ガラでもないかもしれない。それでも手伝うと言ったのは、少しでも彼女と接点を持ちたかったから。

なんて、くすぐったい理由ではなく、自分よりも、うんと仲が良さげに話す二人を前にして焦る気持ちがあったからだとは、一応、伊佐敷も自覚はしていた。




並んで歩けば20センチ





『純』と名前を呼ぶのは、家族か野球部部員であって、女子から呼ばれたこと何なんて一度もなかった。だからきっと、そのせいで、どきりとしてしまったのだと、自分の胸に言い聞かせた。

それからどうにかして、179センチと169センチという身長差を埋める事はできないものかと、今更どうしようもないことを最近よく考えていた。考えて、いやいや無理だろ、なんて心の中でツッコミを入れてから伊佐敷はこの身長を恨んだ。もっとカルシウムを取っていたら、背は伸びていただろうか。それとも筋肉を付け始めた時期が早すぎたのだろうか。

欲張りは言わない。彼女より高くなくてもいい。けれどもせめて、同じ高さには並びたい。別に好きとかではないのだけれども、本当にそういう訳ではないのだけども、もし一緒にいて話す機会とかがあったら恰好がつかないと頭の中で必死にぐるぐる考える。

あの日彼女に出会ってからというもの、あの指で測られた身長差だけは何とか埋めたい、と思った。

「どうしたの純。ぼーっとしちゃって」
「いや、もうちょっと身長欲しいと思ってよ」
「何?喧嘩売ってんの?」

零れた言葉で小湊に蹴りをくらって、伊佐敷は慌てて教室を出た。

すると、目についたのは彼女の姿。今まで気にしていなかったからなのか、一度見つけるとすぐに視線がそちらに向いてその姿を追ってしまう。周りの女子より頭一つ分程高いのもあるが、すっと伸ばされた背筋が背の高さを際立たせているようだった。

話しかけようか迷った。あれから彼女の事が気になってどうしようもなく、また話せる機会を窺がっていたが、なかなか話しかける事ができず、いつも視線で姿を追うだけだった。丁度昼休みだし、今がチャンスじゃないのか。いや、でも、先日会ったばかりなのに気安すぎるだろうか。
意識してしまっているからなのか、恥ずかしさからくる躊躇いがあってか、どうにも体は動かない。

そうしているうちに彼女は背を向けて自分のクラスの方へ向かってしまった。

またダメだった。そう思った時、聞き慣れた声が彼女の名前を呼んだ。


「コウ、探したよ」
「すまん。職員室に居た」

隣のクラスの前で向かい合う二人。随分と親しげに彼女と話す『コウ』と呼ばれた彼は、同じ野球部員でよく知る友人だった。
どうして二人が仲良さげに話しているのか。その呼び方は、一体どういうことなのか。答えろよ、丹波。

例えようの無い不安が込み上げてきて、伊佐敷はその姿を見るまいと、慌てて教室に戻っていった。

「今度はどうしたの?」
「何でもねぇ」

ふーん、とジュースを飲みながら視線を向ける小湊。


それから数日経った頃だった。

「……お」
「あ」

廊下で、大量の本を抱えるみょうじを見つけると彼女も伊佐敷に気付いたようで目が合ってしまった。彼女は軽く会釈をして、伊佐敷もそれに応えながら持っていた本に視線を移した。


「…図書委員の仕事か?」
「うん。仕事と言うよりは雑用に近いけどね」

分厚い本を何冊も、普通の女子より少しだけ大きな手で抱えて苦笑した。彼女が真面目だから頼りにさるているのか、それとも、普通の女子よりも力持ちそうだから頼られているのか。そんなことを一瞬考えてから、ふと丹波と談笑する彼女の笑顔が頭を過り、馬鹿らしいと掻き消すように頭を振って本に手を伸ばした。

「少し持つ」
「大丈夫だよ。力はある方だからね」

ありがとう、と言ってかわされたが、伊佐敷はそのまま半分よりちょっと多い量の本を奪った。驚くみょうじに、重いじゃねーか、と呟く。

「ちょっと、大丈夫だって」
「こーゆー時は、おとなしく甘えとけ」 

みょうじはそんな風に言ったんじゃないと分かっていても、自分じゃ頼りにならないと言われたような感じがして、半ばヤケになって言った。あの時の1度しか会話をしていないのに、話しかけるとか恥ずかしいなんて気持ちはもうない。代わりに、丹波になら手伝ってもらってたのだろうか、というモヤモヤしたものがさっきから胸の内に痼のように残って取れないのだ。

意地でも手伝う姿勢を崩さない伊佐敷に、みょうじも諦めた。

「……じゃあ、おとなしく甘えさていただきます」
「おう」



廊下を二人で歩きながら、意識しないで話せるような他愛もない日常的な会話を探して、伊佐敷はポツリ、ポツリと話しかけた。彼女の方が自然体で、だんだんとよく分からない緊張感が解れていくのを感じた。

けれども、何故か友達の話から野球の話になり、彼女が『コウ……丹波っているよね』と丹波の話を始めだした。野球の事は丹波からよく聞いていて、初めて試合を見に行った話や、監督の話。寮の話、甲子園の話。

「丹波と仲いーのな」

全部の話に丹波が出てきて、思わず声に出して呟いてしまった。

「あぁ、うん。一年生の時からかな。お互い体格の割りに小心者で、よく悩み事とか相談してたの」

二人は互いに身長が周りよりずば抜けてるのもあるけど、中身も結構似ている。控えめで自己主張が得意ではないところなんか特にそうだと笑って言った。

何となく納得したものの、ずきん、と体が痛むのを感じる。そして、焦燥感からか分からないが、思わず聞いてしまった。

「……丹波と、その…付き合ってんのか?」
「ぅえ!?な、ないない!有り得ないよ」

驚いてバランスを崩した本を持ち直して、みょうじは言った。

「コウは友達で相談相手。ほら、私ってこの伸長だから、男子は好きこのんで並んで歩きたくないと思うんだよね」
「別に嫌ってわけじゃないと思うぜ」
「ありがとう。何か、純と並んで歩くの楽しいな。いっぱい喋れるし、気にしないでいてくれるし」
「お、おう……」


言われて、口ごもったような返事をしてしまった。それは並んで歩くのが恥ずかしいしからではない。いや、少し恥ずかしいのもあったけれど、みょうじの隣を歩いて良いのは自分なんかじゃないという考えが、伊佐敷の胸の内で小さな蟠りを作っていたからだった。あんなに仲良さげな丹波を差し置いて、つい最近知り合ったような自分が、なぜと。

と、目の前からバスケ部の連中が走ってきた。今日は体育館の点検もあるし生憎外も雨だから校内ランニングをしているらしい。野球部では聞かない、シューズが床を鳴らすキュッキュという独特の音を立てながら前から来た彼らは二人の横を駆け抜けようとする。

「わっ、」
「っぶね」

咄嗟に端に寄れば、彼らは一年生らしい。謝りながら、そのまま向こうへと走り去っていった。

「ったく、気を付けろよな。大丈夫か?」
「あ、有り難う」
「おう。なぁ、並んで歩かない方が良いんじゃねぇか?今みたいなの危ないだろ」
「え?う、うん……そうだよね」

伊佐敷の提案に、頷くみょうじ。一瞬歩みを遅めると、そのまま伊佐敷の後ろに移動して、少し距離を開けて歩いた。

一列になってしまっては会話もしづらくて、二人はただ無言で本を運んだ。校内の生徒が出す音や、静に降る雨の微かな音を聞きながら、ただ歩く。

再び運動部員が後ろから走ってきて、二人の横を走り抜けていった。そして彼らの背を見る形になった時に聞こえた呟きを、伊佐敷は聞き逃さなかった。


「…なぁ、」
「ごめんね」


声を掛けた途端、謝罪の言葉が背中を叩いた、と言うより、押して突き放された感じがした。

ぴたりと歩みを止めて振り返れば、少し離れた場所にみょうじは俯き加減で立っていた。それでも伊佐敷の方が背は低いものだから、その表情はしっかりと見えてしまう。そうしてまた口を開こうとすれば、みょうじは顔を上げて何とも言えない笑顔を作って伊佐敷に向き合った。

「私にも聞こえたんだから、伊佐敷君だって聞こえてたよね」
「まぁ、一応」
「ごめんね。何か私と一緒にいたから、その……私の方がデカくて釣り合わないとか……ごめんね、ほんと」
「そんな気にしてねぇから、大丈夫だって」
「ほんとにごめん。あっ、わ、私、離れて歩くよ。デカいから目立つし、ごめんね」

そう言って足早に伊佐敷の横を通り過ぎて前を歩こうとする。


「別に謝るような事じゃねぇだろ。そりゃあ男のくせに……ち…チビって言われんのはムカつくけど、背なんて仕方ねぇ事だし、みょうじが悪いわけじゃねぇし」
「でも、」
「あーもー!うっせーな!!俺はお前と並んで歩きたいんだよ。気にすんなっての」

少し乱暴に言えば、みょうじは驚いて目を見開いてから、困ったように笑い出した。

「私なんかと一緒に歩きたいって男子なんて、滅多にいないよ」
「うっせ。ほら、行くぞ」
「うん」

振り返って歩き出す伊佐敷。みょうじは足を速めて、その横に着くと歩みを合わせて歩いた。

再び並んで歩き出せば、またすこしずつ会話が弾んで、そのまま二人で現国準備室へ向かった。たまに後ろから運動部員が走ってきたら横に避けて、通り過ぎたらまた二人で並んで歩く。授業の話や部活の話。

他愛もない日常的な、さっきの会話の続き。だけれども、さっきとは違う気持ちを本と一緒に抱え始めたようで、それが何かということを、伊佐敷は今は気付かない振りをした。



並んで歩けば、身長差10センチ。

左腕と右腕の間は、少し遠慮がちな20センチ。



この左腕と右腕の間の距離は何とももどかしい距離感だった。



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