13-11
ニコラがこの方角に、ギーゼラの部下に連れて行かれるのを見かけたので、こちらの道で正解であろうと、ユーリを案内しておったら。
「陛下、姫様」
丁度、問題の部屋から出てきたギーゼラと鉢合わせになった。彼女の背後の部屋が、ヒューブが治療を受けている部屋らしい。
サクラもユーリもほっと息を零して、彼女の名を呼んだ。無駄足にならずに済みそうだ。
「陛下の足の具合はいかがですか?」
「ああ、すっかり忘れてたよー。いろいろあったもんだから。うん、すっかり治ったみたい」
ギーゼラに問われたユーリが、自分の足を見下ろして、地に足を強く踏みしめたり、痛みを感じないか試してから返答しておるのを横目に、私は二人が談笑し始めたので、室内におるはずのニコラとヒューブを見ようと、扉の取っ手に触れるべく手を伸ばしたのだが……。
己の手の平が届く前にギーゼラが、「よかったですわ」と答えながら、さり気なく私の前へ体を割り込ませて来たので、部屋の中に入る事はなかった。
自動的に絡まるギーゼラとサクラの視線。サクラは漆黒の瞳を細めてギーゼラを見つめる。
『……』
「あのさ、ギーゼラさんもヒューブを知ってるんだね」
「え、……はい」
「誰に訊いても、あいつのことははぐらかされるって言うか…みんなピリピリしてて……な、サクラ?」
『うぬ』
ユーリは頬を掻きながら、ギーゼラに問う。
先程、耳にしてしまった臣下達の会話。盗み聞きして胸がモヤモヤになっておるけれども――知りたいと思った。いつだって支えてくれる彼等の事を、彼等の事だからこそ何を抱えているのか、何があったのか知りたいと思った。サクラとユーリの心の内は同じであった。
顔ごと逸らした彼女を、私もユーリも真剣に見つめる。
「…誰もが、哀しいことを思い出してしまうでしょう」
突き刺さる視線に耐えかねたギーゼラは、頭を左右に振って口を動かした。
「かなしいって……それって、ジュリアさんって人と関係あるの?」
身を乗り出すように尋ねたユーリに、ギーゼラは過去を思い出すかのように目を瞑り――…静かに肯定した。
ここでは詳しくお話しできませんと続けて言われて、私もユーリも彼女を後を歩く。移動する通路では、誰も何かを話そうとはせぬかった。それはこれからなされる話が、如何に重いか、彼女の背中と纏う空気から伝わって来るから――…。
私は、ジュリアの名を耳にして教えてくれると言ってくれた彼女が、一瞬私に視線を寄越したのを見逃さなかった。
「お持ちのペンダント…」
真っ直ぐ歩いて辿り着いた中庭で、やっとギーゼラが振り向いた。ベンチに座るように促されたので、サクラもユーリも素直に座る。
「これ?コンラッドがくれたものなんだけど…」
ユーリは見えやすいように、ブルーのペンダントを服の中から取り出して、太陽に翳した。透き通るブルーの魔石に、私は目を奪われた。
「それはもともとは、ジュリアが持っていたものなのです」
ギーゼラは、陛下が手にしているペンダントを過去を思い出しながら、見つめる。
「フォンウィンコット卿スザナ・ジュリア」
――ジュリア…。
彼女とは、あの時会ったと思う。ユーリが魔王と覚醒した時、白昼夢かと思われた白い空間で、綺麗で上品な笑みが似合う女性に私は会った。
記憶違いでなければ、彼女がフォンウィンコット卿スザナ・ジュリアだ。
『(そして…ユーリの前世)』
彼女の事を考えると、自然と頭に浮かぶコンラッド。二人は美男美女でお似合いだ。
ドロッと湧き上がる黒いものに気付いて、私は急いで塗りつぶす。
「十貴族の出で、ツェリ様、アニシナ様、そして――…」
そこで言葉が止められたので、私は思考から抜け出して、顔を上げた。真っ直ぐに向けられる瞳。
「漆黒の姫であらせられるサクラ様と並んで、眞魔国四代魔女に選ばれるほどの魔力の持ち主、―――白のジュリア。彼女は誰からも愛されていました」
「コンラッドも?」
――ツキンッ
小首を傾げる魔王の隣で、私の胸が辛い苦しいと跳ねた。
「彼は…」
『…』
「…私には、とても仲のいい友人同士に見えました。それに、ジュリアの婚約者はフォングランツ卿アーダルベルトでしたし、ウェラー卿には別に愛する方がおられました」
「それってサクラ?」
ユーリにアーダルマッチョとあだ名をつけられたアーダルベルト、私はまだ会った事ないな…。ユーリとアーダルベルトが出会った時は、私はまだ地球におったから。
特に会いたいとかは思わぬが…ジュリアの事を知ろうと思えば一度くらいは話をしてみたいかもしれぬ。
『…だとしても、私にはそのような記憶などない』
突き刺さる視線に、溜息を吐いてそう言った。
グウェンダルにも言われたが…他人にコンラッドと好い仲だったと懐かしまれると、複雑心境になる。だって、それは覚えのない私にとって、私のことだろうが私ではないのだ。
『コンラッドが好きなのは過去の“サクラ”とやらであろう。私は関係ない』
そんな他人のような“サクラ”にコンラッドが好意をッって考えれば、考えるほど――…やはりコンラッドは私が知らぬ“私”を好きなのだと思ってしまう。
最初は己が知らぬ人達から好意の眼で見られることに、何処か他人事のように感じていたのだが、最近は…オリーヴ然りコンラッド然り、彼等が欲しておるのは、私であって私ではないと複雑な思いで埋め尽くされる。
「そんなことなっ…」
「そう思われるならば、ウェラー卿本人に確かめてはいかがですか?」
――何故本人に確かめなければならぬのだ…。それではまるで、コンラッドに私を見て欲しいと思っておるみたいな――…。
私は気付きそうになった思考をかき消して、慈愛のある笑みを浮かべたギーゼラに目を戻した。
「すぐに杞憂だったとお気付きになられますよ」
…――あんなにも、サクラ様を想っておられるのですから。
ギーゼラはそう思ったのけれど、不安に揺れるサクラに向かって、言葉にはしなかった。サクラ様が欲している言葉は、ウェラー卿が自ら気付いて、応えてあげなければいけないこと。
二人がゆっくりではあるけど、前へと進んでいると目の当たりにして、ギーゼラはサクラとユーリが知りたがっている話に戻した。
「……今から二十年前、眞魔国はとても危険な状態へ陥りました」
「危険って?」
『戦争だと訊いたが…』
――と言うよりも予め知っておったと申す方が正しいか。
「人間の国、大シマロンとの戦争が始まってしまったのです」
『人間の国の中で、実質力が一番強いところなのだろう?』
「ええ」
「あー…なんかギュンターが、歴史の勉強で言ってた。凄い激戦で、魔族側が押されていたけど、なんとか停戦に持ち込めたって」
「ええ。でも多大な犠牲を払いました」
感情を押し殺して話をしてくれておったギーゼラの瞳が、一瞬哀しみに揺れた。
「もしかしてジュリアさんもその時」
「ええ。…サクラ姫様も…その、」
『少しは訊いておるから大丈夫だ。命を落としたのだろう』
…――記憶にはないがな。
気まずげに私をチラリと見たギーゼラに、無理やり笑みを浮かべて、続きを促した。内心自嘲気味に…己に笑ったけれど。
「その原因を作ったのが、グリーセラ卿なのです」
「…ぇ」
私もユーリも目を見開いて硬直した。ジュリアの死に直接関わっていたなど、想像しておらぬかった。
「その当時、ツェリ様が魔王として統治されていましたが、実際は兄君のシュトッフェル閣下が摂政として国を動かしていたのです」
「シュトッフェルか〜…あーなんていうか、そんなに悪い人じゃないと思うけど」
『私は、まだ会ったことがないな』
グウェンダル達三兄弟とギュンターやオリーヴの皆と、シュトッフェルは仲が悪い。
臣下達は、シュトッフェルのヤツを善く思っておらず、あまり私の前であやつの話をすることはなく、私も私で、摂政だったシュトッフェルのせいで、戦争でコンラッドが出兵したと知っておったので、口にする事はなかった。
『(そこにヒューブのヤツが加わるのだな……)』
乾いた風が三人の間をすり抜けて――…少し沈黙が訪れた。
ギーゼラは、目を瞑って、二十年前の忌まわしい記憶を掘り出す。出来れば思い出したくない記憶。
―――ですが、この国に逃げ込んだ人間たちの中に、密偵として情報を流す者がいるのです!
―――なんと!それはまことか。
グリーセラ卿が、あろうことかシュトッフェル閣下に、有り得ない情報を吹き込んだのだ。
―――でなければ、我々魔族が、人間などにこうも押されはしません。
―――んん、その通りだ。
―――そして、その人間たちを庇っている裏切り者たちもいるのです。
二人のやり取りを思い出す度に、湧き上がる怒りと大切な者達を失った哀しみ。
―――それは…。
―――人間と魔族の間に生まれた者たちです。彼等の忠誠心は信用なりません。
『――っ!?』
瞬時に、コンラッドとヨザックの姿が過ぎった。
(彼女の口から語られる過去は――…)
(あまりにも辛く悲惨な内容であった)
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