小説-野球部と文化部シリーズ | ナノ


伊佐敷純


大きな声が出せる人が羨ましかった。小さい頃から人見知りが激しくて、控えめすぎる性格。そのせいで声も小さくて、教科書を読み上げるのに当てられるといつも「もっと声を出して」と注意されるのでとても嫌だった。
このままではダメだと思い大きな声を出せるようになろうとして入部したのが、合唱部。合唱部は皆で歌うから自分の声だけが聞こえる事は無いし、ソロパートがあっても、それは上手い先輩たちの役割だから私には関係ない。こうして少しずつ自信がついてきて、新しい曲が決まった際に死刑宣告を受けた。

「ソプラノソロパートは苗字さんにお願いするわね」

理由は、普段は目立たないから、だとか。何ですかそれ。私は全然ダメで、目立たなくていいんですと言おうにも、ソロパート決定を祝う拍手に圧倒されて口を開くことができなかった。
最悪だ。パート練習はまだ良い。部員の少ない合唱部で、1パートあたり10人もいないのでまだ何とか耐えられる。問題は全体練習だ。4パート合わせて20人強。いくら部員が少ないと言えど、こんなに大勢の人に自分一人だけの声を聞かれるのは堪えられそうもない。
私のこの性格を充分に知っている同じ部員の奈留ちゃんと楓ちゃんは、自信が少しでも付くように練習に付き合ってくれて、私も皆の足を引っ張らないように皆が帰った後に居残り練習をすることにした。
音楽室は鍵が閉められてしまうので、教室で練習をしなくてはならない。放課後も遅くなれば、そうそう人が来たりはしないのだけれども、たまに部活で残っている生徒が忘れ物を取りにきたりするので、僅かな物音や話し声が聞こえると驚いてすぐに歌うことを止めてしまう。あまり良い練習環境とは言えなかった。
それでも、今は練習するしかない。
そうして居残り練習を初めて5日目。いつものように一人で歌っていると、ガタンっと大きな音がした。驚いて音がした方を見れば、ドアの向こうに人影。

「わりぃ、邪魔した」

そう言って気まずそうに頬を掻きながら教室に入ってきたのは、同じクラスの伊佐敷君だった。

「ううん。大丈夫」
「…じゃあな」
「うん」

何も聞かずに、忘れ物であろう教科書を片手に出ていく伊佐敷君。
正直言って、私は彼が苦手だった。ちょっとガラの悪そうな外見や言葉使い。それと大きな声。よく彼が叫んでいるのを聞くのだけれど、あれは怖い。でも、あんなに大きな声を出せる事がちょっと羨ましかった。

「私も、伊佐敷君みたいに大きな声を出せたらなぁ…」

呟いてみると自分の声の小ささに情けなくなる。
結局その日は何だか落ち込んでしまって早めに自主練を切り上げて帰宅した。

そうして次の日、自主練をしていると、また伊佐敷君がやってきた。

「こ、こんにちは」
「おう」
「…忘れ物?」
「いや、ちょっと苗字に用があんだよ」

ドカッと椅子に座って言う。正直怖い。特にその髭が迫力を増している。というか、彼とは同じクラスなだけで他に接点も無いし私に用ってなんだろう。

「用って、何かな?」
「お前、声小せぇのな」
「……うん」

ストレートに言われて、答えた声は自分でも呆れるほど小さく、消えてしまいそうだった。情けない。

「合唱部でやってけてんのか?」
「う、うん。なんとか」
「なんで一人で練習してんだよ。他の奴らは?」
「もう部活は終わったの。私、今度ソロパートになっちゃって、一人で歌ったことないから…皆の前で大きな声で歌えるように練習して…」
「へー…根性あんじゃねぇか」

頬杖をついたまま、ニッと笑う。彼は何をしに来たんだろうと思って見ていると、立ち上がって私の隣まで来た。

「ちょっとだけ付き合ってやるよ」
「え?でも、」
「いーから。一緒にやった方が恥ずかしくねぇだろ」
「私ソプラノだから高いし」
「だーっ!うっせぇな!付き合ってやるってつってんだよ」
「あっ、はい、すみません」

なんだこの強引さは。眉間に皺を寄せて大きな声で言う伊佐敷君に、思わず肯定の返事をしてしまって、何故か二人並んでソロパートを歌う事になった。一度小さな声で私が歌って音程とか確かめようと提案したのだけれど、中学の合唱コンクールで歌ったことがあるらしく知っているからと断られた。伊佐敷君の声量なら、広い場所でもよく通るんだろうな。うらやましい。

「じゃあ、お願いします」
「おう」

せーので歌い始める。思った以上に大きな声が隣から聞こえて圧倒される。が、その後すぐに彼が音を外してしまった。

「お、わりぃ」
「ううん。すごい声量だね。羨ましいな」
「お前もこんくらい出してみろよ。俺がでけぇ声で歌うから、あんま気になんねぇだろ」

確かに。伊佐敷君の声に隠れてあまり目立たないかもしれない。少し自信を持て強く頷けば、また、せーので歌い始める。そうしてさっきと同じところで伊佐敷君が音程を外して、最初から。少しずつ歌えるようにはなるけれども、同じところをさっきから何度も繰り返している状態だ。
当の伊佐敷君は本当にこの歌を知っているのかというくらいズレてしまうものだから、恥ずかしいのだろう。夕日に照らされてはっきり見えないのだけれど、耳が赤くなっているように見える。私と目が合うと気まずそうに視線を泳がせてからこめかみ辺りを人差し指で描いて笑った。あんなに怖そうな彼でも、こんな顔をするのかと思うと、なんだか可愛らしく思えてしまうきっとそれを言えば彼は怒ってしまうだろうけど。

そうして一時間ばかし練習をしていると、いよいよ窓の外が暗くなってきてそろそろ帰らなければならない事に気が付いた。

「伊佐敷君、終りにしよう」
「もう良いのか?」
「うん。いっぱい練習出来て良かった。ありがとう」
「お、おう。この曲、結構難しいんだな」
「ちょっとね。でも、最後は伊佐敷君も歌えてたよ」
「そぉか?なら良かった」

照れているのか、頭を掻きながら遠慮気味に笑う姿が今までの伊佐敷君からは想像できなくて、思わず見つめてしまう。思ってたよりもずっと親しみやすくて、その外見から想像できないような笑顔を見せるものだから、何だか特別な彼を見ているようで少し嬉しかった。

「お前も歌えるようになって良かったじゃねぇか。前は全然声出てなかったし」
「前?」
「あ!いや、最初ってことだよ」
「あぁ、うん。でも伊佐敷君のおかげだよ。有難う」
「おう。」

褒められたのがなんだか気恥ずかしくて、焦るように楽譜をしまいカーディガンを羽織って帰宅の準備を急いだ。

「遅いし送るわ。歩きか?」
「え?そんな、悪いよ。伊佐敷君って寮生でしょ」
「大分おそくなっちまったし、最近物騒だからよ。そこは黙って甘えとけ。ほら、行くぜ」

断る前に鞄を持って歩き出す。すごい強引だけど、多分彼の優しさなんだと思う。ぼさっとしていると既に彼は教室を出てしまっていて、早く来いと急かされ小走りで後を追いかけて教室を出た。学校を出るとやはり辺りは暗くなっていて、まばらな街灯が心許無かった。伊佐敷君が送ってくると言ってくれて、良かったと思う。
その日は友達といつもしているような他愛もない会話をしながら、自宅前まで送ってもらった。明日もがんばれよ、なんて言ってニッと伊佐敷君が笑てくれて心強くなり、御礼に家にあったクッキーを渡して、手を振って見送る。何だか、人は見かけによらない、という言葉を実体験したようでおかしく、明日は二人の友人に彼との話をしてみようと思った。




「え?私、伊佐敷と同じ中学だったけど、合唱コンでそんな歌聞いたことないよ?」


翌日の部活で、いつもより声が出でことの驚かれ、昨日の話を奈留ちゃんと楓ちゃんに話した。そしたら、奈留ちゃんは「伊佐敷君がねぇ〜意外だね」と言ってくれたのだが、楓ちゃんがそう言うものだから今度は私が驚いてしまった。
知っていたから練習に付き合ってくれたのではないの?
伊佐敷君が知っているから練習に付き合うと言った事を話せば、益々首を傾げる楓ちゃん。全然聞いたことないなぁと言われても、私も困惑するしかない。
だって、嘘をついてどうするのだろう。何か彼にメリットがあるわけではない。多分歌が好き、というわけでもなさそうだし、そうすると、じゃあなんで?となってしまう。

「もしかして、名前が心配だったのかも」

ぽつりと呟いた奈留ちゃん。どういう事かと聞けば、困ったような笑顔を浮かべて答えてくれた。
もしかしたら、私が一人で練習していたのを初日から知っていたのではないかという事。優しい彼の事だから、私の事を見ていられなくて、つい、知っている歌だから練習につきあってやる、なんて言ったのだろうという事。

いくらなんでもそんな事があるのだろうかと考えて、ハッとした。すぐに外れる音程やリズム。これ難しいのな、と言った事。考えてみれば、奈留ちゃんの言う通りな気がした。
でも、どうして。いや、そんな事は今は関係ない。理由を考える前に、伊佐敷君にお礼を言わなければ。

「あとは、あいつがあんたの事を、」
「名前!?どこ行くの?」
「伊佐敷君とこ!」

奈留ちゃんが何か言いかけていた気がしたが、私は音楽室を飛び出した。廊下を蹴って走る。途中で先生に廊下を走らない!と怒らたが、すれ違いざまに謝ってそのまま駆け抜けた。
目指すは野球グラウンド。近づくたびにボールを打つ金属音や掛け声が聞こえてくる。それから、一際大きな彼の声も。
この気持ちは何だろう。近づくたびにだんだん大きくなる、まるでクレッシェンド。
大きな野球グラウンドに辿り着くと、既に息切れ状態だった。でも、その中に彼の姿を見つけると、そんな事も関係なくなってしまった。緑色のフェンスを掴んで、お腹いっぱいに息を吸う。

「伊佐敷君!!」

掛け声がぴたりと止まって、視線が浴びせられる。構わない。それでも言わなければならないのだから。
ぐっ、と手に力が籠った。どきどきを抑えるようにフェンスを掴む。

「練習に付き合ってくれて、ありがとー!!」

自分でも考えられない程大きな声が出て驚いた。大きな声を出すととても気持ち良くて、清々しい気分だ。

「おー!がんばれー!!」

大きな声で返されて、胸がいっぱいになる。応えるように手を振ると、伊佐敷君もグローブを持った方の手を振り返してくれた。

「っしゃぁあ!続けんぞー!!」

そう彼が声を上げれば、止まっていた動きや掛け声が戻る。

言えたんだ。達成感を感じて、直ぐ後に自分の大胆さへの羞恥心と、私の知らない感情が込み上げてきた。この気持ちはなんだろう。嬉しさとどきどきが止まらない。

これが恋だと気が付いたのは、それからしばらく経ってからだった。

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