表情を崩す事なく、レイアの予想もしなかった事を口にした。

「あ、いや……見合い、するんだわ、俺」

「え?」

一瞬、何も言葉が浮かんで来なかった。それから、ままあって、一気に色んな感情がレイアを押しつぶした。今度はその感情の種類が多すぎて、自分でもわけが分からなくなって言葉が出なかった。
やっと搾り出した言葉はオウム返しのものでしかなかった。

「お見合い……?アルヴィン、が?」

「そう。今度、俺達の商会に出資してくれるって話の出てるところのお嬢さんでさ、向こうもまだ結婚してないし、俺も独身だから見合いしてみないかって先方とバランが勝手に話付けちまって……、ほら、一応これから仕事で世話になる相手だから無碍に断るわけにもいかなくってさ。取りあえず会ってみないかって事になったんだよ」

どことなく言い訳っぽい口調のアルヴィンの言葉を聞きながら、レイアはまるで心臓に針が刺さったような感覚に陥っている自分を不思議に思った。

(どうして、こんな気持ちになるんだろう……アルヴィンがお見合いするのが、わたしは嫌なの?……どうして?)

「そっか、なら仕方ないね。じゃあ、この話はまた今度」

そう軽く言って立ち上がったが、ふいに、もしかしたらもう今度なんて来ないのかもしれないと思った。
また、心臓にちくりと針が刺さるような感覚。
痛む心臓を押さえるように胸をさすった後、

「アルヴィンがお見合いか!何か変な感じするな。あ、そうだ。じゃぁ、お見合いの結果教えてよ!上手くいくといいね!」

と、元気で好奇心旺盛な雰囲気を作って言ってみたものの、アルヴィンが「あ、あぁ……」と歯切れの悪い返事を返したせいで、場の空気は微妙なものになってしまった。
完全な空回り。しかも、レイアはアルヴィンの顔をまともに見る事が出来なくて。
タオルで顔を隠しながら、洗面所に向かって歩き出す。
一秒でも早くこの場から逃げたい気がした。

「わたし、明日早いから髪乾かしたらもう寝るね。お休みなさい」

アルヴィンの返事も待たずに部屋を後にした。


「そう、だよね……。アルヴィン、もう30歳だもんね。結婚の事も考えるよね……当たり前だよね」

髪を乾かすドライヤーの音に紛れさせる独り言。
鏡に映る自分の顔はしょんぼりとしている風にも見えて、レイア自身が不思議で仕方なかった。
レイアとアルヴィンは『友達』だ。
少しばかり距離が近すぎるとは常々思っているけれど、でも、友達なのだ。
レイアは一度だってアルヴィンに「好きだ」とか「付き合って欲しい」とか「愛してる」なんて言われた事はない。
スキンシップは普通にするけれど、キスや恋人同士がするような行為は一切した事がない。
当然だ。だって二人は『友達』なのだから。
だけど、レイアは心の何処かで、安心していたような気がする。アルヴィンとのこの関係はずっと続いていくんじゃないかと。
でも……。

「アルヴィンが結婚したら、こんな風に泊まったり、甘えたりは、出来ないよね……」

ひとり見知らぬエレンピオスの地に飛び込んで来た時から、レイアには何時も傍で支えてくれるアルヴィンがいた。だからつい、この関係が永遠に続くと錯覚してしまっていたんだろう。

「アルヴィンがお見合い。……結婚、か……」

頭の中で想像を巡らしても、それらは一向に現実味を帯びてくれない。
それなのに、髪を乾かして、ベッドの中に入る頃になってもレイアの胸をチクチクと突き刺す針は抜けなくて、より深く心臓の奥に入っていくような気がしてならなかった。


その針はレイアの心臓に突き刺さったまま、週末を向かえ、休日を向かえ、そして……、

『すぐに結婚ってわけじゃないけど、とりあえず結婚を前提に付き合う事になったよ』

GHS越しのアルヴィンの言葉と共に、心の真ん中に小さく深い穴を穿った。

「そ、そっか。良かったね!アルヴィンおめでとう!」

そう返した言葉の響きの明るさとは裏腹にレイアは自分がちっとも笑っていない事に気付いていた。
GHS越しの会話で良かったと思った。
もしも顔を直接見られていたなら、きっとアルヴィンに不審がられるに違いないから。

(わたし、どうしちゃったんだろう……なんでこんなに……?)

まるで恋に破れた時のような気持ちを抱える自分にレイアは戸惑っていた。
アルヴィンと今の関係になってから3年、そんな感情、一度だって抱いた事なかったはずなのに。

「どうして……?」

自分の内側に向かって訊ねた問いに答えてくれる者はなく、ただ、チクチクとした痛みだけが強くレイアを刺激し続けていた。



モドル


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