13-17
止めを刺さぬかったグウェンダルに、私は頬が緩むのを感じた。こやつ最初から殺すつもりなどなかったな。
『……グウェンダル』
もう大丈夫だろうと、ユーリと二人に近寄って、グウェンダルと視線がバチッと合ったのに、黙ったままで何も言わぬヤツに私は笑みを深める。
ニヤニヤ笑みを浮かべるサクラの視線を感じないと念じながらグウェンダルは、ヒューブを見下ろした。
「…何故…私を」
うわごとの様に、何故殺さないと呟くヒューブに、私はグウェンダルのような重苦しい溜息を吐いた。
――何度告げればこやつは前を向くのだろうか。
小娘の溜息の音にすら肩をびくつかせるヒューブを見て、若干呆れてしまう。
『貴様がおらぬとニコラと赤子が困るだろう。言った筈だ、生きろと。……ニコラと赤子を守る為に生きてみせろ』
座り込むヒューブと目を合わせずにそう言うサクラに、ユーリはふっと笑った。サクラって…こういう所はグウェンダルと似通った所があるよね。厳しそうに見えて実は甘い所とか。
ユーリは慈愛のある笑みを浮かべて、ヒューブと目線を合わせた。
双黒に見つめられて、ヒューブはゴクリと生唾を飲んだ。…――どこまでも深い黒に見つめられて、心の中まで覗かれているような錯覚を覚え、眼を逸らす事は許されない気がしたのだ。
「昔のことは知らないけど…サクラが許すなら、おれも許すよ」
『……』
「グリーセラ卿ゲーゲン・ヒューバーに与えられた罰は、魔笛探索の旅に出ることだったよな?」
「そうだ」
ユーリに問われて、グウェンダルは静かに肯定した。ユーリの言いたい事が判って、グウェンダルは口元に弧を描いた。
「二十年かけてヒューブは魔笛を見つけた。そして今ちゃんとこの城にある。あんたはちゃんと役目を果たしたんだ、もういいんだよ」
「ですが…」
『私はもとより、貴様を憎んだりしておらぬ。憶えておらぬしな』
優しく魔王陛下に微笑まれて戸惑うヒューブが、私に視線を寄越したのに気付き、そう答えた。
憶えておらぬと――その言葉に、片眉を上げたヒューブの反応を見て、嫌味と取られたかなと思ったが……まぁどうせ、私に昔の記憶がない事は、誰かから訊くだろうと詳しい説明は、私はからはしない。
サクラに憎んでおらぬと言われ、魔王陛下に許すと言われ――…ヒューブの眼には自然と大粒の涙が溜まる。
自分の事しか考えていなかった過去。
ニコラやいろんな人間達と触れて、如何に自分のした事が愚かだったのかを知り、
魔王陛下を暗殺したいと言うグレタを眞魔国へと導いたのも自分で、王と姫に剣を向けた自分に、二人は自分を罰しないと微笑んでくれた。
「ううっ」
…――何と慈悲深い二人なのだろう――…。
「お前は一度ここで死んだ」
「!」
へたりと地面に涙を落とすヒューブに、掛かる従兄弟の声。ヒューブは力なく顔をそろりと上げた。
「その後、どう生きようとお前の勝手だ。恩義を感じるなら、そこの魔王陛下と漆黒の姫に忠義を尽くせ」
『最初からそのつもりだったのだろう?素直ではないな』
グウェンダルまでもが、己を許すような言葉を吐いたので、ヒューブは極限まで目を見開いて、唇をわなわなさせた。
途中からヒューブを殺すつもりがなくなり、忠義などと大義名分を翳してヒューブを生かす事に決めたこやつに、私はニヤリと口角を上げる。
しかも、血縁者でもあり閣下でもあるグウェンダルが、沢山の眼があるこの場で、ヒューブと戦い下したこの決断。それに、私もユーリも異論などないと見せしめた事により、表立ってヒューブに刃を向ける輩は出て来ぬだろう。
どこから先を見据えておったのだ。
「……お前もだろう」
『何のこと――…』
ヒューブに向かって記憶にないと言った事を申しておるのだろうと、惚けようとした私の言葉は、ニコラの産まれるー!という絶叫にかき消された。
…――産まれるッ!?
『う、』
「うまれるー!!!!?」
「な、なにぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
陣痛で蹲るニコラに、一瞬頭が真っ白になったが、私よりも慌てふためく魔王陛下とその婚約者殿を見て、頭がすっと冷静さを取り戻す。己よりも慌てておるヤツを見ると冷静になれる、不思議と。
父親になるヒューブは、ニコラに近寄ってオロオロしておる。一瞬にして、重苦しい空気は払拭され、今は慌てふためくあわあわした空気に。
「ああああ、どうしよう、どうしたらいいのってギュンター!」
『ユー…』
「あ、え、ええっ、や、なにも…私には経験がないもので…。あ、グウェンダルっ、ああああなたには、おありですよね!!」
『ギュン…』
「あるわけないだろうッ!」
嗚呼…何だか、どやつから宥めて善いのか判らぬカオスな空間に、笑いたくなったが、取り敢えずこの場からニコラを室内に運び出さねばならぬと、私が口を開くよりも早く。
また、コンラッドが落ち着いてと言うよりも早く――…何処からともなく現れたギーゼラに指示を飛ばされ、ついでに「こういう時は男の方は、駄目ですね」と、ブツブツ言われて、男達のパニックは一旦治まったのである。
『あ、あれ…ギーゼラだよな…』
「あ、ああ…」
慈愛のある笑みが似合うギーゼラがテキパキと指示を出し、尚且つそのような事をユーリ達に言い放つなど……普段の彼女からは想像もつかぬくて、グウェンダルと共に遠い目をしてしまった。
ギーゼラの的確な指示により、男性達がニコラを部屋へと運び、湯や清潔な布なども準備が終え、誰も一睡もせずに、ヒューブを含め部屋の外でニコラを見守った。
――……見守ると申すより、皆でオロオロしておっただけだが。
ヒューブはドアの前でそわそわしており、サクラとユーリ、ついでにギュンターもあわあわと通路を行ったり来たり――…押し黙るグウェンダルを横目に、コンラッドだけが腕を組んで壁に背を預けたまま静かに見守っていた。
ヴォルフラムは言わずもがな、普段と変わりなく落ち着きがない私達にプリプリしておったぞ。
そして――…。
夜中だったのが、やがて朝日が差し込み始めたのと同時に、室内から赤子の産声が響いたのであった。
(その時のヒューブは)
(父親の顔をしておった)
→