小説-野球部と文化部シリーズ | ナノ


滝川クリス優


「綺麗な目」
「え?」
「あ、いえ。すみません」

初めてその子に会った時に、不意にそう呟かれた。入学当初、人の多い昼休みの廊下で、一瞬自分に言われたのか分からなかった。が、彼女の目が真っ直ぐこちらを見ていたから反射的に聞き返せば、慌てて謝られて小走りで何処かへ行ってしまった。

次にその子と対面したのは、教室の掃除の時。何処かで見たことのある女子だと思って眺めていたら、視線があってしまって焦った。そして、不覚にもどきっとしてしまった。
同じクラスだし、何かきっかけを見付けて話してみようとしたのだけど、話しかけるタイミングをいつも失っていた。登校するのはギリギリだし、休憩時間はいつも難しい顔をしているか、別のクラスの女子と話をしている。

彼女の名前は苗字名前だという事をクラス名簿を見て覚えて、それ以上は何もなかった

そうしてやっと会話をしたのが、選択でとった美術の授業。顔のデッサンを課題にされた時に偶然ペアになった。近くで見る彼女は意外と小柄で、下から見上げられてにこっと笑って挨拶をされる。

「よろしく」
「こちらこそ」

そう言ってから鉛筆を皆とは違う持ち方で持って、じっとこちらを見てくる。そして、慣れた手つきで滑るように、皆と同じクロッキーブックに描き始める。こちらを見る目は真剣そのもので、デッサンのために見られているとはわかっていても思わずどきどきしてしまう。力強いその目に吸い込まれそうで、苗字さんの目を真っ直ぐ見る事はできなかった。


「すごい…」

秋。大会の名前は覚えていなかったが、最優秀賞として表彰されたという苗字さんの絵が、正面玄関に飾られた。大きなキャンバスに描かれたのは、きらきらと輝く世界。でもどこか完全ではなくて、まだこの先に進むことができそうで、期待と希望に溢れた世界。絵を突き破って何処までも行ける気がして胸が高鳴った。この絵を見ていると、甲子園にだって行ける気がする。
こんな絵を、あの子が描いたのか。

「すっごい気迫だったんだから」
「誰が?」
「名前が」

話しながら歩いてくるのは、きっと彼女の友達だろう。絵の前で立ち止まると、まじまじと眺めてから微笑んだ。

「あぁ、この絵描いた子ね」
「夏休みなんか毎日美術室に籠ってね、お昼ご飯とトイレに行く以外ずっと描いてるの」
「へぇ〜」
「びっくりしたのがね、水筒から飲み物出して飲むのも面倒とか時間が惜しいとか言って、ヤカンに氷とお茶入れて、注ぎ口から飲んでたの」
「は?」
「流石に止めたわ〜」

それは…止めるだろうな。
あの子がそんな豪快な事をしているのを想像したら、少し残念な気持ちになった。でも、そこまでして描いたものだと思うと、あはりあの子は凄いのだと感じた。俺も負けていられない。

「クリス、どうしたんだ?」
「丹波か。この絵を見ていたんだ」
「あぁ、凄いよな。俺らと同い年だろ」
「うん、本当にすごい。俺も頑張らなきゃ」

先輩たちが引退した今、チームの中心になっていくのだ。自分たちの代は『不作の年』だなんて言われているけれども、そんな事はない。練習すれば強くなれるし、皆上を目指して努力をしている。
未来の事なんて誰にも分からない。この絵のように無限の可能性が広がっているのだから。

絵に向かって手をのばす。そうすると、この先に有る何かを、自分の掌の中に入れれる気がした。世の中そんな甘くはないとは分かっていても、この絵はそういう気持ちにさせてくれるのだ。

「おい、次移動教室だぞ」
「あぁ、今行く」

呼ばれてその絵のを後にした。


それは、俺達が同じバスを使う、一年程前の事だった。

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