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「…厄介な事件だな」


思考の渦を泳いでるさなかナルの抑揚のない声が、ベースに奏でられた。


「訴えられた証言のうちいくつが事実だと思う?」


疑問形でありながら答えは求めてないのか、全員に問いかけたらしいナルの視線は険しい。

滝川さんと綾子さんも大人しく彼を見つめていて。全員の意識が所長にあった。


「たとえ一部だとしてもこの数はやはり尋常じゃない。こうまで学校関係者に連続して現象がおこるのには何か理由があるはずだが…その理由も見当がつかない」


――それは私も思った。

思春期真っ只中の少年少女達が集まっているのだから、一人が怯えるともしかしたら自分も霊が視えたかもしれないと恐怖が伝染しても何ら可笑しくはない。

先生達…疑心暗鬼になっているのかもしれないわね。

防衛本能として眼についた笠井さんを標的に、皆の前で吊し上げた。と、考えると自然な流れにも見える。矛盾はない。解せないのは、霊の姿が視えない。そう問題はそこよ、結局そこに辿り着く。


『(陸上部の部室と例の教室は…私も確かにきな臭いと思う)』

「原さんの霊視だけが頼みの綱なんですが――…」

「霊はいませんわ」

「そうおっしゃるわけだ」


不意にナルと瑞希の視線が絡んだ。


「真砂子が正しいとは限らないんじゃない?」

「松崎さんよりは正しいつもりですわ」

「どーおっだか!どう考えたっていないわけないでしょ」

「あら?松崎さんの仰ることが当たっていた事ありますかしら?」

「なによ!見えたって祓えないくせに!!」


真砂子と綾子さんの激しい口論を尻目に、瑞希の栗色の瞳が細くなった。

ナルの視線は逸らされない。何を言いたいのか、訊かずとも判ってしまうわけで。

調査は聞きこみの段階、故にベースにはまだ機材を搬入しておらず手持ち無沙汰のリンさんの姿がナルの後に見える。彼はこれだけの喧噪の中、ずっと無言だ。


「――瑞希」


別の作業をして誤魔化そうにも、ベースは必要最低限の机と椅子しかなくて。視線の逃げ先さえなかった。


『(来たー!)』


部屋の隅に置いたブルーの紙袋が視界の端に引っ掛かった。

隣りには、化粧ポーチやハンカチなどを入れた自分の鞄も今朝と変わりなくそこにある。誰かが触れた気配はない。

あまり使われてない会議室は、何処か寂しく人の気配がなかった。ガラーンとした室内に、ナルの声によって静寂が包み込んで――より肌寒く感じる。……エアコンつけていいかしら。


「瑞希はどうだ」

『だからね、』

「助手としての姿勢を崩さない瑞希の意思は尊重したいとは思ってはいるが…、霊がいるのかどうかだけ教えてくれないか」

『………』


言葉を遮られて、綾子さん達の視線とぶつかって、みんな私の見解を待っている様子に黙り込む。

真砂子がダメだったら私か!なんて、普段の私だったら嫌味の一つでも零していた。それをしなかったのは、ナルの黒曜石のような瞳に、疲労が窺えたから。

彼のような人でも、この異常さに疲れているのだと知り、口を閉じるほかなかったのだ。


「前回の調査で瑞希が一番早く真実に近かった。立花ゆきやその母親の存在を知りながら言い渋っていただろう」

『それは私が素人だからで、』

「違う。僕が言いたいのは瑞希の力を信じているって事だ」


ナルが、霊視の能力を疑ってないのは知っていた。

でもこうやってみんなの前で改まって言われると、何て返していいのか困惑してしまう。

排除する人間ばかりに囲まれていたから、蔑まれる前に自分から見捨てて来た。拒絶には拒絶を、嘲笑には嘲笑を。なら信頼は?純粋な信頼なんて知らない。

友達の優花や、後輩の麻衣にも隠して生きて来たのよ。途中で麻衣には知られたけれど。

私の事を知りたいと言ってくれたリンさんに対しても、手さぐりなのに……どうしろと言うの。

ナルの言葉に戸惑うのは、ナルがお世辞にも嘘を言えない性格だと知っているから、だから向けられるナルの眼を真っ直ぐ見返せない。


『………霊はいないわ』


ピンッと張りつめた空気が、たっぷり間を開けて放った真砂子と同じ否定の言葉に、ざわついた。


「瑞希まで!いねーなんて、そんなはずないって!」

「そうよ、いない方が可笑しいわ!」

「瑞希まで、俺達がこの学校の奴等に騙されてるって言いてーのか?」

「ですから霊はいませんわ」


綾子とぼーさんに、真砂子は冷やかな眼差しを送る。


「でも…瑞希先輩。学校全体が可笑しいのに幽霊がいないなんてことあるんですか?」

「何度言ったら解るんですの?この学校には霊はいません」


後輩からの質問に答えようとしたら真砂子が代わりに答えてくれた。

麻衣と真砂子を横目に、ナルに意識を戻すと、何か不満げな眼差しとかち合う。


『…納得してないって顔ね』

「原さんの体調が優れないから視えないのかと思っていたが…」

『その線は消えたわね。本当にいないもの』


納得がいかないといった表情を浮かべる所長に苦笑が零れる。

不意にナル越しに見えるリンさんと視線が絡みそうになり慌てて逸らした。

何でだろう、本当にここ最近まともに彼と話せてない気がする。それこもこれも様子のおかしいリンさんのせいだ。

柔らかい雰囲気は、心臓に悪い。後、たまに見せてくれる微笑みも心臓に悪い。これなら、ナルみたいに仏頂面のままでいて欲しかった。


「どういうこと?」


こてんと小首を傾げる麻衣の姿が、視界に飛び込んだ。


「体調によって視えなくなったりするの?真砂子が視えて、瑞希先輩に視えない霊もいるの?」


リンさんの事考えてたから一瞬何を問われているのか判らなかった。


『霊が視えると言ってもね、人によって視え方が違うのよ。靄がかかったように視える人もいれば、はっきりと視える人もいる。私と真砂子は後者ね』


ナルが米神に手を当てるのを目撃して、麻衣が所長からお小言を貰う前にと、誰よりも早く説明し始めた。


『はっきりと視えても、霊と会話出来ない人もいたりね』

「真砂子ちゃんや瑞希の方が珍しいんじゃないか」

『そうかもしれませんね。――波長が合わないと視えない人もいるわ』


前半を会話に加わった滝川さんに頷いて、後半を麻衣に向けてそう答えた。


「ほえ〜奥が深いんですねー」

『で、ナルは私と真砂子の体調が悪いから、視えなくなってるんじゃないかって言ってるのよ』

「なるほど」


深々と頷く麻衣から我らが所長様に視線を戻して、


『でも残念ね。真砂子も私も絶好調よ。そもそも体調が悪いからって視えなくなることはないわ』

「あたくしも」


一旦会話を戻した。

麻衣はこの道に詳しくないがために疑問を感じるわけで。その度にナルの機嫌が悪くなるのは、もはや定番となっている。

さりげなく説明して、ナルが望む流れに変えて。自然に全員の意識がナルに向けられた。


「二人とも、霊との波長が合わないとは考えられないか?」

『現段階ではなんとも。ただ――…』


途中で途切れた声に、ナルの眉がぴくりと反応した。

「ただ?」と彼女の言葉尻を復唱し、先を促す。


『被害を訴えている人に邪気や瘴気を感じるんだけど……』

「ジャキ?ショウキ??」


麻衣の声にナルの瞳が剣呑を帯びたのを確かに見た瑞希は、わかりやすい言葉に変えて続ける。


『霊がいたような跡はあるのよ、なのに吉野先生にしろ生徒達にしろ憑りつかれた気配はない』

「いるかもしれないし、いないかも?って事ですか??」

「どっちなんだよ。二人とも不調なんじゃねーの?」

『どちらにしろ、今の段階では霊はいないですよ』


何を言っても幽霊がいない説を認めたくないといった様子の滝川さんに、首を左右に振った。

判ってくれない周囲に、真砂子は苛立ってるみたい。真砂子は、妖気といった気配は感じ取れない体質なため、頑なに霊はいないと意見を譲らない。

今の段階では真砂子の言う通りだ。

私が引っ掛かってる疑問が解決したら、霊が姿を現すかもしれない。もしかしたら、姿を消しているのかもしれないしね。

言うつもりはなかったけど、いるかもしれない曖昧な現状を言っておいた方がいいかもしれないと思い直して、ナル達に教えた。真砂子がウソつき呼ばわりされるのも嫌だし。


「これから現れるかもしれない」

『そういうこと』


それならここで討論しても何も始まらないとナルは一つ溜息を落とし、瑞希は、理解してくれた所長に満足気に微笑んで。真砂子と視線が交じってどちらともなく笑い合った。

ナルとリンさんがベースに機材を運び、麻衣と一緒に設置して回った。

今回も綾子さん達は先に帰ってしまった為、二人で苦労したのはまた別の話である。





 □■□■□■□



『――リンさん!』


真砂子と私が、霊は視えないと否定したが。

ナルとしてはいろんな角度から物事を考える姿勢を崩したくないらしく…ナルらしい、それで話を訊いていかにもいそうな場所に集音マイクや温度計、カメラを設置した。


――真砂子は、ずっとぷりぷりしてたけど。

私としてはナルの言い分も分かるので、乾いた笑みしか出せなかった。


「?瑞希さんお疲れ様です」

『はい。リンさんも』


ナルの指示のもといないといっているのに除霊を頼まれた真砂子やジョンも仕事を終え帰ってしまって。

渋谷サイキックリサーチの面々は、機材の設置を追えて今日はお開きになった――…。

麻衣も私も電車でここへ来たため、途中まで一緒に帰る予定。

リンさんに用があったのを忘れかけていたよ!と、ナルとリンさんと門で別れる寸前に思い出し、麻衣に待ってもらい、リンさんの背中に駆け寄った。


『あの遅くなってしまいましたが…上着ありがとうございました!』

「上着?…わざわざクリーニングに出してくださったのですか?」

『えぇ。遅くなってすみませんでした』


おずおずと紙袋を差し出した瑞希に、リンは口元を緩めた。

彼女のこういう律儀なところも好ましくて。

一言二言だけでも、彼女と同じ空間にいるという現状に、血液が反応する。


『お礼にスコーンを焼いて入れてあるんです、甘い物大丈夫でしたか?』

「ぇ、」

『あダメでした?それなら持って帰るので……、』

「いえ好きですよ。ありがたく頂きます」


まさかの言葉にリンの脳が理解するのに時間を要した。

瞠目したリンの表情に誤解した瑞希が、紙袋から可愛くラッピングされたものを取り出そうとしたので、慌てて彼女の手を掴んで受け取った。嬉しい誤算だ。緩む頬を止められそうにない。


『それなら良かったです。――それではこれで。また明日』

「!えぇ、また明日」


自分の背中に突き刺さる上司の視線と、彼女越しに見える谷山さんの視線に、瑞希さんは別れを切り出した。

残念に思ってしまったのは一瞬で。次の彼女の言葉に、気分が急上昇。

良い大人なのに、瑞希の一挙手一投足に心が期待して、些細な言葉にも舞い上がってしまう。

当然のように紡がれた“また明日”が、こんなにも嬉しい言葉だったなんて、リンは知らなかった。

能面みたいな顔が標準仕様なリンさんが、瑞希先輩を前に頬を緩めるのをしかと見た麻衣は、リンさんって先輩のことを!?疑惑は強くさせたのだった。もちろん、リンも瑞希も観察されてる事に気付いていない。

感情豊かな麻衣は、意外と感情の機微に敏感だったりするのだ。この場合は女の勘。






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