過去拍手 | ナノ




寮に手紙が届いたのは初めてで、少し戸惑った。綺麗な字で僕の名前が書かれた裏側には、懐かしい名前が書いてある。ふと差した陰に、僕は彼女の名前を指で隠した。

「誰からだ?」
「友達です」
「今時手紙か、珍しいな。良い友達じゃん」
「はい」

御幸先輩の言葉に噛み締めるように頷いて、食堂を後にした。
部屋には戻らずに、食堂の裏へ回ってこっそり手紙を開ける。薄いピンク色の便箋が2枚出てきて、蒸し暑い中で自販機の灯りを頼りに読み始めた。

書いてあったのは、まず僕の体調の事。東京は暑いらしいけど大丈夫か。ちゃんとご飯を食べて、水分補給をしているか。風邪は引いていないか。
それから、何も言わずに東京へ進学したこと。僕が東京に行ったと知ったのは北海道を発って三日後で、何で言ってくれなかったのかと怒っていた。けど、楽しく野球ができるように応援しているという事。
そして今、野球を楽しめているかという事。
手紙の内容はひたすら僕の心配ばかりで、相変わらずの性格だと思わず笑ってしまった。まだあれから半年も経っていないのに、懐かしい気持ちになってしまう。せめて彼女だけにでも、東京へいく事を言っておくべきだったかもしれない。

最後に、かに玉を持ったシロクマの絵が添えてある。そういえば彼女は絵が得意だった。
そしてシロクマからの吹き出しには、

『仲良くしてくれて有難う。応援してます。素敵なチームの一員になってね!』

先輩に球を受けてもらえなくなった時も、同期に相手にしてもらえなくなった時も、いつも彼女は心配してくれていた。一人で壁に向かって投げ始めた時は、キャッチボールに付き合うとか言ってお兄さんから借りた古いグローブを持ってきたけども、結局受け取れずに見ている事になったんだっけ。
高校生になったら、きっと降谷君は甲子園に行けるからと、応援のために吹奏楽部に入ろうとも思っていたらしい。地元の高校には行かないと伝えれば、札幌の高校に行くのだと思い込んだようで札幌で野球の強い高校を調べていた。全道大会なら応援に行けるかもしれないと少し残念そうに言われた時は、東京に行こうと思っている事を言ってしまおうかとも思った。でもそれを言ってしまったら何かが壊れてしまう気がして、あの時は黙って頷いたのだ。

彼女との沢山の思い出が、どんどん込み上げてくる。今まではこんな事考えなかったからか、一度思い出すと止まらなくなっていた。

有難うだなんて、彼女が言う言葉じゃない。僕の方が彼女に沢山助けられて、ここまで来られたんだ。有難うと言わなくちゃならないのは僕の方なのに。何で何も言わずに来てしまったんだろうと今更ながら後悔の気持ちが込み上げてきた。

「降谷、何してんだ」
「み、ゆき先輩」
「何お前、泣きそうな面して。友達からの手紙でホームシックにでもなったか?」

茶化すように笑う先輩。がしがしと頭を撫でられて、勢いで涙が一滴だけ零れ落ちた。それはシロクマの絵の上に乗っかって、じんわりとシミを作る。たぶん水性のペンで描かれていたのだろう、少しだけ線が滲んでしまった。

「…そんなにポロポロ泣いちゃって。大切な友達なら、ちゃんと連絡取りあえよ」
「ポロポロなんて泣いてないですよ」
「ばーか。手紙に涙の跡が付いてんぞ」
「?」

言われて視線を手紙に落とせば、少しわかりにくいけど、うっすらと涙の跡が何か所かある。手紙をよみながら無自覚に泣いていたのかとも思ったけど、どうやら違うらしい。その涙の跡は、時間が経って乾いたようだった。そうするとこれは、きっと彼女の涙の跡なのだろう。暗くて気が付かなかった。でもよく目を凝らして見れば、点々とあるソレ。

「こんなに泣いちゃって。連絡してやれよ」

ほれ、と背を押されて、自販機の横からどかされた。

「でも、連絡先を知らないんです」
「まじで?どっかに書いてないのかよ」

手紙を勝手に取って目を通し、何度か裏返してみる御幸先輩。返してくださいと言う前に、その顔が意地悪く笑った。

「こんなところにあった。お前が連絡しないんなら、俺が電話しちゃおっかなー」
「ダメです。返してください」
「冗談だよ。さっさと行って来い」

相変わらず性格の悪い先輩だ。

手紙を返してもらって、そのまま寮の外へ出る。携帯を取り出して手紙の裏の隅っこに書いてあった番号を間違えないように押して、周りに誰もいないことを確認してから通話ボタンを押した。
普段だって誰かに電話なんてしないから、呼び出し音だけでも緊張してしまう。何度か呼び出し音が続いて、切ろうかと諦めた時に、「もしもし?」と懐かしい声が聞こえた。
どきりと心臓が一際大きく鳴って、携帯を握りしめる。

「もしもし?僕だけど」
『えっと…もしかして、』
「手紙、読んだ」
『降谷君、だよね?』
「うん。元気?」
『うん、うん、元気だよ』

震える声に釣られて喉の奥が苦しくなる。曇ってもいないのに星が見えない空を見上げて、何とかそれを抑えた。

「君に話したいことが沢山あるんだ」

何から伝えようか。何も言わなくてごめんね。支えてくれて有難う。それからチームメイトの話に学校の話。監督の話。いろんなことが出てきて、しどろもどろしていると、彼女が電話の向こうで笑った。

『ゆっくりで良いよ。降谷君やチームの話、聞かせて?』

そうして僕は、生暖かい夜風を吸い込んで、有難うから切り出した。

back