小説-野球部と文化部シリーズ | ナノ


川上憲史


最初に話をしたのは、昼の校内放送で流れた音楽に「俺、この曲好きなんだよな〜」という呟きを訊いた時。思わず「私も」と話しかけていた。
音楽好きという話から、他にどんな曲が好きか、好きなアーティストは誰かという話になっていき、私たちは一月経たないうちにCDの貸し借りをするようになっていた。

「すげぇな、ドラムやってんの?」
「うん。普段は軽音楽部で叩いてるけど、休みは他の場所で演奏しに行ってるんだ」
「へぇ、バンド組んで演奏とか本格的だな」

父がピアノ。兄がベース。私がドラム。そして母は昔、父のピアノで歌っていた。
所謂音楽一家の私の家には、物心ついた時から音楽に溢れていた。家には少し狭いけど地下のスタジオがあって、たまに家族でセッションしている。母はもう他界してしまい歌声が聞こえる事はないのだけれど。

「週末は駅の近くのジャズバーで叩いてるんだけどね。あとは地下のスタジオで、たまに父さんの友達とかが集まってさ、セッションしたりもするんだ」
「バー!?」
「あー、あんま大きな声で言えないけどね、ジャズバーでドラム叩いてんの」

周りに聞こえないようにこっそり言うと、彼も小さな声で、すげぇのな、と笑った。
何だか二人だけの秘密みたいで、嬉しいけど恥ずかしい。

で、いつからだろう。私はノリ君が好きになっていた。

最初は『川上君』なんて呼んでいたけど、他の人達が『ノリ』と呼ぶし、本人もそれで良いと言ってきた。けど、『ノリ』なんて下の名前を呼び捨てにするのが何だか気恥ずかしくて、『ノリ君』と呼ばせてもらうことにした。

CDや音楽雑誌の貸し借りが多くなって、音楽の幅が広がっていく。昼休みの校内放送で流される音楽に合わせてドラムを叩く真似をしてみれば、ノリ君がギターを弾く真似をして二人で笑う。たまに白洲君が会話に入ってきて、音楽談義が始まったりもした。



色んな方面の雲行きが怪しくなったのは、夏休みが終わった頃。

部内で学校祭で演奏する曲を決めるのに揉め事が起きてしまった。ただ揉めるだけなら良かったのだけど、3年生がメインの2チームが同じ曲をやりたいと言って互いに譲らない。仕方がないので両チームとも原曲をアレンジさせる事にしたのだけど、片方がジャズ風にしたいと言うので私がドラムで入る事になった。それが2年の中では気に食わなかったらしい。私に対する仲間はずれが始まった。
かと言って最後の学校祭を控えている先輩方に相談して、嫌な雰囲気にさせたくはないので、気にしないふりをして練習に打ち込んだ。

本当はノリ君に相談しようと思ったけど、彼だって野球部が忙しそうだし、夏大会で決勝で負けるという悔しい経験をしてから秋大会に向けて励んでいる姿を見たら、相談する気なんてなくなってしまった。自分の事は自分で解決しなければならない。

それでも、スティックを何度も隠されたり一生懸命作った楽譜をトイレに捨てられたりすれば、私だってへこみますよ。3年生の引退までは我慢できるかもしれないけど、その後はこんな部活なんて辞めてしまおうかな、と思い始めてきた。

誰かに愚痴ってしまいたい。話を聞いてほしい。ノリ君と、話したい。

でも今の私の感情をぶちまけたら、きっとノリ君に迷惑がかかってしまうかもしれない。

そう思っていたせいか、ノリ君に話しかける事も出来なくなってしまって段々と交流が無くなっていってしまった。ただひたすら私は我慢して、音楽すらままならなくて。自宅の地下のスタジオで、一人で練習をしている時だけが一番落ち着く時間になっていった。


そんな折、昼休みに突然ノリ君に話しかけられた。

「何か、久しぶりだな」
「うん、そうだね。どしたの?」
「こないだのCD。白洲が代わりに返してって」

そう言って渡されたのは、数日前に白洲君に貸したCD。それはノリ君と初めて話す事になった、きっかけの曲を収録していたものだった。
懐かしいなと思いつつ、なんだ、それだけかと残念に思ってしまった自分がいたことに乾いた笑いがでそうになった。バカだな、私は。

「苗字は学際で演奏すんの?」
「え?何?」
「学祭だよ。演奏すんの?やっぱ時間限られてるから3年しか出れないとかあるの?」

何気なく聞かれただけの質問に、一瞬びくり、としてしまった。

「あー……うん、私ね」

一応ね、出るよ。

そう言いかけた時、微かな声が耳に入った。普段なら決して聞き取れないような声だけれども、ここ最近の私は過剰というか、敏感になっていたらしい。直ぐに耳が言葉を拾い、ぴたりと息が止まった。


「自慢?」
「気に入られてるから出れるんでしょ」


昼休みの喧騒の中で、はっきりと聞こえた言葉。どこからかは分からない。誰が言ったのかもわからない。ただ心当たりはあるわけで、それは私に向けられた言葉だという確信はあった。

開き掛けの口から出たのは、震えた吐息だけ。


「苗字?」
「…何で」
「え?何?」
「ごめん。何でもないの」

バクバク鳴る心臓。手に力が入らなくて、受け取ったCDが手のひらから滑り落ちる。カシャン、と音を立てて地面に叩き付けられたCDケースの透明な破片がいくつか飛ぶのがスローモーションで見えた。

「わっ!大丈夫か?」
「え、うん」
「でもそれ、気に入ってるって言ってたろ」
「そうだね…うん」

何だか身体にも力が入らなくて、ノリ君の言葉すらも遠く聞こえる感じがする。大丈夫かと聞く声が、まるで私だけ水のなかに沈んでいるようにくぐもって聞こえた。

頭がくらくらして気持ち悪い。それでも何とか動こうと思い、落ちたCDを拾おうと前に手を伸ばせば、身体がぐらりと傾いた。


「おい!」


ノリ君の大きな声を聞いて、それから私は意識を手放した。





目を開ければ、夕陽が射し込む部屋だった。一瞬頭が追い付かなかったのだけど、ふかふかのベッドと独特の匂いに、ここは保健室なのだと理解する。

私、倒れたんだ。

ふと人の気配がして身体を起こせば、保健室の先生が様子を見に来ていた。少し顔を眺められ、熱も測られる。そして先生が言うには、私は疲れがたまっていたのだろうという事で、熱もないようだし落ち着いたら帰って休めとの事だった。そうして用があるからと出て行ってしまい、保健室に私は一人ぼっちになった。
しんと静かな保健室は案外落ち着くもので、息をするだけで涙が零れそうだった。ゆるゆると緩む涙腺に抵抗してもう一度枕に頭を沈める。でも、見上げた天井の蛍光灯は少しずつ輪郭がぼやけていって、その形が何だったかわからなくなったかと思えば視界が弾けて滴が耳の方に向かって流れ落ちた。

一度溢れてしまえば、それはもう止まることなく、ひたすら静かに流れ落ちた。声は出ない。静かな保健室には、私の鼻をすする音だけが響く。

どれくらいそうしていたんだろう。ドアを叩く音に気が付いて、私は頭から布団をかぶった。

「苗字、入るぞ」

その声がノリ君のもので、布団の裾を握りしめる。

足音が段々近づいてきて、ベッドの横で止まった。何度か名前を呼ばれたけれど、私は返事ができなかった。もし返事をしてしまったら、今までの事を全部話してしまいそうで、情けないのと迷惑をかけたくないのとで嫌だった。

ノリ君はそんな私をどう思ったのか、近くにあった椅子を持ってきてベッドの横に座った。それから黙ってしまった。何をしているんだろう。まさか、私が寝ていると思ったのだろうか。何か言うべきか。それともだんまりを決め込むか。悩んでいると、ふいに音楽が鳴り始めた。

これは、私の好きな曲だ。そしてノリ君も好きな曲。私たちが友達になったきっかけの曲。

携帯の小さなスピーカーから流れる音に、手が動く。ドラムを叩きたい。好きなように、好きなだけ叩きたい。


「俺、この曲好きだなぁ」
「……私も」


ふいに聞こえた言葉に、私は恐る恐る返事をした。するとかぶっていた布団の上から、ぽん、ぽんと頭を撫でられて、思わず私は布団から顔を出して身体を起こした。きっと私はひどい顔をしてたのだろう。ノリ君は困ったような笑みを浮かべて、「涙」とだけ言って自分のワイシャツの袖で一拭いした。

「でもさ、苗字が好きな曲を、好きなように演奏してるのがもっと好きだよ」
「うん。でもね、もうできないかもしれない」
「…お前は音楽嫌いになったのか?」
「すき、だよ。だいすきだよ」
「好きならやめんな。頑張れよ」
「…うん」
「好きなんだろ?音楽もドラムも」
「うん、好き」
「俺もだよ。今は苦しいけど好きなんだ。野球もピッチャーも」
「うん、うん」

ぼろぼろ零れる涙は、差し出してくれたノリ君のワイシャツの袖に沁み込んでいく。加減を知らないでちょっと乱暴な涙の拭い方だけど、なぜかそっと拭かれるよりも嬉しかった。


「ゆっくり休んで、明日からまた頑張れよ」
「うん。ノリ君もね」
「いや、俺は今日から頑張るわ」
「じゃあ私も今日から頑張ります」


二人で顔を見合わせて笑い合えば暖かい気持ちが湧いてきて、今なら何でも出来るような気がした。



prev / next

[TOP]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -