ハラハラすんだよ。 心配させんな 「根付さん、これ翻訳終わっています。」 「はい、これどうぞ。次の来客の資料です。」 「お疲れ様です、コーヒーどうぞ。」 アリスがボーダーで働きだしてから1ヶ月。 驚くべきスピードでアリスは仕事を覚えていき、職場によく馴染んでいた。 諏訪は今日もそんなアリスの様子を伺いに来ていた。 「すっかり広報部のアイドルだな。」 「うるせえ、風間。」 諏訪の隣には紙パックの牛乳を飲む風間がいた。 「アルバイトっていう仕事量じゃねえだろ、あれ。」 諏訪のボヤいた通り、アリスの仕事量はアルバイトのそれを超えていた。 大学に通っているはずなのに、ボーダーにいる時間がやたらと長い。 授業を休んでここにいることもある。 アリスが働き始めてから数日。 その働きぶりでアリスの能力を見極めた根付は人事に打診してアリスとの雇用形態をアルバイトではなく、臨時社員としての契約に切り替えた。 アルバイトで大学の授業を休むと当然単位が足りなくなってしまい進級できなくなってしまう。 そこでアリスをボーダーの一員として登録することで、他の戦闘員やオペレーターのように、後日課題や補修を受けることで単位が取れるように調整したのだ。 アリスとしても今の仕事にやりがいを感じているし、大学とも両立できるのであればそれは願ってもない対応だった。 「それにしても小型かつ高性能だな。」 風間は呟いた。 はて、そのフレーズはどこかで聞いた覚えがあるような。 だが諏訪はそんなことどうでもよかった。 「もともとあいつの両親両方とも研究者なんだよ。父親が言語学者で、母親が…なんだったかな。なんか技術系のそういうの。」 「なるほど、なるべくしてなったというかんじだな。」 風間はアリスの素性を知り感心する。 2人が見ている間もアリスは次々と仕事をこなしていく。 根付がまた就職は是非ここにしてはどうかね、と勧誘していたり、ちょうど用事があって来ていた嵐山と話していたり、いろんな声が聞こえる。 諏訪はそれをぼーっと見ていた。 諏訪が知っているアリスは10年以上前の、幼い頃だけだ。 あの頃はまだ泣いてばかりのただの小さい女の子だった。 女の子なのに難しい図鑑を読んだり、早いうちから字が書けたりと、親が親なので優秀に育ちそうな雰囲気はしていたが、まさかこれほどまでとは。 クセや喋り方は全く変わっていないのに、仕事モードの時は何故かテキパキしている。 知らない言語を話し、姿勢良くカタカタとキーボードを叩くアリスは諏訪の全く知らないアリスだった。 それはなんと言うか、少し寂しい気がした。 「あ。」 諏訪がアリスを見ていると、バチっと目が合った。 普段ならその時にヘラヘラ笑ってアリスは手を振ってくれる。 「目逸らされたな。」 だが今日に限ってはそれがなく、アリスは隠れるようにスッと視線をパソコンの画面のほうに戻した。 「どうした?諏訪。」 「あの、バカ。」 諏訪は風間の声も聞かずに、ズカズカと部屋の奥に入っていきアリスに近づいた。 そしてアリスのすぐ後ろに立ち静かに見下ろす。 ともすれば何か怒っているようにさえ感じる。 「諏訪くん、どうしたんだね?」 様子がおかしい諏訪に室長席に座っている根付が声をかけるが返事はなかった。 そのままじっとアリスを見ている。 アリスはしばらくは諏訪を無視して仕事をしていたが、背後からの圧力に耐えかね、恐る恐る振り返りこう言った。 「や、やっほー。諏訪くん。」 そこでそれを見ていた風間や根付はおや?となる。 アリスが諏訪のことを“諏訪くん”と呼んでいるところなんてこの1ヶ月見たことがない。 それに諏訪がやってきたら必ず仕事の手を止めて笑顔を見せていたのにそれがないのも不自然だ。 「おい、アリス。熱測らせろ。」 「ヤダ。」 諏訪の言葉にアリスはすぐさま拒否の言葉を返した。 だが諏訪はお構いなしにアリスの椅子に手をかけると、回転させて自分のほうに向かせる。 そしてアリスが防ぐよりも先に額に手を当てた。 「やっぱり熱あるじゃねえか。」 「うぅ。」 アリスは諏訪の言葉に観念したように顔をうつむかせた。 「本当かね、桐島くん!」 根付が慌てて駆け寄ってきた。 顔を覗き込むとたしかに顔が少し赤い。 そう思って諏訪と同じように額に手を当てると、こちらは思っていたよりも熱かった。 「根付さん、こいつ医務室に連れてっていいっすか?」 「ふわぁ!」 諏訪は根付の返事を待たずにアリスを抱き上げる。 急に抱き上げられてアリスは落ちそうになり、思わず諏訪の首に手を回ししがみつく。 「こ、洸ちゃん!おろして!」 「断る。」 そう言うと諏訪は口数少なく部屋から出て行った。 残された職員達はそれをポカンと見ていた。 同様に呆気に取られている根付の横にそっと風間が立つ。 「あれで本当に付き合っていないのかね、風間くん。」 「ええ、俺も不思議でなりません。」 根付と風間は誰もが思っている疑問を口にした。 医務室に着くとアリスはそっとベッドの上に降ろされる。 アリスはその時に諏訪の様子を伺うように見上げたが諏訪は何も言わずに医務室の棚に向かった。 諏訪とアリスが一緒にいるのに、珍しくその空間には沈黙が続いた。 ガサガサと棚を漁る諏訪にアリスはなんと声をかけていいかわからない。 怒っているような雰囲気が背中から滲み出ているからだ。 「っと、あったあった。体温計。」 諏訪がようやく体温計を見つけたようで、アリスの方へと振り返った。 アリスは諏訪のほうを見ていたが、その瞬間に避けるように下を向いた。 「…。」 諏訪は相変わらず何も言わない。 ただアリスに見えるように体温計を出す。 「ほら、測れよ。」 「う、うん。」 アリスは顔を上げずに体温計を受け取る。 そして諏訪は何も言わずにベッドから離れ、カーテンを閉めた。 カーテンに落ちる影から諏訪がアリスに背を向けているのがわかる。 (どうしよう。) 熱に浮かされた頭を使ってアリスは精一杯考えた。 こんなに諏訪を怒らせた記憶は過去にない。 いや、まだ怒っていることは確定ではない。と自分に言い聞かせてみるが、現状その可能性は低かった。 ピピ ピピ 考えがまとまらない内に体温計の温度測定を告げる音がした。 「何度だった?」 「あ、えっと、38.5度。」 「結構あるじゃねえか。」 「う、うん。」 それから沈黙が続いた。 諏訪はずっとカーテンの側に背を向けて立っているだけで何も言わない。 アリスはというと、何か言わなくては思うほど熱に邪魔されて思うような言葉が見つからなかった。 「洸ちゃん。」 「…。」 アリスは諏訪の名を呼ぶ。 だが返事はなかった。 「っ。」 アリスの目にジワリと涙が浮かぶ。 こんなつもりじゃなかったのにとぐるぐると思いが回る。 お願い、怒らないで。どうか、どうか。 「洸ちゃん、嫌いになっちゃヤダァ。」 アリスは立ち上がりカーテンの間から手を伸ばし遠慮がちに諏訪の服の裾を掴むとそう言うので精一杯だった。 自分の声が涙声で震えているのがよくわかる。 「…。」 すると少し間を置いて盛大なため息が聞こえた後、サッとカーテンが開けられる。 アリスが見上げると、未だに不機嫌そうな顔の諏訪と目があった。 「何でそうなるんだよ。」 「だ、だってぇ。」 アリスの目からぼとぼとと涙が溢れる。 諏訪はまたため息をついた。 「あーほら、泣くー。やっぱ泣き虫アリスのままじゃねえか。」 「だってぇ。」 諏訪はアリスの ![]() アリスはその諏訪の手に自分の手を添える。 「洸ちゃん、怒ってるんだもん。」 「じゃあ怒らせるようなことすんな。」 「ごめんなさぁい。」 熱のせいで少し逆行しているのか、アリスは子供のように泣いて謝った。 諏訪は昔もこんなことあったななどと思いながらアリスの涙を拭うと、アリスに横になるように促す。 「とりあえず、少し寝ろ。ちょっと熱が下がったら送ってってやるからよ。」 「う、うん。」 アリスは言われた通りにベッドに潜り込むと口元が隠れるぐらいまで布団をあげ、視線だけで諏訪を見た。 「何だよ。」 「洸ちゃん、この後防衛任務?」 アリスは未だ涙で滲んだ目で諏訪を見上げる。 諏訪は本日3回目のため息をついた。 「ねえよ。いてやるからさっさと寝ろ。」 「ありがとう、洸ちゃん。」 そういうと余程疲れていたのか、アリスはすぐに寝息を立てて眠りについた。 諏訪はベッドの脇に椅子を持ってきて座ると端末を取り出す。 (代わりのやつ探さねえとな。) 実は諏訪はこの後防衛任務の予定が入っていた。 だがこんなアリスを残していけるはずもなく嘘をついたのだ。 任務までにはもう時間がないが、隊員達に代理を立てる旨を共有して、その肝心の代理を探さなくてはならない。 (今日非番で今基地にいそうなやつは…。) 諏訪が防衛任務の全体スケジュールを開こうとした時、一通のメッセージが端末に飛び込んできた。 メッセージのタイトルは『防衛任務行ってくる』 本文には文章はなく、ただ写真が一枚貼られていた。 (…できたダチとチームメイトだぜ、まったくよ。) メッセージは風間からで、写真は隊服姿の風間と堤、笹森、小佐野が写ったものだった。 風間は今日非番だったはずだ。 おそらく先ほどの広報室でのやり取りを見てこうなることを見越して自分の隊室に行ってくれたのだろう。 普段はからかってくるばかりで腹が立つこともあるが、いい友達を持ったものだ。 (ありがとな、風間。) 諏訪は、『明日カツカレーおごるわ』と一言だけ返事を返した。 Prev | Next ******************************* 2018.11.15 諏訪さん連載5話目更新です。 風間さんの立ち回りが神すぎる。 ※お返事不要の方はお申し出お願いします。 back WT | back main | back top |