13-18





「赤ん坊、ニコラに似ていたね」

『うぬ。可愛い男(おのこ)だったな…』


結局、徹夜した。

けれども、一つの命が産まれる瞬間は、感慨深い物だった。己の弟が産まれた時とは違った感慨深さ。

結城が己の前へと産まれ落ちた時は、この子を守らねばと、紅葉のような手を見てそう誓ったのを思い出す。


『(結城…)』

「はぁー家族かあ」

『……大分会っておらぬ』


幸せそうなニコラとヒューブ、そして赤子見て、家族に想いを馳せるユーリの隣を歩きながら、私も弟の姿を頭に浮かべる。

こちらに来る前は夏だった。夏休みを結城と過ごすつもりだったのにな…寂しい想いをさせぬようにと、計画を立てたのにこのざまだ。自然と顔が曇る。

結城も気になるのに、私はこちらでやるべき事を作ってしまった。故にまだ帰る事は出来ぬ。


「帰りたいですか?」

「んーこっちでも何か月経つし、いつ帰れるかも判らないし、お袋の作る味噌汁を飲みたいなーとかたまに思うけど…」


ユーリの半歩後ろを歩いておったコンラッドが、ポツリと寂しそうにそう尋ねたので、私は瞬時に暗い顔を元に戻した。同じく私の半歩後ろを歩いていたオリーヴに悟られぬように。


「サクラ様は…」

『うぬ?私は水族館に置いて来た弟が気になるが、いつか帰れるだろうし……まぁ、焦っても仕方がないしな!』

「うん、そうだねー」


全く沈んでおらぬ太陽の様な笑顔を浮かべるユーリに合わせて、私も気にしておらぬとオリーヴに答えた。

何てことないようにそう言うユーリとサクラに、コンラッドもオリーヴも複雑な表情を浮かべる。


「すみません」

「…サクラ様…申し訳ありません」

「なんで、コンラッドとオリーヴが謝るの?」

『うぬ』


オリーヴが私の名前だけ告げて謝罪を告げておる事に、私もユーリも苦笑した。仮にもユーリは王なんだが。悪まで主であるサクラ優先なオリーヴであった。


「俺たちの都合で、あなた達を家族から引き離してしまったからです」

「そんなのコンラッドのせいじゃないじゃん。えら〜い眞王陛下のご・い・しってやつなんだろ?」

『眞王陛下、か…』


ユーリの吐いた名に、サクラの瞳が一瞬剣呑を帯びたのを、優秀な護衛であるオリーヴも、婚約者であるコンラッドも見逃さなかった。二人はチラリと互いの顔に視線を走らせた。

肝心な事は誰にも言わず抱え込むサクラに、二人は注意を払うしかないのだ。

そんな優秀な二人の視線に気付かずに、私は眞王陛下が己の精神世界へと入り込んで来た時の記憶を掘り出しておった。

眞王陛下とある取引をした故に、私は眞魔国でやらねばならぬ事が出来たのだ。結城の事も気になるが…眞王陛下が申しておった事も気になる。


「おれさあ、いいかなーと思うんだ」


後頭部に両手を回して、ゆったり歩くユーリに、三人の視線が集まる。


「……おれさ、いいかなと思ったんだよ。いつまでもどっちかがビジターじゃいけない。だったら本拠地が二つあったって、札幌ドームと西武ドーム、どっちも故郷にしたっていいじゃないかって。言ってること……判んねーよな多分」

「それなりには」

『どっちも故郷に…?』

「うん、だから……もしかしたら帰れないかもしれないけど」


――地球も眞魔国もどちらも故郷にすると申しておるのか。

どちらの世界しか選ばなければならぬと思っていた私にとって、まさに晴天の霹靂だった。唖然と口を開ける私だったが、耳はユーリの言葉を聞き逃すまいと機能している。

地球に帰れなくて、共に悩んでおったユーリの出した結論。私はまだウダウダ悩んでおったと言うのに、ユーリは凄い。

どちらも捨てれないから、どちらも選ぶのか。


「だっておれは、望まれてこの国に来たんだろ?」

「そうです」

「だったら……二つの世界に居場所がある。こんな幸せな人生はないよ」

『――っ!?』


満面の笑みでそう言い切った渋谷有利の表情は晴れやかで、彼の言葉に私は息が止まるかと思った。

どちらの世界にも居場所を作って、幸せだと申す彼に――…ならば、私もあの切望してやまない世界と眞魔国、それから結城がおる地球を全部選んで善いのだろうか。

忘れたくないと思っておった尺魂界。だけど、ここにも地球にも守りたいモノを作ってしまって……。前へと進めぬ私、だけど彼はどちらも掬い取ると言った。


――ならば私とて、全てを望みたい。善いのだろうか…贅沢ではないのだろうか――…。


「サクラ?」

「どうかしましたか?」

『ならば…』


足を止めた私を振り返って、待ってくれておる彼等に、床へ落としていた視線を向ける。


『ならば私も、捨てようとしておったあの場所を…あの人達を…、居場所を、無理に捨てなくとも――…私は全てを望んで善いのだろうか』

「え、サクラ諦めようとしてたの!?ダメだよ!だってサクラも、どっちも大切なんでしょ?捨てちゃ駄目だよ」


迷子のような幼子のように泣きそうなサクラを見て、コンラッドもオリーヴも目を見張った。

居場所が二つあるおれ達は幸せ者だね、と言葉を続けたユーリに、我慢していた涙がつうっと頬をつたう。


『っ』


ユーリに、第三者に肯定して貰えるだけで、私の心は羽のように軽くなった。

結城を地球に取り残して、眞魔国で己の役割を果たそうと決めた罪悪感に苛まれていた心も――軽くなった。

結城がいる地球も捨てなくとも善いのだ。私はユーリに返答を求める事で、第三者に肯定してもらえる事で、私は許された気になったのだ。

死神として、零を背負う隊長として、掛け替えのない友や仲間と過ごしたあの世界。私はあそこで何百年も気が遠くなるような歳月を過ごした。この記憶は宝物。

もう彼等に会う事もないけれど――…私の居場所は確かにあの場所にあったのだ。私の心の中で、あの場所は生きている。無理に忘れる事はないのだ。忘れてしまうと怯える必要もないのだ。

地球でも眞魔国でも、彼等と違う場所で守るべきものを作ってしまえば、帰れぬ気がして、目を背けて逃げて来たが、全てを選んで善いのだ。切望して善いのだ。全て掬い取ってしまって善かったのだ。

嗚呼、なんということだろう…。こんな簡単な己の気持ちに、いろんな理由をつけて向きあおうとせぬかったなんて。私は実に愚かだ。うだうだ悩むくらいなら、全て選べば善かったのだ。


「サクラっ、泣いて?えっえ」


今まで溜め込んでいたものが、眼から零れ落ちる。



「サクラ」


戸惑うユーリの声と、記憶に残る仲間の声が重なって聞こえた。


『一護…』

「サクラ!全くふぬけなヤツだな!」

『っ、ルキアッ!』

「隊長は変なところで悩みすぎなんです。そんな下らない事考える暇があったら仕事して下さい」

『っかぁおるぅぅ…』



「ど、どうしよう、サクラ…何で泣いて……コンラッドっ!どど、どうしたら」

『う、うぅぅ』

「サクラ……」


私はその日、久方ぶりに赤子のように、人前で泣いた。

おろおろ慌てるユーリとオリーヴや、あのコンラッドまでおろおろしていて。それがまた、なんて温かな居場所なのだろう――と、己はこの居場所すら捨てようとしていたのかと、涙を誘うのである。

私は顔を隠しもせずに、ぼたぼたと涙を床に落とした。止まらぬ。


『っ、ふふっ』

「サクラ様?」


溜まるに溜まった…今までの我慢して来たものが溢れ出て来る。これは嬉し涙なのだ。

捨てなければならぬと、もう望んではならぬのだと、己に言い聞かせながらも、それでも前へと進む事を拒否して来た――…この十五年。やっと私は、私でいて善いのだと許されたのだ。

一護達に会えなくとも、私はあの地へと帰りたいと切望して善いのだ。帰りたいと思いながらも、眞魔国や地球でも居場所を作って善いのだ。

だってそうなのだ。だって、このまま地球や、帰りたかった尺魂界へと帰っても――…結局は、守りたいものを作ってしまった眞魔国の想いは捨てられない。そしてきっとまた眞魔国へと想いを馳せるのだろう。

比べられぬくらいどれも大切なのなら、全ての私の気持ちを掬い取ろう。思うままに進んで善いのだ。


――嗚呼…誠、私はこうも簡単な事に、長い時間をかけておったのか。


《…主》

《主》


大粒の涙を零すサクラの周りに、そっと青龍と朱雀が姿を現した。


『青龍…朱雀ッ』


私は、事情を善く知る己の半身の――慈愛を浮かべる朱雀に抱き着いた。

隠しもせずにあのサクラが、嗚咽を零して泣く姿に、ユーリもオリーヴも、コンラッドでさえ眺めるしか出来なかった。





人一倍己に厳しいサクラ。

重要な問題であればあるほど、独りで抱え込もうとするサクラ。

人一倍、寂しがり屋のくせに、周りにはいつだって涙を見せないあのサクラが、今、自分達の前で涙を流している。

コンラッドは見るしか出来ない、立ち寄る事の出来ないサクラの境界線に、ぎゅうッと強く拳を握りしめた。

オリーヴもまた複雑な心境だった。主であるサクラ様の抱えていた何かを、ユーリ陛下が解き放ったのだと――…ただそれだけを漠然と理解した。常にお傍にと思っていたのに、全く支えられていなかったのだと突きつけられた気分で。だけど、サクラ様のお気持ちが晴れたのなら、それは嬉しい。


『わ、たしはっ、どちらも選んで善いのだと…』

《はい》

『もう、きっとっ薫にも会えぬけどっ』

《ああ》

『それでもっわたしは』

《ああ、主は主だ。だから我等が傍にいるだろう》


――ありがとう。

そうだな。私は私、変わらぬ死神だからこそ、青龍や朱雀達とこうして触れ合えるのだ。

私だけが、尺魂界から弾き出されたような気でいたけど、私は変わっておらぬ。ならば、変わらぬ誇りを胸に――…私の願うままに生きれば善いのだ。

今頃気づいたのかと言い出しそうな青龍の心情が、揺れる空気から伝わって、私は朱雀の胸の中で、ひっそりと笑みを零した。


『ユーリ』

「な、ななに!?」

『ありがとう。貴様のお蔭で、心が救われた』


何処までも、底がないような晴れ渡る太陽の笑顔が善く似合うユーリに、負けぬようにサクラは、ふわっと輝く笑みを浮かべてそう言った。

スッキリしたサクラの笑顔に、コンラッドは情けない笑顔を浮かべた。

…――サクラの心の錘を取り除いたのが俺でなく陛下だなんて。彼女が好きだと明言しているのに、肝心な時に自分は彼女の支えになれていない。サクラはいつだって自分を救ってくれたのに。不甲斐ない。


『オリーヴも、コンラッドも!』

「!」

『ありがとう』


――ありがとう。

いつも傍にいてくれて。その想いを声に乗せて、二人にも笑顔を零した。

己の望むままに、ここにも居場所を作って善いのならば――…地に足をつけて、これからの事を考えねば…これからの事。私は真っ直ぐコンラッドの姿を瞼に焼き付けた。


『(コンラッド…)』


これからの事を…。ならば、最初に考えるべきはコンラッドのこと。

私の義妹になってくれたレタスは、グレタと共に、教養を付ける為に人間の土地へ向かって。追放されておったヒューブも、ニコラと産まれたばかりの赤子と、未来へと歩まんとしておる。

友のユーリは、魔王陛下としてまたも大きく成長し、彼もまた眞魔国を平和にしようと奮闘している。


――ならば、私は…。

私の進むべき道は――…既に決まっている。




後はそう前へと進むだけ。





――第三章完――


あとがき→

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